読めても解らない | 真美のブログ

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介護の話を書いていた筈が母の死と共に介護から話題はそれ、母から託されたコーラスの話や気分転換に始めた声楽レッスンの事その他諸々徒然なるままに書いています。気まぐれな内容ですのでどうぞご容赦を<m(__)m>

役所から届く税金や保険関係の書類の封筒には必ず大きな字でこのように印刷されていますダウン

 
宛名書きの窓の下に大きく書いてあるから目が薄くなったお年寄りでも見落とすことが無いだろうと言うお役所の考えなのでしょうね。
 
 
でも、これ、頭がしっかりとしている状態ならばよい案なのですが、頭の機能を失ってしまうと何の用もなしません。
 
漢字が読める=意味が解るではない
 
これって案外理解されていない図式かも知れません。
 
英文がスラスラ読めても意味はチンプンカンプンと言うのと一緒なのですが、まさか母語がチンプンカンプンになるなんて思いませんからね。
 
 
母に癌の疑いがあると言う事で日赤まで検査に通っていた頃の事ですからもう10年以上昔の話。
 
当時の母は若干怪しい部分はあるものの未だ未だしっかりとしていて、生活費も自分で管理していましたし、家計簿もきちんと付けていました。
 
ところがある時病院に着いてから古い健康保険証を持って来ていたことが判ったのです。
 
保険証など役所からの書類の管理も自分で行い、手紙が来ると表に必ず届いた日を記入して保管していた母。
まさか保険証の差し替えが出来なくなっていたとは思いもしませんでした。
 
だって、その頃はコーラスに休まずに通っていましたし、楽譜も読めていましたから。
私が行かれない日は独りでコーラスに行くことも出来ていました。
 
当時は私もまだ仕事をしていた為、母が日赤に行く日は仕事を休み、車で川口から迎えに行っていたのですが、道が混んでいたりすると家に上がることなく、持ち物の確認をせずに病院に向かっていたのが悪かったのですね。
 
その日実家に戻ってから持ち合わせていたファイルに日赤に行くのに必要な予約票その他を纏め、通院バッグを一つ用意したのですが、段々通院バッグの認識も怪しくなり、遂に保険証その他一式私が保管するようにしました。
 
勿論母の所に書類が届いても四次元空間に入ってしまう可能性が大ですので、市役所の各部署に電話を掛けて全て私宛に送って貰うよう手配。全ての手続きを代行することにしました。
 
以来私は母が施設に入居するまで常に母の分と自分の分、二人分の保険証や診察券などを常に携帯していました。
つまり母が病院に行く=私が仕事を休んで連れて行くと言う事。
 
けれど歯医者さんも目医者さんも全ての病院に付き添っていくことにはメリットもあります。
母が今どういう状態なのか、何が必要か、一緒に診察室に入れば分りますから他の病院に行っても母の健康状態を直ぐに説明できるのです。
 
保険証事件の後探してみると色々と役所関係の書類が手付かずのまま大切にしまってありましたよ。
きっと税金還付の書類が来ていても分からずに放置しておいて、貰い損ねた、なんてこともあったのでしょうね。
どうせそう大した金額ではないでしょうから好いのですが、、、、、
 
何れ私たち夫婦もどちらかが母の様になる日が訪れるかもしれません。
その時書類等一切の管理は一体だれがしてくれるのでしょうか?
鬱の息子には頼めませんし、娘に頼ることになるのでしょうね、きっと。
でも、あの能天気娘がやってくれるのかしら(?_?)