今日は国際協力の日 | 真美のブログ

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介護の話を書いていた筈が母の死と共に介護から話題はそれ、母から託されたコーラスの話や気分転換に始めた声楽レッスンの事その他諸々徒然なるままに書いています。気まぐれな内容ですのでどうぞご容赦を<m(__)m>

外国人の友達いる?

 

最近は交流していないないなぁ、、、

 

 

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幼稚園時代から外国人との関わりはチョコチョコありましたけど。
何せ幼稚園の同級生にアメリカの従軍牧師の子がいましたから。
 
ジミーちゃんと言って金髪の可愛い子でした。
よく家にも遊びに来ていました。
私も遊びに行きましたが、暖炉のある家で真冬でも家の中では半袖なのにびっくりしましたよ。
あの頃はテレビのある家も少なかったから、外国人の生活振りを知る機会なんぞそうあるものではありませんでしたからね。
 
高校生の時も学校の近くに住む従軍牧師一家と知り合い、英語で聖書を読む会に入り、何度か行きましたね。
会の方が立ち消えになり、こちらも学校を卒業してから疎遠になりましたけれど。
 
一番長く付き合ったのは旧ユーゴスラビア、今のクロアチア人の女の子。
ひょんな事から文通を始め、中2の時から子供が生まれるまで文通していました。
アイリーナと言う子です。
 
当時のユーゴは共産圏でも割と自由な国だったようで、夏休みなど彼方此方の国に行っていました。
お父様が航海士で、外国に行きやすい環境にあったのかもしれません。
 
終身大統領だったチトーの死後、ユーゴスラビアは他民族同士の紛争から国内分裂し、国は崩壊。
多くの命が奪われました。
アイリーナの故郷スプリトはアドリア海に面した街で、今は世界遺産野町として有名ですが、紛争時には一種の中立都市、様々な物資を運ぶ中継地として有名になっていました。
 
アイリーナとはチトーの死後連絡が取れなくなり、今に至りますが、多分紛争が無ければ今も文通は続いていたと思います。
 
可愛い男の子が2人いたけれど、今も無事でいるのかしら。
彼女の結婚式の写真が、今も私の枕元に飾られています。