こんにちは!
ピアノ講師のまめゆです
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今日は、ちょっぴり
スピリチュアルな話になるかもしれません。
昨日は、娘のワガママに対して
「良い母親」じゃなくてもいいんだと
思えたことについて
記事を書きました。
一方、私の幼少期は…
私は、物心ついた頃から
「いい子」でないといけないと思っていました。
なぜなのかはわかりません。
ワガママを言って
親を困らせた記憶も全くありません。
(あくまでも、私の記憶の範囲内です笑)
とにかく、
「ワガママは許されない」と思っていたんです。
例えワガママを言おうものなら、
この家にいられなくなる…
断っておきますが
別に親に虐待されていたわけではありません。
けれども
そんな恐れや不安が
子どもの頃からずっとありました。
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今日は、その事について向き合ってみました。
すると、ある映像が浮かんできました。
それは
私の中の「いい子」の部分だけを集めて
ボールのように手のひらに丸めて
大事そうに抱えて
「これが私」と周りに見せている
自分の姿。
私は、
「全体の私」を
見ないようにしてた。
「いい子の私」なんて、
全体の中のほんの一部でしかないのに。
「いい子」の私をまとめたボールは、
水色っぽい色をしていました。
単色の私。
「全体の私」は、
色とりどりの色で溢れているのに
それを見ないようにしていた。
見せないようにしていた。
「いい子」の部分しか
価値がない、認めてもらえない
と思っていた。
そう自分に思わせていたのは、
私のエゴです。
本当は、「全体の私」そのものに
価値があるのに…。
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今日の向き合いは
ここまででした。
「いい子の私にしか価値がない」
(親から認めてもらえない)と思っていた
私のエゴの正体は何か?
そして、
全体の私、本当の私を
もっと感じること、
それを認めて全てを愛すること。
引き続き
向き合ってみようと思います。
また気づきがあったら
シェアさせていただきます!
最後までお読みいただき
ありがとうございました![]()
