2020年の夏に

梅ジュースを作ってくれた

おばあちゃん。



去年、

自宅で転倒して骨折してから

1年以上も入院生活が続いている。



今年に入ってようやく

電話ができるまでに回復したけど

コロナ禍で面会がなかなかできず….




ようやく先月会えた✨と思ったら

また感染が拡大してきたので

年内の面会はできなくなった。












私の娘(おばあちゃんから見るとひ孫)

大好きで仕方がないおばあちゃん。




この1年で

おばあちゃんはなんだか

子どもがもつ「純真さ」

みたいな要素が増したように感じる。




年を重ねるって

赤ちゃんに戻っていくみたいだ。




おばあちゃんは

どんどん素直になっているし

我慢がきかなくなっている。




大人の仮面を脱いで

子どものように真っ直ぐな

おばあちゃん。













おばあちゃんは電話で、

「おばあちゃんの生きがいはひ孫ちゃん」

と毎回話してくれる。




赤ちゃんの頃から人見知りなく

天真爛漫にすくすく育った娘。




大きな声で話し、よく笑い、

面白いことをして、言って、

お歌とダンスが大好き。




そんな娘の存在自体が

おばあちゃんにとって

まさに生きがいになっているのが

側から見ていても伝わってくる。














娘の生命エネルギーは

どうやらすごいらしい。



うちの父は

前に書いた通り変わっていて



「お父さんは50歳で死ぬ」なんて言って

かなり長い期間、私を怖がらせたけど

(お父さん見ると孫)が生まれてからは

「孫ちゃんを生んでくれてありがとう」

「孫ちゃんはお父さんの生きがいだ」

とかってびっくりするような台詞を言って

来年還暦を迎えようとしている。





" 娘が繋いでいる命 "

みたいなものが確実にあるように感じる。





それは希望であり

同時に、

私はそれをとてもこわいと感じている。




大切なことが

自分の外側にあることが

私はとてもこわい。


















そんな娘も、もう5歳。



「お歌歌って」と言って

素直に歌ってくれるのは

あとどれくらいだろう。












「ひ孫ちゃんと話したい」

入院先からかかってくる

おばあちゃんからの電話。




おばあちゃんの言葉は

とてもゆっくりで聞き取りにくい。




耳も遠くなっているから

こちらも声を張り上げて話す必要がある。





娘の心は日に日に成長していて

気分が乗らない日もあれば

恥ずかしくて話したくない日もある。

人としてとても自然なことだと思う。














おばあちゃんが思うこと。

娘が思うこと。




どちらも私の外側のことで

私にはコントロール権がない。




コントロールしてはいけないこと

ということも、わかっている。




全部わかった上で、

おばあちゃんからの電話に

無言を貫く娘に

おばあちゃんに聞こえないように

こっそり台詞を伝えている。




おば「ひ孫ちゃん、元気?」

娘「…」

私「(元気だよって)

娘「元気だよ」













楽しくてやってるわけじゃない。




むしろ、

なんか色んな感情が込み上げてきて

泣きそうになりながら、

こんな馬鹿みたいになことを続けている。




おばあちゃんからの電話が

嫌なわけじゃない。




娘がおばあちゃんと電話したくないのが、

嫌なわけじゃない。




私はおばあちゃんが傷付くのを

見たくないんだと思う。

自分も傷付いてしまうから。










おばあちゃんが娘と会話している

と思っている7割くらいは

娘の言葉ではなく私の言葉で

それはおばあちゃんに

嘘をついているということ。




それが私は苦しい。




だけど、私はこの件に関しては

苦しさを選ぶことに決めた。




ついていい嘘と悪い嘘があるとしたら

これはついていい嘘だと感じているから。













娘に台詞を言わせていることは

正しいことではない。




それでも、

弱い自分の心を守るために

私は自分を許すと決めた。













人生で起こることのほとんどが

自分の外側で起こっていて

実は自分にはどうしようもできないこと

だったりする。




だから、自分が変わるしかなくて

その時に「正しさ」は

ちょっぴり窮屈なのだ。




弱い自分も、

情けない自分も、

間違っている自分も、

「そんな自分を許そう」

そう決めるととても楽になる。




おばあちゃんに対しても

娘に対しても

私はちっとも正しくない。




そんな私を私は許す。




おばあちゃんも

娘も

健やかに生きていってほしい。