ず~っと思っている事です
今時の多様性とか個性とか、何でもありの風潮に『?』をすご~く感じています
寅子の『はて?』と同じかも
全てに『はて?』です
私は、子供の頃から今でも何でも
「なんで?」
その「なんで?」は、それを否定しているのではないんです
例えば、多様性多様性と言うなら
「なぜ女らしく、男らしくはいけないの?」
と思うわけです
多様性なら⬆️それもありでしょ
決めつけだからいけないのか?
そうかなぁ~
だってね、生物学的にそういう風にできてるところもあるでしょ
やっぱり男は力強いじゃない
なら、そこは素直に男は強いでいいじゃない
女はまあ~るいんだから、女は柔らかく優しいでいいじゃない
そういう風に言ってもいいじゃない
そもそもそれじゃなきゃ絶対いけない強要がまずダメだと私は思うけれど、だいたいみんなが全く同じにはできないし、本当は昔からそうあって欲しい理想・願望だっただけなんじゃないかとも私は思ったりする
でも
男は強くあって欲しいわぁ~
女は優しく柔らかくいて欲しいわぁ~
と言われてるぐらいの軽いジャブぐらいに感じてればいいじゃないかと私は思うんですがね
確かに自分は生まれた性ではないと思う人が言われて、言われ続けて辛かったのもわかる
自分を否定されているように感じるからね
ただそれは、性問題ではなく全てに言えることで、全て人間性じゃないの?と思う
おそらくその類いの言葉に私は、差別を感じるかなぁ~と
また視点を変えて、この世にあらゆる罪があるけれど、私としては、とどのつまり人としてどうよというところに行き着く
もちろん人間は醜い生き物だから人間だからこそ犯す罪の方が多かったりすることも理解して…だ
女性が優しく弱いと言われてきたのは、総体的にまあ~るくて本当に力なくて弱いからなだけ
男性も総体的に力強く、ゴツゴツしていたからなだけ
そして全く違うから、自分にないものに憧れ引かれ合う
またそれに触れたい願望がでてくる
生態的な自然な摂理かなと思う
ただ絶対それじゃなきゃダメというのが傲慢な考えだと私は思っている
色んな人間がいていい
本当の話、今より昭和の方がある一定の基準やラインはあったけれど、ずっとゆるかったようにも思うのは私だけなんだろうか…
私が憧れているダヴィンチは男色だったとか、でも美に男女差はない
ただねスッゴク美しいものって、生活感ないんですよね
だからそれを求めすぎると生態系は崩れると考えているのが私の持論
生活感って、流す汗は美しかったりするけど綺麗事でない部分がいっぱいある
生きていくって大変なんだ
だから生きてるだけでも偉い
生きているだけで尊い
それをみーんな認めようよ