ある日の学び
開業前だったり開業間もない方々とお話しする機会がありまして。
話の中で、本を執筆したという話になり、「すごいですね」ってなるわけですよ。
でもね、ぜんぜんすごくないのよ。
こんなにふわっと生きている人間(私)でも本書いているんだから、大してすごいことではないのよ。
たまたま私が目の前にいたからお声がかかったに過ぎない。
たまたまチャンスをもらったに過ぎなくて。
私じゃなかったかもしれないんだよね。
たまたま声をかけてもらって、たまたま出版した。
というような話をしたのね。
そんな話をしていたら、一人の方が
たまたまがあった土台があるはず。
いろんな人に会って、そのたくさんの出会いがあって、
社労士といえば伊藤さんじゃん!ってなって
そういう中からそういった話が来たんだと思う。
って。
そうだなーそうですね。
そういう出会いをどうやって作ってきたんですか?
それがお仕事につながったのはどうしてですか?
うーん。わからん。
人見知りのくせにいろんな会合に出るのは好きで。
誘われればどこでもホイホイ行ってしまう人なので。
食わず嫌いせず、選り好みせず、どこにでも顔を出していたのは確かだけど。
たくさん種をまくのは大事。
で、種をまいたらひとつひとつちゃんとお世話をするの。
で、種が芽を出し、花が咲いて実がなって。
でも全部は育てられないからもちろん間引きをせざるを得ないんだけど。
どこを選んだかって問われると、損得で選んではいないかな。
この人と付き合っておけば大口の案件が舞い込むなとか、仕事になる人を紹介してもらえるなとか、自分の得になりそうということは考えていなかったかも。
ただ一緒にいて楽しい人、きちんと知って仲良くなりたいと思った人、私を利用しない人もしくは利用されても許せる人、何に対しても一生懸命な人、まじめな人、仕事をきちんとやる人、常識の範囲が私と同じ人、
そんな人たちばかりが残ったかもしれない。
まあ、なんといいますか。たくさんの人に会ってきたけど、その出会いの質がいいか悪いかは自分の行動次第なんだよな。
相手じゃない。自分が相手にどのように接していくか次第なのだよな。
とは思います。
で、数打ちゃ必ずどこかに当たるわけじゃなくて。
数も大事だけど、質も大事。
数打ってみて当たったとしても気づかない人もいて気づかせなきゃいけないので打ったあとの行動も大事。
当たっても当たったことをすぐに忘れちゃう人もいて。
ちゃんと”私はここにいます”って言わないと。
誰が打ったかわからないのはダメ。当たったら、あなたに当てたのは私ですよ。あなた当たってますよ。って言わないと。
だから数も大事なんだけど、自分がフォローできる範囲内でもないとダメ。
いろんな人に会ってきてそこからつながったことがたくさんあるけど、そのたくさんの人をその他大勢にはしていない。ちゃんと1人1人として対応している。
”みんな”じゃなく”〇〇さん”
まあ、まずはどんなことにも好奇心を持ってどこにでも顔を出してみる。
人見知りでも、臆せず行っちゃう。
迷惑かなと思うことがたくさんあって、なかなか声をかけられないんだけど、声をかけなきゃ”ゼロ”だからと奮い立たせて、勇気を出して声をかける。
声をかけて断られたとしても”私はここにいる”を示せるのでゼロではないんだから。何かしらの収穫がある。
来る者は拒まない(去る者も追わないけどw)
離れていく人は私とは合わないってだけだから気にすることはないし、興味を持って来てくれた人には(たとえ自分とは考えが合わなくても)ちゃんと対応する。
それだけ。
まずは数打ってみよう。
食わず嫌いせず、自分に合わないと思うこともやってみよう。
世間はつながっているので出発点は嫌いなことでも、好きなことへつながることもけっこうあるのです。
”たまたま”を大事に。
”私はここにいますよ”と主張しつつ扉を開けておこう。
自分が当たり前にやっていたことも、何も考えずにやっていたことも、こうして改めて問われたりすることで思い出されるし、改めて(意識的に)やっていこうと思えたので、やはり人と出会うこと(そしてたくさん会話する)は大切にしたいなと思ったのです。