終活(修活)コミニュティ・マザーリーフ
(幸せの葉っぱ)主宰の小平です
更新を滞らせながら、先に呟いてしまい失礼しました。
大好きな、#ジャーナリストの笹井さんから送られた有難いメール
長くなりますので、2回にわけてアップさせて頂きます。
先日のHanadaに登場された訪問看護師の小畑さんが素敵なメールをくださって、小平さんに読んでほしいと思い、転送します(2通です)。
小畑さんに「小平さんという、同じ記事に登場されている方でデスカフェとかもしているのですけど、みなさんに小畑さんのメールを見せても大丈夫?」と聞いたら「田舎の看護師で恥ずかしいけど、どうぞ」とお返事をもらいました。ので、デスカフェやメーリングリストで活用してください。
現役看護師さんの貴重な言葉がたくさんつまっています。
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「Hanada」送って頂きありがとうございました。
加悦さんは、その後内服コントロールのおかげで体調は安定して過ごされていますが、
全く外に出る事の出来ない身体へと衰えてしまいました。
「生けっとっても(生きてても)仕方ない。」が変わらない口癖ですが、お迎えは未だのようです。
加悦さんの住む山は、里より早く秋が訪れ、キンモクセイの橙の花がにぎやかに咲いています。
訪ねて行くと、もうあったかくした炬燵に足を突っ込んで、背中を丸め、
「加悦さん、こんにちはー!」と居間まで入っていく私を「ほーい!」っていい声で迎えて下さいます。
一人っきりで、つまらないと想像できる日常ですが、
排泄も入浴も食べることも、人の手を借りずに営む事が出来ている現状は、
平和に日々を過ごす事ができていて、それなりに満足はあるんだよなぁ・・・と思えるのです。
不自由や孤独も、「仕方がない」と抗うことはなく、生きている事に時々愚痴をこぼしながらも、
けっこう それ程悪くない日々を送っておられると感じています。
すみ子さんが末期癌で在宅療養を開始されたころ、隆夫さんはいつも
「三原で生まれて、三原で育ったんだから、三原で死ぬのが当たり前だ。」と言っておられました。
「どんな苦難があろうとも、ここで生きていくことが当たり前で自然なんだ!」とその潔さに感心したものでした。
人それぞれ、最期まで「様々な生き方」や「死に方」をされます。
だれかが形づくった死に方や看取りではなく、もっと主体的で能動的です。
その人が望まれたように、大抵はまっていくように・・・収まるように死が訪れます。
看取りはセレモニーではなく、死は自然に朽ちる形で訪れるものという印象です。
140人近い人々を在宅で看取ってきて思う事は、
「人は生きてきたように死んでいく」ということです。最期に生きざまが出るなぁと思える死が多くあります。
突然死や事故、事件は別としてですが・・・。
看護師の仕事は、人の人生に直接関われる(影響する)貴重な仕事だと思っています。
だから、責任もあるし、とても尊いと思っていますし、仕事ができる事にとても感謝しています。
一期一会に感謝しながら仕事をしています。
だから、死に直面している人を家族ごと、その人生ごと見据える努力を欠かしません。
その人の人生を最期まで大切にしたいと思い看護しています。
そして、その肉体が朽ちる時まで、その人なりの人生を頑張って生きてこられた事に賛辞を送り、
感謝とお別れが言える看護師で在りたいと思い続けています。
あれからも・・・
加悦さんとは、冗談を言い合ったり、ケラケラ笑い合って過ごします。
予定時間は30分ですが、ついサービスして長めに滞在してしまいます。
「わしはあんたが一番ええ。あんたが来るのが楽しみだ。」って上手い事持ち上げられます。
浮気をしなかったのが自慢の加悦さんですが、ちゃんと殺し文句は知っているようです。
山奥で大変な距離だけど、「加悦さんの最期は私が見送ろう」と決心しています。
関わる時間の多さが、信頼の深さに反映しているって徳永先生が本に書いておられましたが、
信頼が基本にあるから、その時に傍にいて欲しいと思えるのではないでしょうか。
徳永先生の人としての温かさ、誠実さが信頼に繋がっていると強く思います。
笹井さんの記事を読んで、思い返したり感動したりしました。
本当にありがとうございました。
長文になってしまいました。ごめんなさい。
小畑 雅子
次に続きます