ブログを読んで下さるみなさまへ、

わたしのことを、

改めて、自己紹介させて下さい。

 

 

 

生き方コンサルタントの

わだ ゆきこ です。

 

 

 

・・・

 

 

 

わたしは、もともと感受性が強くて、

心を読み取る感覚の鋭い子でした。

集団でいるよりも、

一人でいる時間が好きで、

「生きるってなに?」

そんなことを空を見上げながら考えていました。

 

 

 

3世代家族で、祖父は校長、祖母は教員。

父母はサラリーマン。

長女だったこともあり、

親や祖父母の期待は高く、

中学は地元でできたばかりの私立中学へ入学。

その後、高校、大学と進学するも、

自分の意志というよりも、

常に周囲の声に応える自分である事が、

家族が喜ぶことだと考えていました。

 

 

無事に社会人となり、

看護師として働き始めたものの、

なりたかった職業ではなかったこともあり、

仕事ではミスばかり、職場や友達との関係も、

なかなか自分らしくいる事が出来ず、

とても苦しい思いをしました。

 

 

 

中々、本当の自分を出すことができず、

その苦しさを吐き出す方法として、

18歳の頃から食べ吐きをするようになり、

8年間、ほぼ毎日、

食べては吐くという行動で晴らしていました。

 

 

看護師として働き始めて1年も経たないうちに、

父が、わたしの知らぬ間に、

保健師を取得できる大学へ願書を出したと連絡がきました。

 

自分の職業を、

勝手に変えられるような行動をされても、

「看護師を辞められる・・」

とホッとしたのを覚えています。

 

23歳の時に、

地元の保健医療大学の専攻科に入学し、

保健師資格を取得。

 


翌年、山形市役所に入庁。

 

 

ここでようやく、父の夢が叶いました。

父の夢は、娘を公務員にすること。

安定した給料がもらえて、一生食べていける仕事。

それが、父の夢だったから。

 

 

公務員になったことを喜ぶ父と、

流れのままに言われたままに辿り着いた私。

当時、24歳。

 

 

 

保健師の仕事は、

看護師の時よりも私に合っていて、

子育て支援の部署に配属され、

毎日のように子育ての相談にのったり、

家族問題に向き合い、

産後うつの研究をして学会で発表したり、

児童虐待の担当として支援もしてきました。

 

 

 

 

 

専門的な知識を活かして役に立つ喜び以上に、

本来、わたし自身の中にあった、

心を感じて読み取る感受性を存分に生かせる感覚があり、

初めて、内側から湧き上がる情熱のようなものを感じました。

 

 

 

 

結婚もして子どもも産まれて、

公務員としてやりがいのある仕事をして、

側から見たら何の問題もない暮らし。

 

 

 

けれども、

何かが欠けているような、

何か「ここではない」という感覚。

 

 

 

ふと思い出すのは、

入庁まもない24歳の頃に、

歩いて市役所に出勤する途中で見えたビジョン。

 

 

 

 35という数字

 光に包まれたエレベーターのようなもの

 

 

 

浮かんだときは、

その意味がサッパリわかりませんでした。

 

 

 

 

とにかく、手の届かない高い位置に、

黄金色に輝くステージのようなものがあって、

わたしはそれを下から見上げているような感じ。

「あれは何だろう?」

その程度で、忘れてしまっていました。

 

 

 

 

 

保健師として情熱を傾けられる仕事をしながらも、

行政としての仕事の堅苦しさや、

人間関係の煩わしさを感じ、

 

 

 

 

いつしかわたしは、

思うように動けない鬱憤を表現するかのように、

一冊のノートに自分の夢を書き始めました。

 

 

 

 

子育て支援をしているのに、

いつまでたっても女性が母親になって、

子育てに悩み続けることは止められない。

 

 

 

 

問題が起きたら、関わる。

関わるけれども、

ある程度のところで支援は終わる。

そしてまた問題が起きたら、関わる・・

 

 

 

まるで、終わらない「もぐら叩きみたい!」

と感じていたわたしは、

 

 

 

「どうしたら、この負のスパイラルを変えることができるんだろう?」

と考えるようになり、

 

 

 

 

仕事帰りに本屋に立ち寄っては、

他の市町村の取り組みを調べたり、

東京の世田谷区にあるコミュニティカフェの取り組みが、

自分が考えるアイディアと似ている!と感動して、

年休をとって、東京まで一人で視察をしに行ったこともありました。

 

 

 

 

 

そんなことをひたすらに続けていた日々の中、

突然、母がガンであることが発覚。

 

 

 

 

 

日々、家と会社の往復で、

女性として生きることを楽しむ姿を、

見たことがなかった、母。

 

 

 

 

その母が、

あっという間に「死」に向かって進み始める。

 

 

 

 

その姿を目の当たりにした時、

わたしの中から、

 

 

 

 

「生きるってなんだ?」

 

 

 

 

という小さな頃から持ち続けていた問いが、

強烈に蘇ってきました。

 

 

 

 

生きるって、なに?

何のために、生きる?

 

 

 

 

人は、いつか死ぬ。

 

 

 

 

 

 私は、誰を気にして生きているんだ?

・・・誰のために、生きてるの?

 

 

 

 

 

 

もしかして!!!

 

 

 

 

 

この命は、

自分が自由に、生きていいんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

そうだ!!

どんな風に生きても、いいんだ!!!

 

 

 

 

 

 

頭のてっぺんにあった重い蓋がパカっ!と開いたような、

重石がスッと外れたような、

不思議な感覚でした。

 

 

 

 

頭の上が、とっても軽くなったんです。

 

 

 

 

さっきまで見えていた風景が、

窓から見える空が、

急に、明るく見えました。

 

 

 

 

 

 

 

まるで、

長い夢から覚めたように、

わたしの心の中の世界がガラリと変わり、

 

 

 

 

 

「よし、やりたい事を、やってみよう!」

 

 

 

 

 

市役所の自分のデスクに座りながら、

静かに、自分の「生きる」スイッチを押しました。

 

 

 

 

 

この時、35歳。

 

 

 

 

あの時見えていた、

黄金色のステージがグーーっと降りてきて、

わたしは、それに、ピョンと飛び移る。

そんなイメージで、

何の迷いもなく、この決断をしました。

 

 

 

 

現実は、

当然ですが、

父はもちろん、物凄く反対されましたが、

わたしの心は不思議と、とても静かでした。

 

 

 

 

この時、

賛成も反対もせず、

「君がやりたい事をできる時がきたならば、やってみたらいいよ。」

と言ってくれたのが、夫でした。

 

 

 

 

 

 

 

翌年の2月。

母は亡くなり、

わたしはその翌月に、市役所を退職。

 

 

 

 

4月から新しい自分の人生をスタートさせました。

 

 

 

 

 

 

どんな仕事をするのか?

どうやってお金を稼ぐのか?

 

 

 

 

そんなことは、全く考えていません。

 

 

 

 

ただ、

ひたすら書き続けた、

わたしの夢ノートが1冊ありました。

 

 

 

 

このノートに書いたことを、やってみよう。

 

 

 

 

女性が、

母親という役割に埋もれずに、

 

自分らしさを発揮しながら、

自分らしく生きられる社会をつくる。

 

 

 

わたしは、

「私」のすべてをつかって、

 

全ての人が、

「生きる」を楽しむ世界をつくる。

 

 

 

 

具体的な計画などはないけれど、

心から湧き上がる使命のようなものだけをもって、

先の見えない世界へ、進み始めました。

 

 

 

 

 

 

最初の大きな仕事は、映画の上映会。

 

 

 

せっかくだから、

ゆったりと見られる設備の良い会場がいいと思いつき、

400名収容の会場を予約。

 

 

 

 

もちろん、

私にはそんな多くの人を集客する力も、発信力もありません。

 

 

 

 

 

けれども、

結果的に、当日約400名の方が会場に来て下さり、

大成功で終えることができました。

 

 

 

 

 

この時も、

なぜか瞬間的に浮かんだのは、

 

 

 

会場を埋め尽くす人たちから、

喝采の拍手を浴びて、

大成功で上映会を終えるラストシーン。

 

 

 

 

 

 

 

 先にビジョンをみる。

 

 

 

 

 

 

自分のことであっても、

他の誰かのことであっても、

 

 

 

 

 

心の中と繋がっていることを聴くと、

頭の中に、

映画のワンシーンのように、

映像が見えてくる。

 

 

 

 

 

この映像が見えたら、

あとは、

その風景までのプロセスを、

現実的に進めていく。

 

 

 

 

 

もちろん、

どうやったらそこに辿り着けるか?は、

全くわからない。

 

 

 

 

 

でも、

その風景が見える限りは、

必ず、辿り着く。

 

 

 

 

 

 

それを、リアルに体験した最初の出来事が、

この映画の上映会でした。

 

 

 

 

 

 

 

この体験を通して、

 

 

 

人が動き出す集客の流れ、

人の心に伝わる発信、

見えているビジョンを形にするコツ、

 

 

 

を身体感覚として掴むことができ、

心を読み取る感受性も活かしながら、

 

 

 

自分が好きなこと、やりたい事を、

「形」にしたい人のプロデュースをする

セッションをスタートさせました。

 

 

 

 

 

そこから、

様々な流れを経て、

現在は、

 

 

 

「生きるを楽しむ」

「生き方をデザインする」

 

 

 

をテーマに講演をしたり、

学校で授業のご依頼を頂き、

 

 

 

現在まで、

延100校以上の学校に伺わせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

また、

【生き方コンサルティング】という、

オリジナルセッションにて、

 

 

 

 

現実で起きることを紐解き、

心を感じながら、

望む方へと、

自分をナビゲーションする生き方を、

マンツーマンでじっくりお伝えしています。

 

 

 

 

セッションを受けて下さる方の変化が、

本当に素晴らしくて!

 

 

 

 

改めて、

自分の命を生きるエネルギーと、

いつでも人生は思う方へ変えられることを、

見せて頂いています。

 

 

 

 

 

このブログでは、

わたしが今までの体験の中で得てきた、

目には見えないけれど、

確かに現実と繋がる本質的なことを、

 

 

言葉で綴ったり、

エピソードでお話ししたり、

 

セッションを受けて下さった方の、

素敵な変化や事例をご紹介しています。

 

 

 

 

かつてのわたしのように、

今、生きていることが苦しかったり、

「何のために生きているの?」

と感じている方、

食べ吐きなど、自分を痛めつけることで、

自分の存在を確かめようとしている方へ、

 

 

「あなた」という、

世界で唯一無二の存在を取り戻して、

 

 

心が喜ぶ生き方で、

今、ここから踏み出せるように、

わたしから、

全力で生きるエネルギーを贈りたいと思います。

 

 

 

 

   「生きる」を楽しむ世界へ

 

 

 

 

それでは、

わだゆきこの「生きるを楽しむ」ブログ。

 

 

どうぞ、ゆっくりと、

お楽しみください。

 

 

 

 

生き方コンサルタント

わだ ゆきこ

 

 

 

 

 

 

【セッション・講座のご案内】

宝石白生き方コンサルティング

ベルこちら(ホームページ)

ベルセッション受講者の方のレポート

 

宝石白『生き方の授業』

 ベルこちら

 

 

 

★参考記事★

2015年12月の記事
【はじめに】わたしが伝えていきたいこと。

 

トークセッション開催時の記事

映画「うまれる」 with 誕生学