母のアパート | ママ、わたしは生きていくよ。

ママ、わたしは生きていくよ。

バリキャリ母と、平凡娘ひとり。
母子家庭を襲った母の癌。
闘病3年9か月で風になった母。

母の知らないわたしを徒然したためます。

母のアパートは

わたしの家から自転車で5分。

 

ムスメーズとわたしが泊っても

狭苦しくない広さが

家を探すときの最低条件だった。

 

ひとりで2LDK。

おかげでよく泊まりに行けた。

 

実家のないわたしには

母のいる場所が実家だった。

 

 

その母がいなくなって

ひとりでアパートに入れなくなっていた。

 

帰ってくるつもりだった母の息遣いが残っている。

今もベッドのある部屋に行けば

そこに横になっていると思える。

 

突然、時計を止められたように

途切れてしまった生活の空間が

わたしの全身をめった刺しにする。

 

玄関に入った瞬間

眩暈と息苦しさで目の前が暗くなる。

息をするのも精いっぱいで

すこし気を緩めると涙が床を濡らした。

 

それでも

叔母に

触れてほしくなかった。

夫になど任せることなんて出来ない。

 

母とわたしとムスメーズの聖域。

 

叔父が何も助けてくれないことに

頭を抱えていたけれど

わたしの幸運は

とってもとっても友達に恵まれていたこと。

 

毎日

声をかけてくれる。

お通夜・告別式を手伝ってくれた友人、

大好きなタルトを買ってきてくれる友人、

空いた時間に子供を預けてきてくれる幼馴染、

そして

もちろん1時間弱かけてくるY子。

 

わたしの気持ちを尊重して

ひとつひとつ丁寧に片づけをしてくれた。

 

 

母の家はわたしとムスメーズでいっぱいだった。

わたしからのプレゼントは

包装紙も箱も全部置いてあった。

 

ムスメーズへのプレゼント用に

リボンやレターセットがたくさんあった。

 

わたしの成績表までww

 

その都度、わたしの手は止まる。

嗚咽が響いても

友人たちは泣かせておいてくれた。

 

捨てられない。

いったい何を処分して

何を残したらいいのか。

 

処分したら

母がいなくなってしまうような感覚が襲ってくる。

そんなことはないと

頭の冷えた部分では客観的になれるのに

その意見に気持ちがついていかなかった。

 

少しずつ すこしずつ

進捗は思わしくなかったけれど

心の整理をしながら母の体温を感じながら

部屋を片付け始めて

3日目

 

思わぬ事が起きてしまった。