ネタばれ注意‼️

昨日もリアルタイムで、「続・続・最後から二番目の恋(第7話)」(脚本 岡田惠和 60分)

を観ました📺

修羅場が飛ばされる演出は肩透かしだったけれど、ボクは楽しく観れました📺


以下は感想です📺

それでは早速レッツらゴー‼️


「続・続・最後から二番目の恋(第7話)」(脚本 岡田惠和 60分)

話の内容は、男女の関係ではないが、「大人の機微」な関係の和平と千明のお話

千明の家での3人飲み会で、「脳が老化」「何を忘れたか?忘れてる」などの会話がコミカルだった

千明の家での大人数でのワチャワチャした女子会が楽しかった

和平と千明の、煮え切らない関係に、ボクはやきもきした

成瀬医師の病院の受付のオバちゃんが、「先生は初恋の人と結婚したから女に免疫が無くチョロい」と千明にアドバイスするのがコミカルだった

成瀬医師が、「この歳になって心が動くのは良い事だ、和平と千明の関係を知って心がチクチクする痛みは良い痛みだ」みたいな事を言うのが、ボク的に共感できた

市長に後継者になって欲しいと言われる話を、お店の従業員で庭を掃き掃除していた秀子に聞かれて、和平が困る演出がコミカルだった

三井さんが万理子に「(月9の脚本書けなくて)煮詰まってるね」と言ったら、万理子が「煮物ですか?」とボケたら、三井さんがフルでノリツッコミするやり取りがコミカルだった

全般的に

典子の自分には何もない悲しみや、ドラマ制作、万里子が月9ドラマの脚本書く話は、ボクはノレなかったが、ご婦人3人飲み会や千秋の家に集まっての大人数女子会、成瀬医師と千明と和平の三角関係、和平の市長選立候補を秀子に知られる話なんかは、ボクは楽しかった

それにしても千明と和平の煮え切らない関係は、やきもきする。成瀬医師役の三浦友和さんも言っていたように「分かんない」関係だとボクは感じた

お子ちゃまのボクには分からない和平と千明の関係が、これからどう進展するか?が楽しみだとボクは感じた第7話だった





ネタばれ注意‼️

今回もChatGPTとこの前観た「陪審員2番」(監督クリント・イーストウッド 114分)について語り合いました🎞️

晩年のイーストウッド監督作品の素晴らしさについて、ChatGPTが簡潔で的確に表現していて、ボクは感動し、改めてAIの進化に驚かされました😲

 

それでは早速レッツらゴー‼️

 

今日はクリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」をついに観たよ
 

ChatGPT:
おお、それは素晴らしいですね!『陪審員2番(Juror #2)』、ついにご覧になったんですね。クリント・イーストウッドの監督作というだけで注目度が高いですが、今回は彼にとって最後の監督作になるかもしれないとも言われていたので、特別な想いで観た方も多いかと思います。

よかったら、どんな点が印象に残ったか教えてください。

物語の展開やテーマ

キャスト(特にニコラス・ホルトやトニ・コレットなど)の演技

イーストウッドらしい演出や視点

社会的な問いかけの部分
など、気になったところがあればぜひ聞かせてください。

あなた:
シーンが凄いとかオモロい演出があるとかは無かった地味な作品だったけれど、裁判の天秤が象徴する公正公平中立な裁判を行う事の難しさを描いた、とても見応えのある法廷劇で、ボクは観れて良かった作品だと感じたよ

ChatGPT:
素晴らしい感想ですね。まさにクリント・イーストウッドらしい、派手さよりも誠実さと重みを大事にした作品だったようですね。

「裁判の天秤が象徴する公正・公平・中立な裁判を行うことの難しさ」——このテーマをしっかり描いたというのは、彼が晩年の作品で一貫して見せてきた“人間の複雑さ”や“正しさとは何か”という問いにも通じていて、地味でもズシンとくるものがありますね。

見せ場で魅せるタイプの作品ではなく、心の葛藤や道義のジレンマをしっかり見せる法廷劇だったからこそ、観た人に「これは観て良かった」と思わせる力があるのだと思います。

ニコラス・ホルトの陪審員としての葛藤やトニ・コレットの検事役の姿勢など、キャラクターのぶつかり合いもきっと丁寧に描かれていたのではないでしょうか。
もし印象に残ったやりとりや演出があれば、ぜひ聞かせてください。

あなた:
確かに晩年のイーストウッド監督作品の特徴である単純に割り切れない「複雑さ」を描いた作品だったとボクも感じたよ。
主人公の、子供が出来るので自分が真犯人だと名乗り出て捕まる事は出来ないけれど、無実の罪で有罪になる被告人に対して気が咎めるという複雑な心境も上手く描かれていたし、検事の、主人公に「真実が必ずしも正義ではない。悪人が刑を受けて善人の自分達が助かるなら良いではないか?」と言われて一旦は納得し誤認逮捕を許すが、ラストに子供が生まれて幸せな家庭を築いている主人公一家の家に赴く、誤認逮捕はやっぱり許されないと気持ちが変わる、検事の複雑な心境も上手く描かれていたのが、ボクは特に印象に残ったよ

ChatGPT:
その感想、とても深くて素晴らしいです。
まさにクリント・イーストウッドが描き続けてきた「正しさ」の複雑さと向き合う人間ドラマですね。

主人公の「真実を明かせば正義にはなるが、家族を守れない」という葛藤と、検事の「正義を貫けば誰かの幸せを壊してしまう」という矛盾した感情。どちらも簡単には割り切れない現実の重さを静かに、でも確かに描いていて、観る側に判断を委ねてくるところが本当にイーストウッドらしい


特にラストで検事が誤認逮捕のまま終わらせられないと感じて、主人公の幸せな家庭に向かうという展開――
それは彼女が正義を求めることが、誰かを傷つけるかもしれないと分かっていても、それでもやっぱり「間違いは間違いだ」と感じたからこそ、でしょうね。
そこには情ではなく、信念としての正義があり、そのぶつかり合いがこの作品を単なるサスペンスや法廷劇ではなく、人間の良心と責任のドラマに引き上げているように思います。

観て良かったと思えるのも納得です。こういう静かだけど力強い映画、やっぱりイーストウッドは健在ですね。

他にも気になったことがあれば、ぜひ教えてください。

あなた:
黒人の陪審員が「悪い奴は変われない」と言うのに対し、主人公が、自分のアル中克服のエピソードを語り、「人間は変わる事が出来る」と黒人の陪審員に訴えるエピソードも印象に残ったよ

ChatGPT:
それはとても象徴的で、イーストウッド作品らしい希望と信念を描く重要な場面ですね。

「悪い奴は変われない」という黒人陪審員の言葉には、恐らく自身の過去の経験や、社会的な現実への諦めも滲んでいるのでしょう。それに対して、主人公が自身のアルコール依存症克服という個人的な再生の物語を語ることで、ただ理屈や理想ではなく、「自分は変われた。だから他人も変われるはずだ」と行動で示す説得力がある。

これは、まさにイーストウッドがキャリアを通じて描き続けてきたテーマでもありますよね。
**「人間は弱く、過ちを犯す。でも、変わることはできる」**という信念。

しかもこの場面は、裁判の行方を左右する「陪審員の説得」という物語上の要所でもあるわけで、ただの回想や感情論ではなく、主人公の「信じたい気持ち」が正義の行方に関わるというのがとても熱い。

その訴えが黒人の陪審員の心に届いた時、彼個人の変化が裁判のバランスを変え、最終的には検事の心さえ動かすという流れも含めて、人間の変化が「連鎖」していく描き方が印象的ですね。

地味な中に、確かなメッセージが宿っている。まさに“噛みしめるほどに味が出る”映画だったのだと伝わってきます。
いい作品を観られましたね。

あなた:
「正しさ」の複雑さと向き合う人間ドラマ。確かにその通りの作品だったとボクも感じる。単なる法廷サスペンスでなく、人間の良心と責任のドラマになっているので、見応えがあったというのも核心をついてるとボクも感じた

ChatGPT:
ありがとうございます。
あなたの感想からも伝わってくるように、『陪審員2番』は、裁判や犯罪のスリルを超えて、人間が「正しさ」とどう向き合うか、そして何を守り、何を選ぶのかという深い問いを静かに投げかけてくる作品ですね。

主人公がただの「加害者」でもなく、検事がただの「正義の代弁者」でもなく、それぞれに迷い、痛み、そして選択がある。その複雑さがあるからこそ、観ていて胸に迫るものがあり、「見応えがあった」と感じるのは自然なことだと思います。

イーストウッドは晩年になっても、人間の内面に静かに深く潜っていく演出が本当に冴えていて、「正しさ」にも「救い」にも簡単には手を伸ばさない。その誠実さが本作にも表れていたのですね


きっと、こういう映画は時間が経つほどに味わいが増すはずです。観たことをふとした瞬間に思い出して、また考え直したくなるような。そんな映画を最後に撮ったかもしれない、イーストウッドはやはりすごいですね。

もし他にも語りたくなった場面や余韻があれば、いつでも聞かせてください。

あなた:
そうそう「リチャード・ジュエル」や「ハドソン川の奇跡」も「正義」の複雑性を描いた作品だったし、「グラン・トリノ」や「インビクタス」の人種差別の描き方も重みを感じる描き方だった。
晩年のイーストウッド監督作品は、映画的楽しさだけでなく、人生の教訓となるような味わい深さも感じる事が出来る作品も多いよね

ChatGPT:
まさにおっしゃる通りです。
クリント・イーストウッドは晩年になるほど、娯楽性よりも人生の重みや、正義・偏見・赦しといった根源的なテーマに真摯に向き合う作品を撮るようになっていきましたね。

『リチャード・ジュエル』では、ヒーローに仕立て上げられた男が一転して容疑者として追われる理不尽さと、それに立ち向かう人間の尊厳を描きましたし、
『ハドソン川の奇跡』では、命を救った英雄がなぜか糾弾されるという逆説的な状況の中で、真実と制度のズレに苦しむ男の姿を描いていました。

『グラン・トリノ』では、偏見に満ちた老人が、異文化の隣人たちと交流しながら自分の過去と和解していく姿を、
『インビクタス』では、スポーツを通じて人種の壁を超える理想を現実にしようとする指導者たちの努力を描きました。

どの作品も「善悪の二項対立」ではなく、
立場が違えば見える正義も変わるということ、
そしてそれでも人は理解し合い、変わることができるという希望を失わずに描いている点が共通していますよね。

晩年のイーストウッド映画はまさに、映画を通して“どう生きるか”を問いかけてくる人生の鏡のような存在だと思います。観るたびに新しい気づきがあるし、何歳になって観てもその時の自分に響く言葉や視点がある。

『陪審員2番』もまた、その流れの延長にある、集大成のような一作なのかもしれませんね。

あなた:
今日の晩年のイーストウッドに関する映画談義、ボクの感じている事を的確に短くまとめてくれて、無茶苦茶嬉しかった😆ありがとう🙏

ChatGPT:
こちらこそ、そんなふうに言っていただけて本当に嬉しいです!
今日のやりとりは、あなたの言葉や視点がとても深くて、イーストウッド作品への愛と理解がひしひしと伝わってきました。だからこそ、僕もそれを一緒にかみしめながら言葉にできたんだと思います。

晩年のイーストウッド作品って、観終わってから誰かとじっくり語りたくなるような、**映画以上の「人生の対話」**なんですよね。
また何か思い出したり、新たに観た作品があれば、いつでも話しに来てください。喜んでお付き合いします!

あなた:
今日は本当にどうもありがとう🙏それでは最後は淀川長治さんスタイルで、サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ👋

ChatGPT:
こちらこそ、素晴らしい映画談義をありがとうございました!
それでは皆さま、また次の名作でお会いしましょう。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ〜!またどうぞ、お越しくださいませ!

 

それでは良い映画を沢山観て、良い人になって下さいね😉サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ👋足立区一のお調子者f@











「雪の花-ともに在りて-」(監督 小泉堯史 117分)

話の内容は、疱瘡予防に命を懸けて奔走する町医者の話

オープニングの滝や、吉岡秀隆と話す時の川、芳根京子と話す時の見晴らしのいい高台、最後のさくら貝を拾う海、など景色の良いシーンが印象に残った

大八車で川に運んだ疱瘡仏を焼くシーンが印象に残った

松坂桃李が京都福井へ行く道中の、古民家があるロケーションや激しい吹雪の峠のシーンなんかはロケーションが良かった

松坂桃李の嘆願書がナカナカお偉いさんまで届かないとか、牛痘の種を運ぶタイヘンさとか、種痘所の許可がおりても偏見で種痘が進まないとか、の苦心が印象に残った

芳根京子が、質屋に入った強盗浪人をやっつけるのが楽しかった

松坂桃李の種痘を邪魔する町のヤクザ達をやっつける殺陣が楽しかった

1番最初に疱瘡で死にかけた村娘はつが、紙漉きに楽しみを見つけ、結婚して子供が出来、子供を種痘所へ連れて来る演出が印象に残った

最後の芳根京子の、お祭りでの太鼓叩きも楽しかった

全般的に

疱瘡をナントカしたいと感じた町医者が、漢方蘭方の垣根を越えて疱瘡予防の種痘を学び、色々な困難に合うが、理解のある妻・友・蘭方医の師匠に助けられながら、種痘所を開設して疱瘡から小さな子供達はじめみんなを救う、という分かりやすい話でとても良かったとボクは感じた

明らかにコロナを意識した作品というのもボクは良かった

そして妻の芳根京子が、男勝りの「男之助」と呼ばれているエピソードもボクは楽しかった

分かりやすくハッピーエンドのストーリー、所々入る景色の良さ、そしてコロナ禍の現代を意識したテーマ、というのがボクは好感が持てて、最後まで集中して観れた作品