ハッピーマンなアタシの人生 -6ページ目

暗黒の始まり

『パニック障害』『重度鬱』そう診断されたアタシは…

数週間の間、内服治療(アナフラニール・ソラナックス)で様子を見ていましたが
症状は重くなるばかり…。

ある診察日
Drミカは言いました。
『大学病院に入院しましょう。このまま通院治療していたら良くなるまで3カ月。入院すれば1カ月で治ります。』
アタシは即答しました。
『入院は出来ません。アタシには空が居るんです!』


そう言った手前…
その時のアタシには、空の世話なんてまったく出来ていませんでした。
とにかく、毎日が真っ暗でした。リスカの傷も増えていました。


結局…母の勧めもあり、ベッドが空き次第入院することに同意することになりました。



病休を貰っていたアタシは…入院が決まり、さらに職場に休みの延長をお願いしなければならず………
でもアタシには車で50分もかかる職場や、重度鬱による対人恐怖のために、直接職場に出向く事が出来なかったため、旦那さんの星クンに全てをお願いしました。


看護科60人分への手土産を忘れないよう念を押して。

婦長という人は…。
『言葉よりモノ!モノより金』そんな人でしたから…みんなに迷惑をかけているアタシの家族が、手ぶらで参上するだなんて以っての外でした。
結婚の時も、空を出 する時も、もちろんケーキ60個や菓子折りを、その度に買って挨拶に行きました。
『公立病院』に就職したのでアタシは地方公務員。有休も病休も認められていたはずだけど、婦長の機嫌を損ねたら、全てパーになってしまうという理不尽な現実があったからです。


口数が少ない星クンに、婦長の嫌味なマシンガントークはツライかも…と心配しました。
しかし、彼には通用しなかったようで、きっちり3カ月の病休を貰って帰って来ました…。
何かの度に婦長の顔色を伺っているアタシを散々見てきた星クンは、解っていたのでしょう。アタシより社会人としては先輩でしたから。


『花。心配ないからね』
何を聞いても、星クンは
慌てず動じず、そう繰り返しました。




そして………。
4月初旬、大学病院心療内科入院が決まりました。

黒から暗黒へ

『過換気症候群』

そう診断され、処置室から別室に移されたアタシは…
とりあえず安堵感に浸っていました。

それもつかの間。
泣き虫なアタシの旦那サン。
星クンの登場です。
『花ぁ〓ッッッ?!大丈夫か?!怖かっただろ?!もう大丈夫だよッッッ!もう大丈夫だよッッッ(T_T)』

『心配かけてゴメンね…』

スーツ姿で号泣する星クンを見たら
安堵感と申し訳ないのとで、アタシも泣いてしまいました…(・_・、)


この時、アタシ達はまだ
結婚して2年を過ぎたばかりでした。
パニックにもなります。
小さな空は…母に抱かれ
眠っていました。




その日から…
アタシは『車』に乗れなくなりました。
始めは気が 4きませんでしたが、車に乗ると決まって発作が起こる事や
その発作が日を重ねるごとに酷くなるのを、短い病休の中で感じました。

そんな状態では、もちろん仕事には行けません。
でも…スタッフのシフトを狂わせて迷惑をかける訳にもいかないのです。
アタシは、片道50分かかる勤務先まで
何度も何度も 発作と闘い、発車・停車を繰り返しながらやっとの思いで出勤しました。

でも…
よく解らない突然の動悸や呼吸困難、血圧低下などがいつとも言わず アタシを襲いました。
その頃、ご夫婦で内科勤務医をしていたDrがおり、度々お世話になりました。
様 な検査はもちろん
『心エコーしてみましょう』と言われ、激務を抜けて検査室へ行くと…
『花ちゃん。仕事と家事・育児の両立は大変よね。疲れてるのよね』…とコーヒーを出して待っていてくれ、
『検査』という名目で
アタシを休ませてくれたりもしました。
『こうでも言わないと婦長がウルサイでしょ?笑』
そう言って気遣ってくれる優しいリカ先生と、
親身になって、アタシのカラダの異常を調べて下さった
旦那サマのタカシ先生には
本当に本当に
感謝しています…。
今でも忘れられない
大好きなDrです(^_^)



しかし、病魔は日々
アタシを蝕んで行きました。発作の時間が長くなり
『死ぬのではないか』という恐怖が、発作の頻度と比例して強くなりました。
とうとう出勤出来なくなり、空の泣き声・笑い声さえイライラに変わりました。
空の面倒が、一切見れなくなり………
実家の一室に、毎日こもって食事も捕れなくなり
『リストカット』するようになっていました。
明るさが取り柄だったアタシが…。
母にも父にも星クンにも号泣されました…。
でもアタシには、成す術がなかった。



アタシは いよいよダメだと思い、救急車で運ばれた市立病院の内科を受診しました。
アタシの症状を聞いたDrは
すぐに『心療内科』を紹介してくれました。
彼は、当時まだまだメジャーではなかった心療内科分野の知識を持ち合わせていたのです。
アタシはラッキーでした。
しかも週1だけ大学病院から出張診察に来ていたDrを紹介してくれたのです!


アタシに付けられた新しい病名…。
それは


『パニック障害』『重度鬱』

ここまで来るのに3カ月かかりました。
アタシのカラダに何が起こっているのか… 0発する死ぬ程の発作…死にたくて仕方ない日々…。死ねない毎日。




後に知った事ですが
この心療内科医Drミカは
当地方でNO.1の
パニック障害専門Drだったのです!
Drミカとアタシの
新しい日々が始まりました。

黒の幕開

いろいろな検査をされる中…
そして
DrやNs、レントゲン技師の
会話が交わされている中…
アタシの意識がハッキリしてきた事と
あんなに苦しかった呼吸も楽になってきた事を
感じていました。

左手足も
痺れは少しあるものの
だいぶ動くようになっていました。



病院に着いて行われた処置は
セルシン1Aの静注だけでした。
アタシは…
『助かった』という思いと『なぜ?』という思いに
困惑していました。



Drはアタシに
『強いストレスを感じたり、疲れたりしなかった?』
そして
『アタマにはなんの異常もないよ』
と言いました。

結果
アタシに付けられた診断名は『過換気症候群』
でした。
若い女性に頻発する発作です。



アタシは…点滴を受けながら、前日の事を思い出していました。

朝、いつものように5時に起き…星クンのお弁当と朝ごはんを用意して、星クンを送り出し…。
空の朝ごはんを作って、目を覚ました空の世話をし…空が子供番組を見ているあいだに、アタシは自分の身支度をしました。
それから…いつものように空を騙しながら、掃除・洗濯。空をベビーカーに乗せて近所を散歩…。
遊び疲れた空をお昼寝させ、空の昼食の準備と、星クンと空の夕飯の仕度をし…目を覚ました空に昼食を食べさせました。
16時から夜勤が始まるので、勤務先まで車で50分かかるアタシは遅くても15時には出発しなければなりません。
その前に…洗濯物を取り込み、星クンのYシャツにアイロンをかけ、明朝の空の朝食を作ってフリーズし、空の着替えやミルク、オムツ、オヤツ、空用の夕飯などをまとめて、勤務先とは逆方向の実家へ空を預けに行きます。星クンの仕事が終わると、帰り道に実家へ寄り、空を家に連れて帰っていました。

空が産まれて、アタシが仕事に復帰してからは毎日が当たり前でした。




でも…
その日の夜勤は違っていました。

夜勤帯のNsは常時2人です。アタシが勤務していたのは、主に老人病棟で寝たきりの患者さんが80%は居ました。そして殆どの患者さんがオムツを使用していました。決められたラウンド4回では到底、仕事は終わりません。意識のある方は、夜間特に不穏症状を呈します。ナースコールが立て続けに鳴る事もしばしばでした。そのたびにベッドサイドへ行き、落ち着くよう、話を聞いたりマッサージをしてみたり…『看護』と呼べる事ではなくても、駆使していました。もちろん、Drからの指示はありました。『不穏時〇〇筋注』効果がない場合、続けて3つ程の、薬品注射による指示が出ていました。薬品で眠らせるのは簡単です。でもアタシは嫌でした。患者さんは毎日、不安で淋しい思いをしているんです。アタシは精神的ケアを重視しているつもりでした。それでも時間と仕事は待ってくれません。
ヒトリで50人近い患者さんのカルテを書き、症状の重いICUの患者さん4人には、ほぼ30分置きの状態確認が必要でした。
そのうえ、『夜間外来』に患者さんが来れば、その診察介助もしなければなりませんでした。もちろん救急車も来ます。
うちの病院で対応しきれない患者さんが来た場合は、そのまま救急車に乗り、他の病院へ搬送もしていました。
問題なのは、その間、病棟患者さんに何か起こっても責任が取れない…事でした。
そんな夜勤帯勤務を、なんとか毎回こなしていました。



でも…。
『あの夜』は違いました。日勤者から受け継いだ時点で、今夜が山になりそうな患者さんが4人いました。頻繁に状態チェックし、Drにも報告していました。
ただ…他の病棟と違うのは、『老人の死』という事でした。集まった家族も延命を望む人は殆どいませんでした。亡くなる何日も前から、死後に着せて欲しいという浴衣をアタシ達が預かる事もしばしばでした。
そして…………。
アタシが勤務している朝までの間に、4人の患者さん全てが亡くなりました。
当然ですが、死亡時刻を4回見届け…死体処置を4回やり…死亡診断書を4枚Drにお願いし…お見送りを4回しました。
虚しさでいっぱいでした。
でも時間も…他の患者さんも待ってはくれません。
急いで3時のラウンドに行くと…
意識のない患者さんが
仰向けで大量の吐血をしていました!
大急ぎで吸引しました。
幸い窒息はしていなかったのですが、出血は止まりません。仰向けは危険だと思い、側臥位にするとまた、大量に吐血しました!
これは胃潰瘍の穿孔かもしれない…。急いで血圧を測り、Drコールしました。
幸い、輸血する程の出血もなく、Drによる内視鏡での止血で事なきを得ました。ICUに転室しましたが…。


気が付くと…
時計は5:45を回っていました。
あと15分で最後のラウンドの時間です。
亡くなった方のカルテ整理も…23時以降のラウンドのカルテ整理も…吐血した患者さんの記録も…何ひとつ終わっていませんでした。

ただ…患者さんに行った処置は正しく書き記しておかなければなりません。
アタシの左腕は
無数のメモだらけでした。
紙に書いている暇さえなかったのですから…。







全ての事が終わった時
勤務時間などとっくに過ぎていました。
仮眠も休憩もない
慌ただしい夜でした。
勤務時間はすでに
16時間を過ぎていました。






『空を迎えに行かなきゃ』アタシの想いは
それだけに集中させようとしました。
白衣を脱ぎ、車に乗り込んだアタシはボーッと
アクセルを踏んでいました。

亡くなった4人の患者さんが…長い人生の最期に
アタシと出会い、旅立った事。彼等はシアワセだったのだろうか…。
どうしても
そんなことを考えている自分がいました。



そして…
実家まであと5分の
あの場所で
アタシは救急車で運ばれ…

『過換気症候群』という
診断を受けたのです。



しかしそれは…………
それから
長く長く続く『苦しみ』の第一歩にしか
過ぎませんでした。

『過換気症候群』で
総てが終わっていたら…
自殺未遂にまで
発展せずに
済んだのでしょうか…?


アタシの運命を変えた
忘れもしない
『あの日』が
ただの序章に過ぎなかった事実を
受け止められる日は
来るのでしょうか…?