昨日こちらの記事を投稿したところ、





とある方から、「自分本位」というタイトルで、



タイトル:自分本位

お母様の愚痴が多いのはあなた方が里帰りしてきて大変だからじゃ無いんですか?頼れる所は頼っておいて老害だなんてよく言えますね。自分の事は棚に上げて。貴方の神経の方を疑います。図々しい(中略)

迷惑かけてる分愚痴くらい聞いてあげたら如何ですか?(中略)
親は子育てを手伝わせる道具ではないですよ

愚痴が嫌なら親に頼らず自分の家に帰れば如何です?



という内容のメッセージを直接お送りいただきました。




もちろん、

ブログに書いてあることを読んでどういう感想を持つかは読んだ人の自由なので、

どう思われてもいいんですけども、

わざわざメッセージで送ってこられてしまうと、

いろいろ言いたくなってしまうので書きます。



星流れ星星流れ星星流れ星



「母の愚痴が多いのは私たちが里帰りしているからではないか」



という指摘についてはおっしゃる通りで、

私たちの里帰りが母のストレスの一因だと思います。






また、



「頼っておきながら『老害』と呼ぶのはいかがなものか、神経を疑う、図々しい」



というご指摘についてはいろいろな議論があるとは思いますが、

相手がしんどくなるまで愚痴を言い続け、

相手から「聞くのが辛いからもうこれ以上はやめて」と言われたら逆ギレする、

という一連の行為はやはり「害」だと私は思います。



とはいえ心の中で多少そう思っていても、

本人を傷つけると思うし、

そもそも、

母の存在そのものを老害だと思っているわけでもありませんし、

さまざまな理由から直接本人に「老害」だとは言わず、

こっそりブログで吐き出させてもらっているまでです。



人間なので心の中でいろいろ思うのは仕方がないと思います。

ただ、自分が思ったあとに、

どのような行動を取るか?というところに、

その人なりの「思いやり」が表れるのではないか、

と私は思います。



心の中でわきおこった感情を心の中に留めておくのか、

こっそりブログに書くのか、

本人に直接ぶつけるのか、

などなど。



「愚痴が嫌なら親に頼らず自分の家に帰れば如何です?」


→母本人にこう言われたら、もちろん検討します。




迷惑かけてる分愚痴くらい聞いてあげたら如何ですか?(中略)親は子育てを手伝わせる道具ではないですよ」


→程度の問題ではないでしょうか?



子育てを手伝ってもらうなら、

娘およびその孫は母の気が済むまで際限なくいつまでも愚痴を聞かなければならず、

もしそれが嫌なら子育ては一切手伝ってもらうべきではない、



とは私は思いません。


いくら恩があるとはいえ「これ以上はやりすぎ」というラインはあるのかなと。



じゃあどこまでなら恩に報いたといえるのか?



の線引きは状況や本人の許容量にもよるので、

本人が「これ以上はムリ」と思うなら、

それ以上は我慢すべきでないと考えます。



また、このメッセージを送ったかたからみると、

どうやら私は「親を子育てを手伝わせる道具のように扱っている」と思えたようですが、



果たして本当に親を子育てを手伝わせる道具のように扱っているかどうか、

というのは、



どれくらい子育てを親に頼っているか?



や、



普段どのように親と接しているか?



や、



これまでどれくらい親孝行してきたか?



などを総合的に見た上ではじめて判断できるんじゃないかなと思います。



ブログに書いてあることというのはえてして事実のうちのほんの一部でしかないにもかかわらず、

わずかな情報のみで判断し、



「自分本位」「神経を疑う」「図々しい」



など相手を傷つけるような言葉を含むメッセージを本人に直接送る行為というのは、



いささか軽率ではないか



と思いますし、



こんなに簡単に人を傷つけてもいい



と考えているのだな、とも感じました。



あるいは、

上記のような内容のメッセージを直接本人に送ることが相手を傷つける可能性があるということもわからない人なのかもしれない、とも。



星流れ星星流れ星星流れ星



…余談になりますが、

以前にも「自分勝手ですね」というコメントをもらったことがあります。







誰でも読めるブログを書いている以上、
誰になんと思われようと仕方がないのですが、


自分本位とか自分勝手とか、
神経を疑うとか、
親を道具だと思っているなどなど、


そういう言葉を直接投げかけられると非常に心外だなと思うし、傷つきます。


私は相手の立場や気持ちを考えられない、
自分の利益ばかりを追求するような、
冷たい人間なんだろうか…


と、一瞬、思ってしまいそうになるからです。


で、
そこまで考えて、


いやいや、そんなわけなかろう、


と。


自分の感情を大切にして物事を考えていることは否定しませんが、
それは他人の立場や気持ちをまったく考慮していないこととイコールではないのです。


そんなわけで今回もあらためて、
傷つく必要はないよな、と。


私がそのような人間でないことは、
母が一番よくわかってくれていると思うので、
まあそれでいいか、と。



ここから先は少し話が変わってしまいますが、


自分本位の対義語は何かなと思って少し調べてみたところ、


「他人本位」(=他人のことを一番に考えて行動すること)「自己犠牲」「利他主義」


という言葉がありました。


私のイメージとしては、


自分本位も他人本位も両極端にあって、


大抵の人は自分本位と他人本位の間のグラデーションの中にいるのではないか、
と思います。


完全に自分本位という人もいないし、
完全に他人本位という人もおそらくはいなくて、


どちらかというと自分本位、
どちらかというと他人本位、
くらいの位置にいるのではないかなと。


そして、時と場合によってその位置は揺れ動いていて、
あるときは自分本位に近しい選択をしたり、
あるときは他人本位に近しい選択をしたりしているイメージです。


それでいうと確かに、
私はどちらかというと、
全体的に自分本位寄りの位置にいると思います。


かといって完全に他人を無視しているかというとそうでもないし、
自分に負荷をかけすぎないので、
比較的おおらかである、
自己肯定感が高い、
などの利点もあると思います。


どちらが正しいとかそういうことはなくて、
それぞれメリット・デメリットがあり、
両極端に近くなればなるほどメリット・デメリットがより強く出る、というだけなのかなと。


本人がやりたいようにすればよいですし、
どちらが正しいか?を競う必要もありません。


特に妊娠、出産、育児なんて非常にプライベートなことなので、
少しでも多くの人が、
自分を責めすぎることなく、
自分自身のやり方で、
のびのびと妊娠、出産、子育てできますように。