前の記事からの続きです。
※病理解剖を肯定する記事になります。受け入れられない方は読み進めないでください。
長女が亡くなり、葬儀を一通り終えて、淡々と日々が過ぎていきました
寂しくて寂しくて、泣いて。
骨壷を抱っこして、ゆらゆらと揺らしては泣いて。
写真を見返しては泣いて。
気晴らしにと散歩に出ても、
本当なら今頃退院して一緒に暮らしていたのに…と、歩きながら泣いてしまう。
まだ悲しみの底にいました
そんなある日。
病院から病理解剖を受けた人達を弔う行事の案内が届き、参列することにしました。
当日向かった場所は、大きなお寺
まず病院長から「悲しみの中、我々に提供してくださりありがとうございます。必ず今後の治療の発展、医療技術の向上に繋げていきます。」とお話がありました。
その後、お坊様10人以上が楽器を奏で、お経を読んでくださいました。御堂も広く、荘厳
そして…なぜか、ふと。
長女
の気配を感じたのです。
長女ちゃん…来たの?
笛、太鼓、すごいね
お坊様のお経、こんな大人数だとまるで合唱のようだね。聞けて良かったね
気のせいかなと思いながらも、心の中で会話をして聞いていました。
お経が終わり、説法。
亡くなった人は二度と会えないと思いがちだが、その人を想う時、感じる時、野に咲く花や一陣の風となって現れる。先に浄土へ行っているだけで、私達もいつか浄土へ行くのだ…
と、そのような内容でした
宗派によっても様々な解釈があるのは承知していますが、その時には自分の中にストンと落ちるものがありました
あぁ…こんな丁寧な弔をしていただいた。
長女も、きっといた。
いつか、長女に会いに行ける。
その時まで、お土産話をたくさん持って行けるように、生きねば。
病理解剖に同意して良かった。
改めて感じた出来事でした。
続きます。