malta執持録2026-1-18

『我が人生の帰趨』kindle版、幻冬舎、2025年より

https://renaissance-media.jp/category/gr1484

 

情報は、知れば知るほど人を賢くするとは限らない。

むしろ、見えすぎ、聞こえすぎる時代にあっては、

「敢えて見ない」「敢えて聞かない」という選択こそが、

人生を静かに、誠実に保つ技法なのかもしれない。

 

「敢えて見えても見ず、聴こえても聞かず」を人生の極意とする。

この言葉は、『礼記―大学』にある

「心焉(ここ)に在(あ)らざれば視(み)れども見えず」

という一節を、あえて逆手に取ったものである。

 

心ここに在らずして見えないのではない。

心ここに在りながら、なお、見ない。

聴こえていても、なお、聞かない。

そこにこそ、現代を生き抜くための知恵があるように思える。

 

それは、世にいう

「見ざる聞かざる言わざる」や

「見ない振り、聞かない振り」

――暴力や不正を知りながら拱手傍観する態度とは、明確に異なる。

 

むしろ「見ぬが花」「知らぬが仏」に近い。

相手を思い、場を思い、あえて踏み込まないという選択。

そこには、弱さではなく、成熟した距離感がある。

 

かつては、

「いかに情報を得るか」が知恵であった。

しかし今は違う。

 

新聞、雑誌、テレビに加え、

スマートフォンとインターネット、SNSの普及によって、

私たちは情報の洪水の中に立たされている。

迷惑メール、フェイクニュース、

さらには真偽の判別すら難しいフェイクAI画像まで、

情報は無限に流れ込んでくる。

 

この時代に必要なのは、

知る知恵以上に、知らない知恵ではないだろうか。

 

知る能力も機会もありながら、

それを意図的に手放すという選択。

それは逃避ではなく、

情報の主導権を他者や社会から取り戻す行為である。

 

敢えて見ない。

敢えて聞かない。

 

その選択によって、

何を心に入れ、何を捨てるのかを、自分で決める。

そうしてはじめて、心の平静は守られる。

 

敢えて見ない強さ、聞かない勁さは、

怖い凡人にならないための方策でもある。

 

心ここにあって生きようとすればするほど、

人間社会の不実性は否応なく目に入る。

だが、どんな情報が飛び込んできても、

自らの内に拠り所を持つ人は、容易には惑わされない。

 

外界の刺激を減らすことは、

一見すると現実逃避のように映るかもしれない。

だが実際にはその逆である。

 

自分自身と向き合い、

深く考えるための静けさを確保する。

そのために感覚を制限する――

それは、成熟した人生における、勇気ある選択なのだと思う。

 

文献

「心焉(ここ)に在(あ)らざれば視(み)れども見えず。

心が他のことにとらわれていれば、たとえ目がそちらに向いていても、目にははいらない。心を集中しなければ、身を修めることができない。(出典『礼記-大学』)」

(尚学図書編:故事俗信 ことわざ大辞典.小学館、1982)

 

「まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない」

(中村 元訳:ブッダの真理のことば 感興のことば.岩波文庫、1978)

 

「人々は眼に見たもの、耳に聞いたもの、華にかいだ香り、舌に味わった味、身に触れた感じ、及び意(こころ)に思ったもののために引きずられ、その中の誘惑のもっとも強いものの方に引きずられてその支配を受ける」

「目によって色・形を見、耳によって声を聞き、鼻によって香りをかぎ、舌によって味を味わい、体によって物に触れるとき、そのよい姿に心を奪われず、またよくない姿に心をいらだたせず、よく五官の戸口を守れ」

(和英対照仏経聖典.仏教伝道協会、1966)

 

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(コリントの信徒への手紙Ⅱ4-18)

「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは…人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主(神) は心を見る。(サムエル記上16:7)

(聖書.新共同訳、日本聖書協会、2009)

 

「選択とは、すなはちこれ取捨の義なり」

(浄土真宗聖典編纂委員会編:浄土真宗聖典 七祖篇註釈版.本願寺出版社、平成8年)

 

「座禅せば四条五条の橋の上往来の人を深山木に見て(大燈國師)。

然れども、是れ或は達人の境遇なり。吾人は内外二面より精神を修養すべきなり」

(清沢満之:清沢文集.岩波文庫、1928)

 

(丸田和夫:随與録.~根源的生命 その窮極的真実に生きる~、文芸社セレクション、2026年2月刊行予定)