malta執持録2026-9-8

(丸田和夫:だちゃかん――百二歳の父が遺したことば.kindle版、幻冬舎、2026年8月31日.)

 

人間は、自由に生きたいと思っている。

けれども、その「自由」は、いつの間にか誰かによって形づくられているのかもしれない。

何を学ぶか。

何を信じるか。

何を恐れるか。

そして、何を「正しい」と思うか。

それらは本当に、自分自身の意思から生まれたものなのだろうか。

 

「リベラルアーツ(Liberal Arts)」という言葉がある。

人間を自由にするための学問、教養という意味である。

偏見や既成概念から自らを解放し、自分の頭で考え、自分の足で立つための知恵。

それが、いまの時代にも求められている。

 

では、その反対に、人間を自由にするのではなく、ある方向へ導き、一定の枠の中に収めていくための「知」や「技術」があるとしたら、それを何と呼べばよいのだろう。

私は、それを「パターナルアーツ(Paternal Arts)」と呼んでみたいと思う。

 

パターナリズムとは、父親的な立場から、相手のためを思って介入する考え方である。

そこには、必ずしも悪意があるとは限らない。

「あなたのためだから」

「社会のためだから」

「安全のためだから」

そうした言葉によって、人間の自由が少しずつ狭められていくこともある。

私は、そのような父権的介入が、教育や制度、情報、そして技術の中に組み込まれていく仕組みを、「パターナルアーツ」と呼ぶことにした。

 

子どもは、生まれる国も、生まれる時代も、家庭も選ぶことができない。

「たまたま、そこに生まれた」。

それだけで、その子は一つの文化、一つの歴史、一つの教育制度の中に置かれる。

もちろん、それ自体が悪いわけではない。

人間は、社会の中で育ち、文化を受け継ぎながら生きていく存在だからである。

 

しかし、その過程で、いつの間にか「こう考えるのが当たり前」「こう生きるのが正しい」と、一つの価値観だけを与えられてしまうとしたらどうだろう。

本来、人間として生まれることは、それだけで祝福されるべき出来事である。

そのかけがえのない命が、国家や社会の都合だけによって方向づけられるとすれば、そこには生命の尊厳と自由をめぐる、深い問題があるように思う。

 

かつての戦時下の日本には、「お国のために命を捨てる」という思想があった。

また歴史を振り返れば、国家や宗教、思想などが、人々の心を一つの方向へ強く導いてきた例も少なくない。

そこでは、自由に考えることそのものが許されなくなり、ときには「自由から逃れる自由」さえ奪われてしまう。

 

しかし、それは過去の歴史や、遠い国の話だけなのだろうか。

私は、そうとも言い切れないように思う。

現代には、軍靴の音よりもはるかに静かで、目には見えにくい「パターナルアーツ」が生まれつつあるのではないだろうか。

 

その一つが、私たちのポケットの中にあるスマートフォンである。

そして、その背後で働いているAIやアルゴリズムである。

SNSのアルゴリズムは、私たちが何を見て、何に反応し、何に時間を使っているのかを学習していく。

そして、「見たいもの」「心地よいもの」「怒りを感じるもの」などを、次々と画面に提示してくる。

私たちは、自分の意思で情報を選んでいるつもりでいる。

 

しかし、実際には、選ぶ前から「選びやすいもの」が提示されているのかもしれない。

そこに、現代のパターナルアーツの、静かな怖さがある。

物理的な国境がないはずのインターネットに、アルゴリズムによる「心理的な国境」が生まれる。

自分と異なる考えに触れる機会が少なくなり、気がつけば、自分と似た意見ばかりが流れてくる。

それは、居心地のよい世界である。

 

しかし、居心地がよいことと、自由であることは、必ずしも同じではない。

むしろ、居心地がよいからこそ、その境界に気づきにくいこともある。

子どもが生まれる国を選べないように、これからの子どもたちは、最初に触れた情報や、最初にクリックしたものによって、知らないうちに世界の見方を方向づけられる可能性もある。

一つのクリックが、その後の「見たいもの」を決める。

「見たいもの」が、さらに次のクリックを生む。

そうして、知らないうちに一つの情報の巣の中へ入っていく。

蜘蛛の巣のように。

 

では、こうしたデジタル時代のパターナルアーツから、私たちはどう身を守ればよいのだろう。

単純にスマートフォンを遠ざければよい、ということではないだろう。

AIを否定すればよい、ということでもない。

必要なのは、むしろ「自分が、いま何によって考えさせられているのか」に気づく力ではないだろうか。

 

その意味で、私はリベラルアーツにもう一度目を向けたいと思う。

正解のない問いに向き合う。

一つの答えだけを信じない。

異なる領域を行き来する。

自分とは違う考えに触れる。

そして、最後には自分自身で考えてみる。

 

そうした学びこそが、人間を自由にするのではないだろうか。

生命とは何か。

人間とは何か。

自由とは何か。

幸せとは何か。

問いに、あらかじめ用意された正解を与えるのではなく、問いそのものを抱えて生きる。

それが、パターナルアーツに対抗する、もう一つの「知」なのかもしれない。

人間を自由にするリベラルアーツ。

人間を一定の方向へ導くパターナルアーツ。

その二つは、これからのAI時代において、ますます私たちの身近なところでせめぎ合っていくのかもしれない。

 

だからこそ、問うてみたい。

私はいま、自分の意思で考えているのだろうか。

それとも、

「考えさせられている」のだろうか。

補遺

(丸田和夫:我が人生の帰趨.kindle版、幻冬舎、2025)

https://renaissance-media.jp/category/gr1484

 

(丸田和夫:随與録.根源的生命.その窮極的真実に生きる、文芸社セレクション、2026年2月)Kindle版 (電子書籍)2026年8月より