malta執持録2026-7-26

(丸田和夫:随與録.根源的生命.その窮極的真実に生きる、文芸社セレクション、2026)

 

庭先で蟻の行列を眺めていると、不思議なことに気づく。私には皆同じ蟻に見える。しかし蟻たちは、それぞれを見分け、役割を持ち、社会を築いている。違いが見えないのは蟻の側ではなく、私の見る距離のせいなのだ。そのことに気づいたとき、人間社会もまた同じではないかと思えてきた。

 

庭先で蟻の行列を眺めていると、ふと気づかされることがある。

私には、どの蟻も同じように見え、区別がつかない。

しかし、それは「人間の目から見た蟻」にすぎない。

 

蟻たちの世界では、一匹一匹が固有の匂いを持ち、それぞれの役割を果たしながら仲間を識別して暮らしている。

同じに見えるのは、観察する側の距離と視点がつくり出した錯覚なのである。

 

このことは、人間にもそのまま当てはまる。

近くで人を見ると、性格や癖、考え方の違いがよく見える。

しかし少し距離を置けば、同じ地域に暮らす人々となり、さらに距離を広げれば、日本人、アジア人、人類という大きなまとまりの中へ溶け込んでいく。

距離が変わるほど、違いよりも共通性が際立ってくる。

 

自然界も同じであろう。

一本の木を見れば、枝ぶりや節の違いが目につく。

森全体を見渡せば、一本一本の違いは消え、ただ豊かな緑として映る。

さらに上空から眺めれば、森も山も川も、大地を彩るひとつの景色となる。

 

人間もまた、視点を変えれば、「違い」より「同じであること」の方が、はるかに多い存在であることに気づく。

肩書きや立場を脱ぎ捨てれば、誰もが老い、病み、迷い、そして死を迎える命である。

さらに心の奥を見つめれば、「生きたい」「愛されたい」「苦しみたくない」という願いを、誰もが等しく抱いている。

私たちは違いを見て生きているようで、その違いは、見る距離によって現れたり消えたりする。

 

だとすれば、本当に実在しているのは違いなのだろうか。

私たちは、一つの大きな命の現れを、それぞれ別々の存在として見ているだけなのかもしれない。

他人だと思う人とは、自分の心を映し出す鏡であり、自分の価値観が映し出したもう一人の自分でもある。

 

蟻の行列は、静かに教えてくれた。

「距離が変われば、他人などいない。みな自分である。」

ということなのかもしれない。

その一歩手前にあるのは、「違い」を超えて「同じ命」を見つめる眼差しなのだろう。

 

補遺

(丸田和夫:我が人生の帰趨.kindle版、幻冬舎、2025)

https://renaissance-media.jp/category/gr1484