malta執持録2026-1-17

『我が人生の帰趨』kindle版、幻冬舎、2025年より

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人と話していて、心がざわつく瞬間がある。

それは大きな対立ではなく、何気ない世間話の中で、ふいに訪れる。

 

「私はこう思う」と口にしたとき、

「それは違う」「ああ思う人もいる」と返される。

さすがに腹が立つ。あまりいい気分がしない。

 

けれど同時に、私は気づいてしまう。

他人の考えに対して、同じように否定的な言葉を投げかけている自分の姿に。

 

これは、自己撞着にほかならない。

人は、自分が否定されることには敏感で、

自分が否定することには、驚くほど無自覚である。

 

このすれ違いの多くは、「観」と「思考回路」の違いから生じている。

見ている世界が違えば、結論が違うのは当然なのに、

人はつい、自分の立っている場所を唯一の正解だと思い込んでしまう。

 

中には、無意識にマウントを取ろうとする人もいる。

自分の考え方が正しいと、執拗に迫ってくる人もいる。

それはそれとして、そういう人がいるという現実を、

まずは受け入れていけばよいのだと思う。

 

本質を突き合わせるディベートであれば、議論は有益だ。

しかし、現象だけを叩き合う会議や口論は、

「ああ言えば、こう言う」の応酬になり、見ているだけでも息苦しくなる。

 

人の心というものは、実に難儀である。

 

世間話ですらそうなのだから、

政治や宗教といった話題になれば、論争は避けられない。

熱を帯びれば諍論となり、やがては喧嘩別れになる。

個人のレベルを超えれば、国と国との争いとなり、戦争にさえ至る。

 

そこには、人間の愚かさが、あらわになっている。

 

昨今の国会中継や世界情勢の報道を見ていると、

自分の心が、いつも試されているような気がする。

 

古に、厩戸王(聖徳太子)は、

十七条の憲法に「人と違うことを怒らざれ」と記した。

 

人が自分と違うことをしても、怒ってはならない。

違いを認め、感情に呑み込まれず、多様性を受け入れよ、という教えである。

 

千年以上前の言葉でありながら、

現代の人間関係や組織、国際社会においても、

なお色褪せることはない。

 

怒りは、本来、生き延びるために備わった防衛本能だという。

それでも現代の私たちは、言葉や価値観の違いだけで、

激しい怒りに揺さぶられてしまう。

難儀なものだが、

若いときはそれでもいいと思っていた。

 

だからこそ必要なのは、

人の意見を一端「受け入れる」という寛大さと、

「意に介さない」という勁さである。

自分には真実に生きるという確かな立脚軸があるからこそ、

 

一度、自分の中に情報として取り込み、

吟味したうえで、振り回されない。

それができれば、怒る理由は驚くほど減っていく。

 

情報が激しく飛び交い、

何が本当で、何が嘘なのか見えにくい時代だからこそ、

「異議は受け入れ、意に介さない」という姿勢が、心を守ってくれる。

 

難儀な心は、無理に正そうとしなくてもいい。

ただ、無難に転ぜられていく。

老いの身となった今では、

それだけで私は、少し、穏やかに生きられる。

 

文献

「怒りは時がたつにつれ癒されるが、憎しみのほうは癒すことができない」

(アリストテレス著、戸塚七郎訳:弁論術.岩波文庫、1992)

 

「間違った者を怒るべきでないということ」

(鹿野治助訳:エピクテートス 人生談義〔上〕.岩波文庫、1958)

 

「怒りに対する最良の対処法は、遅延である。怒りには、はじめは激しい突進がある。待っているうちに熄(や)むだろう。一部ずつ摘み取っていけば、怒り全体を征服できるだろう」

(セネカ著,兼利琢也訳:怒りについて.岩波文庫、2008)

 

「粗暴・乱暴・怒り・高慢・嫉みなどのようなこれらの(感情)はじつに汚れに導く。これらのために減びることのないように。(アショーカ王)」

(中村 元著,春日屋伸昌編訳:日本思想史.中村元英文論集邦訳シリーズ2、東方出版、1988)

 

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である」

「怒りを含んだことばは苦痛である」

「打つ人にたいして怒りを放つな。打つものには禍がある。しかし打たれて怒る者にはさらに禍がある」

(中村 元訳:ブッダの真理のことば感興のことば.岩波文庫、1978)

 

「忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもえりのいかり)を棄てて、人の違(たが)ふのを怒らざれ。(聖徳太子『十七条憲法』第十条 )」

(教学伝道研究センター編:浄土真宗聖典―註釈版 第二版-.本願寺出版、2004)

 

「戯論・諍論の処は、多くもろもろの煩悩を起す。(『往生要集』巻中)」

(浄土真宗聖典編纂委員会編:浄土真宗聖典 七祖篇―註釈版―.本願寺出版社、平成8年)

 

「高慢で、何も分らず、議論や口論に病みつきになると、そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じ、精神が腐り、真理に背を向けようになる。(テモテへの手紙一6:4-5)」

「知恵ある者たちの論議はむなしい。(コリントの信徒への手紙一3:20)」

(聖書.新共同訳、日本聖書協会、2009)

 

「怒りを観られた瞬間、怒りは消える」

(アルボムッレ・スマナサーラ:怒らないこと 役立つ初期仏教法話1.サンガ新書、2006)

 

「他人の過失について怒るべからず。(清沢満之)」

(安富信哉編・山本伸裕校注:清沢満之集.岩波文庫、2012)

 

「ぼくは君たちに憎しみを贈ることはしない。憎悪に怒りで応じることは、君たちと同じ無知に陥ることになるから」

(アントワーヌ・レリス著,土居佳代子訳:ぼくは君たちを憎まないことにした.ポプラ社、2016)

 

(丸田和夫:随與録.~根源的生命 その窮極的真実に生きる~、文芸社セレクション、2026年2月刊行予定)