なのだ。

夫の寝たきり生活と予測を超えた(おそらく数ヶ月続くと思われる)

入院生活を宣告されたそのころの出来事だったと思う。


突然携帯電話携帯が入った。

私は夕方職場で忙しくしていた頃・・・

「お店で働いている子が妊娠しているけど、健診にいったら赤ちゃんの心音が止まっている。

彼女がとても不安でいる、先生は1週間様子見よう、というけど大丈夫なのか?

何とか治療ができないのか、その医院は信頼できるのか?・・・」

レストランを経営している義弟からの、ヘルプコール。

異常に興奮してショック!何とかして~と言う内容だ。


とにかくお店(レストラン)の従業員が妊娠していていたとしても

彼女の夫はどうしているんだろう?と私の直感ひらめき電球が目覚めて心の中でつぶやく。


ちょっと待って、どういうことなの?」


「妊娠6週くらい、日本の事がよくわからないから、小さなクリニックにいっているんだけど

衛生的にも見てきれいじゃないし、他の患者さんにもあったことないし、

そのクリニックに行ってて大丈夫なのかと思って・・・・」

義弟は外国人なので日本のクリニックの状況や

病院のことはよくわからないらしいのだ。


でも電話をくれた義弟も実は2週間くらい前に持病の治療で入院したばかりだった。


なんてこった


「本来なら自分が彼女を連れて他の病院に一緒に行ってあげられるけど

自分も入院中なので身動きができない。

頼む他の人もいないガーン。」


うっそ~叫び

なんでこんな時によりによって重なるわけ~。


とどめの言葉が

「おなかの子は僕の子」

えええええ~えっ


それって、ふ・り・ん ていうんじゃないのかしら。


「自分の奥さんはいるのでしょう。ど~すんの?」


3~4ヵ月位前持病でどれだけ生きられるかわからないと思ったときに

自分の子どもを残したいと、魔が差したらしい。

正妻は長年子どもができなく

何度も胎外受精もしたがうまくいかず

今は里子の話を妻が言い始めて嫌気がさしてきた~のだそうだ。


そのいきさつのなかでの出来事のようなのだ。

今回の入院前は実はセカンドオピニオンを受けて

「治る病気だよ、治療を前向きに受けるように」とアドバイスを受けて今回の入院治療に結びついている。


義弟の勝手に早合点し、思いこんだ、焦りの行動が生んだ結果だ。


私は知りたくもない事実を義弟から告発された。

「兄には言わないでほしい、なんとか助けてほしい、彼女は不安で一杯なのに

自分は入院していて側にいてあげられない、ひとりぼっちでいる」


でも本当に子どもは生命を与えられたのだろうか?

神様は全てを知っている・・・とその時私はそう感じた。


それからの1週間は予想外の出来事に遭遇していった。

産婦人科救急の現状にも突き当たり、一つ間違えば

生命の危機につながる出来事、

他人事と思っていただけに思い知らされることとなった。



病気は家族をめちゃくちゃにもするし、家族の絆を強くも結んでもくれる・・・

両方を持ち合わせている、ということなのか・・・・・。







確定診断にいたるまでの気持ち・・・・・といえば

不安、安心、安堵、焦り、両極端な気持ちがコロコロ入れ替わる

というこは「不安定」だったんだなと思う。


39.9℃のときは8月だったけどインフルエンザかと思った。

まあ、3~4日で下がるだろうと、なんとお気楽な気持ち。

4日後に入院した。

毎日39℃を超えるけど出っぱなしではなく

朝は37℃くらいに下がる弛脹熱だった。


仕事で山の方にもいくので疑われたのは

リケッチア、マラリア、・・・

脾臓が腫れている、血小板が減少

血液の病気?悪性の病気?

調べてもわからず、原因もわからず、

肺のレントゲンもきれいだし・・・


相変わらず腰痛だけは激しかった

でも入院前の腰椎のCTやMRIには病気を診断できるような病変はなかった。

(そのときはしかたない、あとで見直したらかすかに違っていたようだが、

そう思ってみなければ全くわからない程度だったのだから)

その間に病魔はドンドン進行していたんだな~


転院したときにはそのフイルムがあったから再度同様の検査をすることはなかった。


最後はガリウムシンチと再度CTで腰椎が引っかかり

腰椎MRIに虫歯のような虫食いの映像な写っていた。

ここでケッカクが疑われた。


腰椎がくしゃっと潰れたら、脊椎麻痺になるので

9月中旬からはいっさいベッド上安静。

毎日天井を眺める生活に夫は相当のショックを覚えたらしい。


しかし、薬の効果は絶大ひらめき電球だった。

6~9ヵ月毎日欠かすことなく飲み続ける。

飲み薬で4種類だったけど3~4日で38℃台の熱になった。

1ヵ月くらいすると37℃台の熱に落ち着いていった。


しかし、整形外科に転室するには炎症反応が強くて

4ヵ月は内科の混合で過ごした。

季節は夏打ち上げ花火から秋お月見、冬クリスマスツリー


耳鼻科も一緒だったので同室で耳鼻科の手術の人が

男性はボクサーの方が多かった。


私の生活も毎日仕事帰りに病院による日課、

息子の進学(実は受験生だった息子叫びあとでとんでもないことに~)

のことや夫の仕事先へ連絡、

自分の仕事はもちろんのこと

ほんとうに乗り切ったな~と今更ながらに思う。


でもどのような状況になっても受け入れるしかなく、

なるようにしかならず、気持ちを前向きに切り替える、

なのだなと悟った。経済面¥での対策と試算は要だったかも。


私の場合は、周りの人からはそっとしてももらいたいと思うタイプだ。

職場でも心配して聞かれたけど、できたらあまりふれてほしくないな、と思った。

とある離れた立場の上司から突然「ご主人大丈夫?」ときかれてびっくり目した。

私は休みを取る関係で直属の上司だけに話していたことが、

「○○さんのご主人が具合悪いのご存知ですか?」と別の上司に言った。

実は私はそのような伝言ゲームみたいなのが大嫌いなんだ。

仕事に直接関係しない家族の事までは口外しなでほしいな~

率直な気持ちだった。

(私も気をつけよう、何げに同じようなことしていたりしてえっ)


心配してもらう、気遣ってくれる相手の気持ちを無にしないようにと思わなければならず、

返って負担に思う。私ってわがままなのかな~。


心を許して腹をたてたり、しゃべりくすぎることなく

上手にかわす方法を身につけなければ、と学んだ。


つづく





夫が退院してちょうど1ヵ月が過ぎた。

入院したのが去年の夏。

8月の下旬だったけ。

39.9度の高熱が続き、原因不明だった。

弛脹熱だったから何かの感染症の疑いがあったけど

腰痛もひどくて、椎間板炎ともいわれて、

でも熱とは関係ない、ともいわれて

毎日熱が39度を超える度に

どうなるんだろう~って不安だったなあ。


抗生剤の点滴って一時的に熱も下がるので

本来の病気の姿が隠れてしまい

診断に返って時間を要してしまうらしい。


結局は1週間たっだところで知人に相談して

私が主治医に転院を希望し大学病院へ移った。


薬を止めて熱の出方をみて

病気を一つずつ排除していって

炎症の場所を絞っていって・・・・・

診断までにはそれから2週間あまりを要したことになった。


腰椎の骨と膿瘍の穿刺を2回して

化膿性脊椎炎かと思いきや・・・・

下された診断は


な・な・なんと ケッカクセイセキツイエンガーンだった。


それが9月中旬、

それから寝たきりのなが~い闘病生活が6ヵ月も続いたのです。しょぼん


つづく