ご無沙汰しております。


聞かせていただいている人生に、なぜこんなに悩みが多い人生を送るのか教えてほしいという壮年の男性がおりました。


占いという言葉は実に誤解の多い言葉で、

質の悪い社会では二分化思考に取りつかれた、現実を見据えられない人間が求めるもの「当たるか当たらないか」にばかりこだわるものに執着しがちです。


当たるか当たらないかを求めていけば、開運しません。


当たっているかどうかは、自分で検証する必要があります。


そこで、素質が当たっているようならば、それをさらに活かすよう行動することが必要となってきます。

運勢は心がけ次第というのは、実に都合がよいように聞こえますが、この心がけ・心構えのできていない人物、すなわち「当たるか当たらないか」にこだわる人物は、ものごとを自己以外のもののせいにし、自分で命式を昇華させて成熟状態になってゆくことを選択しません。

つまり、もって生まれた素質を生かせないので、環境がどんなによくてもそこそこの人生をなんとなく他人の意志に翻弄されながら、「占いってあたらないな」とつぶやきながら生きることになります。


自分を信じる力をつける、自分の付加価値を高める努力ができない命式は、それがどんなに立派なものでも未成熟な状態のまま死んでゆくのです。


ではどのような状態が成熟にむかっているかといえば、それは簡単な判断のしかたがあります。内容は、その人間(もしくは自分自身)が、なにかうまくいかないできごとに出会ったときにその原因を自分の中にみるか、それ以外のもののせいにするかどうかです。


無駄に自己否定をする必要はありませんが、受け止め方や選択の自由を認め、それが自分の責任で行われたということを自覚する必要はあります。


よくある語りでは、「この先どうなりますか?」といった決まり文句ですが、どうなるかではなくあなた自身が「どうなりたいか」を考え、そうなるためにはでは「どのように行動すべきか」から選択してゆくということです。


そのためには、あなたの素質が今どのような状態で、この先どのように活かすことで望む人生を作ってゆけるかといったことを真剣に考えることです。


また、占い師と霊能者をいっしょくたにしている方が多いですが、別物と考えたほうがよいでしょう。もちろん、どちらも持ち合わせており活かしていらっしゃるかたもたくさんいますが、霊能の力がないから占い師ではない、占いの知識がないから霊能は偽だ、という理論は成り立たないものと考えます。


どちらが良いかということではなく、その時のその人に合う相談者を選択し、自分にしっくりくるアドバイスを選択することです。

そして、選択したらそれは行動してゆく自分の責任でもって受け止めることです。


あくまでも、人生の主人公は自分であって、どんなに偉い人が出てこようと、どんなに自分自身が地味だとかんじようと、自分の人生の主人公は自分なのです。

ですから、どんなときもアドバイスはアドバイスとして受け、選択や行動は自分自身の決定のもと歩んでいかなければ、それは誰かが決めた人生をなんとなく生きるだけのものになってしまいます。


おおきな波にのまれることもあります。世界的な経済の動向や、災害などの人間一人ではどうしようもない不幸な出来事です。こればかりは、本人の選択といでどうこうできる範疇のことではありません。

ですが、そういったことを除けば。たとえ今、どんなに厳しい人生に出会っていようとも、それは自分が選択してきた結果の自分だと考え、「でも・だって・しかし・」を捨て、今とこの先を真剣に考えることです。


本能に生きることも、理性に生きることも同じ車輪のなかのこと。


どちらかしかないということはなく、見えないだけ、今は出ていないだけ、で、存在しているものです。


どう生きたいかで、それをどのように行動してゆくかで未来を作っていってください。



花房灯子


この世に生きる中で、体があるゆえに湧き出る欲望の様々に皆さんはお悩みになると思います。

名誉や金銭、愛欲、自尊心。毎日さまざまな煩悩に悩まされて生きています。


持たない生活がよいとされて、捨てる技術が流行ったりしています。


生きているうちにしておいたほうがよいことは、欲を満たすことです。


最初から欲望が薄いかたが無理をしてモノやひとの意識を集める必要はありませんが、湧き出る欲望は満たすことです。


物欲が満たされてかえって質素な暮らしになって、

名誉欲がみたされて人の目を一切気にしなくなり、

金銭が集まってやがて手放し、

愛欲が満たされ情が流れてゆく。そして、この世でやるべきことがすべて終わる。


とことんやればいいのです。


そのあと、「もう充分やった。」という心境になればいいのです。



生きるとは複雑で、そしてシンプルです。


矛盾するようなこと、相反するように思えることもあります。

陰と陽がすべてを物語っています。


陰だけではなく、陽だけでもない。

黒か白か決めたがるひとが成仏できなかったり生きにくいことは、このことが胎からわかっていないからです。


いつ死んでもいいように、その時を精いっぱい生きることと、明日への希望のために今は耐えようと根を張る努力をすることは違うようで同じ輪廻の中にあるのです。


好きだけど嫌い、もそうです。

白いけど黒い、も、それです。


思い切り生きてください。









花房灯子

花房さんこんにちは。

三つ子の魂百までって、うまいこと言ってると思いませんか?私、今自分が恋愛をうまくできないことはやはり親の恋愛沙汰に巻き込まれて育ってるからだと思います。


もちろん大人になれば、もうなにかをすべて親のせいにしてたら生きられないです。

でも、親が仲良く愛のある家庭に育った人間と、そうじゃない人間はやはりどこかで確実にその恋愛に影響するって思います。


私には二つ年上の姉がいますが、母は姉のことは好きだったと思います。

でも、私のことは多分いらなかったんじゃないかなあ・・・

私が赤ちゃんのころ、お母さんの恋人だった人とホテルに一度行ったことがあるそうです。

赤ちゃんだから、私はそんなこと知りません。

姉は三歳児で、幼稚園にいっていたし、もしそうでなくてもよく動き回るからつれて行かなかったと言っていました。


なぜこんな話を?誰に聞いた?と思うでしょうね、この話は母から聞きました。


姉は、25歳で結婚して子供を持ち、家庭はうまくいっているように見えます。交流はほとんどないですが、たまにする電話の様子やメールなどからそう感じます。

母と、父が仲がよかった時期に赤ちゃんだったからではないか?とか、

結局母は姉が好きだったから、姉にはきちんとした愛情が十分に伝わったのではないかとか思ってしまいます。


母は姉はかわいかった、好きな人との初めての子供だったからね。と言います。

私を生んだ時は、すでにほかの人と付き合っているような女です。

父と母ですか?まだ結婚していますよ。まだ・・・しているって言い方はおかしいですけど。

婚姻関係にあります。

母は経済力がないので、離婚は難しいと思います。

自称「体が弱い」で、セックスする体力も化粧してどこかへ出かける気力もあるのですが、「体が弱く働けない」と言います。

父は無口だし私たちにはなにも言いませんが、母とセックスだけはいまだにしています。

こんな夫婦になりたくない。


私は結婚して、子供を産みましたが母と同じ道をたどっています。

その相談を母にしたので、さっきの話を聞いたのです。


母は笑うでもなくこんなことがあったよ、といった淡々とした感じでこの話をしたのですが、私や父に対する愛情はやはりこれっぽちもなさそうに感じました。

お姉ちゃんが生まれたときのあれ(お父さんは)はもうね・・・でもなんであんなになっちゃったのかな?と、父への愚痴とも不満ともいえないようなぼやきのあと、

「あなたのことはおろそうと思ったのよねえ」などというのです。


こういった流れの話を聞いたので、子供のころからなにか感じていた寂しさ未満、焦燥感のような寂寥感のようなわずかな感情は、心に封印していた魂の記憶なのかなと思ったのです。


人のせいにして、不倫を正当化するという人もいますけど。


いくら隠してたって、わたしみたいにみんな気づいてる。

赤ちゃんだったんだから、母に徹したらどうなのと憤るけど、知らないうちに自分に向っても言ってたんですよね。


なんだか支離滅裂になってきました。すみません。


花房さんは、感情に走ってすべてを失っても、覚悟のあるものならば受け入れて生きていけばいいと言いました。

覚悟ないです。

夫もなにを考えてるかわからないところはあるけど、好きです。でも、恋人とも会ってしまうのです。

息子も、いずれ私のような愚かな女性を選ぶのかと思うと、やめなきゃって頭ではわかってるんですけど・・・

結局のところわかってないですかね、私。


恋人とも、夫ともうまくやってるつもりでいた時期もあります。

でも最近思うのです。

花房さんが言っていた、因果ということば、報いはどこかで、想像もしなかった形でやってくるってこと。

何十年もたって、孤独な晩年を過ごすことになるかもしれない。そう思っています。子供は、親の不仲や信頼関係のなさを知るんじゃなくって、そういうものを肌で感じているんですね。


何も知らなくても、同じような相手を選び同じような道をたどるんですから。



好きな人と結婚するようになってから、離婚も増えましたよね。

結婚の始まりが、恋愛でなかった時代の方が離婚もすくなく、かつ仲のいい夫婦が多いのって、耐えるや価値観のすりあわせをせざるをえなかった苦の時期を共に過ごすことで理解の境地に至るからですかね。

不思議に思います。


結婚って、家族ってなんなんでしょうか。