お久しぶりです。
お久しぶりをものともせず、早速の
最近見聞きした出来事から感じた、
自分理屈、自分語りのお話です。
仲間や分断のお話。
最近、いろいろと分断のお話を見ると
思っております。
男女間のお話とか。
SNSでの争い、叩き合いの様子が、
嫌でも目に飛び込んで来ます。
それに疲れたという声も見かけたの
でした。
SNSの女叩きに疲れました
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14301255779
世代間の争いのお話もあります。
これ以上高齢者を優待する制度への
お金はないと嘆く余裕なき若者と。
今の支援や福祉を減らすなと訴える
高齢者。
幌市の“敬老パス”見直し案、
若者の賛成主張に意見交換会が紛糾
行政サービス何をどこまで?
「もう少し税負担を増やして
薄く広く負担する社会に」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a368c623c56167907f61ceef51876aaa7d1ba0da
収入格差もありますね。
高収入(年収1000万とか)で子育て
している方が、税金を多く取られて
大変、3人目を諦めた、等と言おう
ものなら。
贅沢をしている、甘えだ…といった
評価をされるのです。
年収1000万あって、
経済的に子育て大変などと
言っているのは、
税金負けてもらう話をすることに
時間をかけるより、
自治体の福祉の家計支援を受けて
お金の使い道を再考した方がよい
燃費の悪いクルマ乗っているか、
習い事をさせすぎているか、
言われるままに保険に
入っているか、ではないか。
https://x.com/kurokawashigeru/status/1853064275528446223
そもそも子育てどころか結婚だとか
親の面倒、自分の将来まで不透明な
方からの攻撃の的なのです。
富裕層の定義の件で
年収1000万でも子育てしていると
カツカツなんだから勘弁してくれ
ってツイートしている人たち、
あれですよね、ちゃっかり自分が
1000万プレーヤーであることを
さりげなくアピールしてるんです
よね。
私も卑下自慢をよくやるんで
手法はよく分かってますよ
https://x.com/flying_vet_s/status/1860988441087103002
この他にも事例はありますが。
自分と同じと見なせる特徴・特性を
持っている方に共感をして。
その逆は叩きたくなるものなのです。
子持ちと子無しとか。
既婚と未婚とか。
ブルーカラーとホワイトカラーとか。
ゲーマーと非ゲーマーとか。
人はさまざまな「所属」と、それと
相対する「相手」を持つのです。
いつぞや見た解説動画でもあったの
ですが。
オリンピックで、日本人選手が金を
取ったら何となく嬉しいってのは、
同じ国だと意識するからなのです。
逆に、遠い昔だったり、自分と関係
ない業界のお話でも、日本が損して
いたと知ると、何となくおもしろく
ない気分になるのです。
なぜ他人の不幸はおいしいのか
【ずんだもん】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42823234
あと、あくまでそのお話を受けての
例えばのお話なのですが。
中国とかロシアとかの昨今ちょっと
世界の平穏を脅かしたり。
韓国とかの日本の不幸を喜ぶような
国について。
そいつらが勝ったり認められたり
してたら、面白くないと感じる輩も
いるのかも知れません。
自分を「世界の平穏を望む側」だと
思うと、侵略や侮辱、戦争しようと
している様に見える連中の国や輩は
「相手側」になるのです。
最近の話題のお話。
元SMAPの中居氏による性上納問題に
ついて。
私も真実なぞ知る由もなしなので、
ネットの拾い物の情報を引用すると
するのです。
【時系列】
中居正広は渡邊渚に何をしたのか?
真相まとめ!9000万トラブル
https://entamefamily.com/nakai-watanabe/
多くの方は女性側の味方をするかと
思われます。
たぶんね。
それは、
「権力や影響力を振りかざすことで
金や得て私腹を肥やしたり、他人を
ないがしろにする様な扱いをする」
という輩に対して、強く憤る精神が
日本人には宿っているからなのです。
時代劇根性とでも言いますか。
悪代官と越後屋が手を組んで、町の
生娘を手籠めにする、というような
構図に対しての憤り。
無条件で
「成敗!」
されて然るべきと考えるのです。
成敗されるとカタルシスを得るのが
日本の心、サムライスピリッツなの
です。
但し、その心なく、一部の中居氏の
ファンだと自称する方においては、
今回の話は被害女性が悪、中居氏が
被害者なのです。
「自分は中居氏側」と思うと、被害
女性側の方が「叩いていい者」側、
相手側になるのです。
中居正広さんの引退発表を受け、
性被害を受けたと噂される
渡邊渚さんのインスタに
“中居ファン”が集結
→ 誹謗中傷を連投…
https://sn-jp.com/archives/229071
この「所属」と「相手」という考えを
帰属意識とか社会的アイデンティティ
とか言うようなのです。
帰属意識とは?
意味やエンゲージメントとの違いと
低下する原因や高める方法を
簡単に解説
https://www.hrbrain.jp/media/human-resources-management/sense-of-belonging
ちょっと違うかも?
まあいいか。
これも以前見た動画で解説されていた
のです。
【解説】
W杯で選手や監督にキレる
サッカーファン
【ずんだもんの心理学】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41501742
社会で属性が増えたり、幅が広がったり
すると、自分から見ての相手が増える…
つまり「敵」が増えるのです。
世代差があっても、生活環境や文化に
大差なければ敵対視もないのですが。
昭和と平成と令和の差は埋められず、
大きな軋轢を生んでいるのです。
もはや他人や異国人レベルなのです。
なんなら、同世代の海外の方のほうが
近しいセンスや感情を持つのです。
収入格差も、貧しい側の生活に不満が
ない程度であれば、多少の羨望はある
としても、恵まれた者への恨みにまで
至らないかと思われますが。
年収に2倍、3倍と差があったり、
働き方や福利厚生、休日の数にも差が
現れたりしていれば。
もはや例えでなく「敵」なのです。
貧しい者から見て恵まれた者の没落や
失職が「愉悦」と、没落が「勝利」と
感じるレベルになるのです。
だから、中井問題・フジテレビ問題で
フジテレビ社員も叩かれがちになるの
です。
フジ37歳男性アナ
会社への“涙の訴え”に波紋を
呼んでしまった“余計なひとこと”
https://news.yahoo.co.jp/articles/6dca65ff3da0b617f00af508a2be8b35666f3d3e
それは、テレビ局社員側のこれまでの
言動から垣間見える選民意識も原因で
あるのですがね。
「一般人と我々とは違う」
フジ“逃走中ロケ”で住民トラブルか
テレビマンの時代錯誤な
“選民意識”が顕に
https://news.livedoor.com/article/detail/25997890/
テレビ局側から見て、ユーザーである
視聴者を「相手側」とするメリットは
ないわけで。
そんなことをしたから、上述のように
「選民意識がある」と批判される事に
なるのです。
もちろん、視聴者側だって、テレビが
落ちぶれてメリットなどないわけで。
質の高いコンテンツが期待できなく
なりますし、CMやイベントに勢いが
なくなれば、まわりまわって自分達の
地域の商品クオリティや活気の低下に
つながるのです。
それでも。
それでも、「敵」に敗北を与えられる
なら、そちらを望むのです。
そのくらい、「自分から見て敵だ」と
立場の差を感じさせる場が多くなった
のです。
それほど、敵と感じてしまうほどに、
差が生じてしまっているのです。
さて、ここで私のお話。
ここまで敵の多い世の中、平和な心で
生きていくにはどうしたら良いか。
それは単純なお話。
「自分と違う所属を倒そうとしない」
と思うことなのです。
自分の所属に強く拘らない。
相手の所属が在る事を尊重する。
自分と違う考え方があっても良い、と
考える。
自分の考え方を理解して貰えなくても
批判されても良い、と考える…
としているのです。
男女間問題のお話も。
私は男ですから、対立の様子を見ると
たいてい男側の理屈に納得なのです。
だからと言って、女性側の何もかもが
間違っていて、そんな考えは潰さねば
ならない…なんてのは思わないように
しているのです。
男憎しの感情を取り繕うために理屈を
くっつけたり。
結果矛盾が生じたり、逆にその批判の
仕方だと女性側も含まれるような事が
あったり(いわゆるブーメラン)。
そのように不完全やウソが垣間見える
のですが。
不完全でも良い、と考えるのです。
ウソも言いたくなる気持ちなのだな、
と裏の本音を慮るのです。
無論、男側だっていつも完全ってワケ
ないものですからね。
ウチの職場でもあります。
アイツはアレが出来てない、とか。
コイツはココを忘れてた、とか。
キリキリと監視のし合いみたいな事を
している場面をよく見るのです。
百歩ゆずって、そういう他人のミスが
気になったりしても。
それをいちいち、口や態度にしたり。
あまつさえ文章にして回覧したり。
そんな揚げ足取り合いみたいなこと、
神経も時間も労力も記憶も紙も命も
もったいないのです。
バカじゃないですか?
もうやめましょうよ。
自分と違う、自分はそうは思わない
というような考え方があっても、
それを無くそうとはしないのです。
自分の考え方だけが唯一の正解だと
思うべきではないのです。
逆に考えるのです。
自分と違う考え方の人がいてもいい
さ。と。
その考え方で案外うまく行ったり、
幅広い人からの指示が得られたり。
逆に間違っていれば自分の考え方が
やっぱり正しかったという学びにも
つながったり。
自分ひとりでは掴めない知見になる
かもしれないのです。
そういうのもあるのか、とね。
それが本当の「多様性」なのです。
『あってもいい』。
『そこにあることが当然』。
そう考えるべきなのです。
特別扱いして大事大事にしたり、
大事大事を強要したり。
「こんな考え方があるよ!」
「これ、否定しちゃだめだよ!」
とさらし者にしたり。
それは全くの逆効果なのです。
LGBT問題についても。
先日なんか写真展だか開催されてた
らしいのですが。
なんでそうやって特別扱いするのか
と批判されていたのでした。
【荒川区】
男女平等推進センター(アクト21)
にてLGBT写真展が開催されます。
https://x.com/goguynet_tokyo/status/1885105477123559434
理解を深めよう、自分らしく生きる
ことができる社会にしよう、という
思惑があったそうなのですが。
「この人たちは変な人ですけど
差別しちゃダメですからね、
変な人だけど!!!!」
という、逆に特別扱いの意思を感じる
方もいた様子なのです。
その「特別扱い」が苦しいのにね。
さて、締めます。
私のお話。
これまで生きてきて、経験してきた
所属を大切にしながらも、それとは
異なったり相容れなかったりする
所属も否定せずに容認する。
すべての考え方に拘らず、すべての
考え方が「在ってもいい」と思う。
自分に帰属しつつも、他人を否定や
殲滅しようとしない。
この考えに意識せずに至り、無理に
ではなく自然と心から実践できる様に
なったのは、私が老いたからか。
それとも、これまでの自分に満足して
いるからか。
それとも、これからの私に過不足が
ないからか。
いずれ、こんな飄々とした感じで、
気負わず飾らず、されど腐らず。
肉と酒と猫とウクレレに包まれて、
のんびりと人生を過ごす事が出来て
いて、いまは幸せなのです。
病は気から。
あれこれ敵視する態度で生きてたら
体や心も病んでくるのです。
のんびり幸せに生きたいと願うなら
態度や考え方のほうを先にゆる~く
してみては、いかがかしら?