趣味のお話と、生き方のお話。
最近の趣味はYouTubeとRobloxを
PC上で並べてプレイする事なの
です。
こんな感じ。
ちなみに、Robloxにはブロフルこと
ブロックスフルーツというゲームが
ありまして。
とある方のRobloxランキング動画に
よりますと、ブロフルは2024年の
第一位に選ばれたんだとか。
みんなが選んだロブロックス神ゲー
TOP20 2024年版
【ROBLOXおすすめランキング】
【ロブロックス | ROBLOX】
しろばらぼ
https://www.youtube.com/watch?v=ukF-JcJHoYM&ab_channel=%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%83%A8%7CShirobaLab.
ブロフルは私も結構プレイしている
のです。
レベルは現時点でカンストの2600。
お気に入りのアバターでプレイする
事ができるのがRobloxの良い所。
こんな感じ。
大丈夫?センシティブじゃない?
本当はドレスを着ているのですが、
表示されないようなのです。
それはさておき、YouTubeの方。
最近、山岳事故紹介動画を良く観て
いるのです。
山岳遭難【生き残る極意】
https://www.youtube.com/@%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E9%81%AD%E9%9B%A3%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%AE%8B%E3%82%8B%E6%A5%B5%E6%84%8F
低酸素や寒さ、飢えや悪天候など。
過酷な環境で、少しずつ、しかし
確実に近づく死というのは何とも
恐ろしいものなのです。
私の記憶が確かならば、その動画の
中で、
「登山てんでんこ」
という言葉を紹介されていました。
元は「津波てんでんこ」って言葉が
あり、更に元をたどると
「津波が起きたら命てんでんこ」
という三陸地方の教訓なんだとか。
調べたところ、良い紹介記事を発見
しましたので、ご紹介。
【津波てんでんこ】
4つある本当の意味とは?
7割の人が知らず
自分勝手だと批判的
https://bousaiseed.com/post-252
本記事を受けて、自分なりに解釈を
した「てんでんこ」のお話。
てんでんこ、各自という意味なのだ
そうで。
それを踏まえて、津波てんでんこと
いう言葉には4つの意味があるとの
こと。
①自助原則の強調
自分の身は自分で守るということ。
他者を助けようとして自分が助から
ないのは、元も子もないのです。
まずは自分の身を最優先に。
これは山岳事故でも同じで、自力の
下山が困難な遭難者を置いていくと
いう決断を迫られる場面はあるもの
なのです。
そういう極限の場面で泣く泣く遭難
者を置いて下山された方がいるとの
動画もありました。
そばにいてあげたい、助けたい、と
いう思いは十分承知なのですが。
そこは自分の命も危うい場所。
自分ひとりだけでも避難することを
いつか決断しなくては、自分を救う
事もできなくなるのです。
実はこれは私の従事する警備業でも
言えるお話でして。
強盗などを見かけて、破れかぶれの
相打ち覚悟で実力行使の制圧をする
のはご法度なのです。
ひとり討ち取ったとして、自分が
動けなくなった後、どうするのか?
相手に仲間がいたら?
警察への通報や現場保存は誰が?
自分勝手なお店の人からしたら、
「盗まれない為に雇ってんだろ!」
とか言いたくなるでしょうけれど。
警備は奪い返すのが業務ではなく、
それ以上の被害を最小限にしたり、
犯人の素性をより明確にするなど、
その後の対応に繋げる活動をするの
が業務なのです。
自分が生きてこそなのです。
「信長の忍び」というアニメでも
言っていました。
「忍びは主のために死ぬことは
できない、何があっても生き抜いて
情報を持ち帰るのが使命」
と。
逮捕は警察に任せるのです。
警察への通報と、その際に提供する
情報を集めるのが業務なのです。
自己犠牲は業務ではないのです。
死ぬことは恩返しじゃないのです。
②他者避難の促進
危険を理解してない人たちへ避難を
促すということ。
自分が逃げる姿を見せ、危険に気づ
かせ、逃げるようにさせる、避難を
開始させるのです。
これまた警備業と同じですね。
事件や事故に関わらず、工事や立入
禁止の場所とか、日常の中でも。
頭上や足元に注意していただきたい
とか、ルールを順守するべき場面は
多々あります。
そういうのは、誰からも何も注意を
されないと、どんどん疎かになるの
です。
実際、関係者でも、油断したり億劫
がってか、ルールを順守せず適当に
している方はいるもので。
毅然と振る舞う制服姿の警備員に、
わざわざ呼び止められて注意される
と、戒めと感じてもらえる…
と信じて、日々の監視業務に従事を
しているのです。
③相互信頼の事前醸成
災害のない日常の中で、大切な人と
信頼関係を築いておくこと。
何かあっても、皆自分で助かるから
大丈夫、と思えると、他人の安否を
過剰に不安にしなくなるのです。
これは避難訓練や日常の報連相です
かね。
緊急時の行動の基本を理解して、
全員で認識が共有されていれば、
最低限の指示や連絡で状況を把握を
したりしてもらえたりする。
だからこそ、スムーズな緊急対応に
つながるのです。
④生存者の自責感の低減
自分が助かり、誰かが助からなかっ
た時、自分のせいだ、自分がもっと
何かしていたら…と自責の念に囚わ
れる事のないように、ということ。
ハナっから勝手に死んでしまえ、と
突っぱねているわけでなくとも。
後から悔やんだ所で、被害者が復活
するわけもないのです。
警備だからと、何もかも救え、身を
挺して犠牲になれ、なんて事を言わ
れたって限度があります。
重ね重ね、そんなレベルのは警察の
仕事なのです。
警察が「強盗や暴漢が怖くて対応が
できません」では問題ですが。
警備はそんな相手を討伐するほどの
訓練や技能はないのです。
急病人の対応もそうです。
警備が胸部圧迫もAEDも救急車の
誘導も通報も…なんてできる訳ない
のです。
「あなた通報してください」
「あなたAED探してください」
と指示しながら急病人の様子を見る
…なんて事が出来たら100点なの
です。
自分だけの事すら出来るかどうか…
なこの世の人生。
他人の事までもれなく救えるなんて
千手観音じゃないんだから。
人を救えない事を悔いたり責めたり
してはいけないのです。
こんなものだろう。
この考え方、結局のところ、人生
まるっとそう言えるのだろうと思う
のです。
これは、私がそれなりに一人きりで
生きていける状態にあるからこその
自分勝手な考え方なのかも知れない
のですがね。
そもそも、津波てんでんこの考え方
自体、自分勝手だと批判の声もある
らしいのです。
人を無償、無条件で助けようとする
者など、いやしないのです。
少なくとも、助かろう努力したり、
助けに対し感謝をしたり。
そういう、前向きな意思の見られん
者を助けたりしないのです。
自分が誰かに助けてもらおうとか、
助けてもらえるなどと甘えていて、
助かるための準備や努力を放棄して
いたり。
助けてくれないのが悪い、助けて
くれないなんて酷い…
そんな考え方でいるのは、愚か者の
する事なのです。
愚か者の人間にオイシイ話などある
わけがないのです。
そんな考え方でいるのはそいつらの
勝手なのですが。
最後の最後、助けてもらえずに死ぬ
だけなのは自分なのです。
「誰もたすけてくれなかった!」
「誰も教えてくれなかった!」
他人ガー社会ガー政府ガーと叫んで
気が済むなら、死んだあとで地獄の
底で好きなだけ叫べばいいのです。
物笑いの種にされるだけですがね。
そんな考え方、そんな態度の者は、
救われず当然なのです。
誰も救いたがらないのです。
これは前回のお話、「帰属意識」と
繋がる考え方なのです。
帰属意識
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12885406381.html
先日、Xで見かけたポストのお話。
元ネタを探したのですが発見できず
でしたので、うろおぼえですが。
ASDだか自閉症だか発達障害だかの
何らかのハンデを持つ子供の母親が、
「子供ができる前、会社員時代はこう
いうタイプの人を使えないと嫌ってた
が、もしかしたら彼らは障害者だった
のかもしれない、障害の子供を持った
今だから、そう思えるようになった」
的な発言をしていたのです。
これが世の本音なのです。
ハンデを持つ者が身近にいる場合は、
「ハンデ側」の意識になり、理解して
支援をしようもと思えるのですが。
ハンデを持つ者と関わらず生きている
場合は、「ハンデのない側」の意識に
なり、理解や支援は難しいのです。
「私たちのことを理解して」
という言葉を真に届けたい人にこそ、
遠く届かないのです。
言葉を濁しました。
はっきり言うと、「障害者が嫌い」に
なるのです。
相手をするのが面倒くさい、手間だ、
損害になる、単純に見た目が嫌…と。
立て続けに、辛辣でせちがらい言い方
ですが。
ハンデを持つ子に支援や理解を望む、
障害児の親御さんに言いたい事です。
「あなたは障害者と結婚をしなかった
でしょう」
「障害者、未熟な者は、恋人候補から
除外したでしょう」
「あなたの子供も、これからの人生で
いろいろな人から、いろいろな場面で
除外されていくでしょう」
「あなたが除外したのと同じように」
障害者と結婚された方もいるでしょう
から、この考え方は万人に効かないと
思いますがね。
人は、自分と異なる属性の者は、救う
どころか、叩くべき存在と認識するの
です。
これは個人的な恨みなのですが。
私は障害者を支援しません。
もし、警備として障害者と関わる場合
最低限の業務としての支援はやります
がね。
これはある障害者による事案が原因と
なっております。
車椅子ユーザーの
「JRに乗車拒否された」ブログ、
合理的な配慮なく炎上。
必要なのはトラブルではなく賛同
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1a4f53100bb0aef5fb04107c4bff3ee4861516dc
とある車椅子ユーザーが駅員に対して
わがままな無理を突き付けて、駅員は
できる限り対応したにも関わらず。
自分が満足する対応ではなかったから
といって、ブログで晒すような真似を
したのでした。
この事案を受けて、とある輩が駅員を
「底辺」扱いして、そんな奴らはいう
こと聞くのが当然、という旨の発言を
していたのでした。
障害者側が、支援する側を
「我々に尽くして当然の下々の輩」
と見下しているのです。
弱者という武器を振りかざしているの
です。
そんな輩、支援する義理も価値もない
のです。
日本には古来より
「魚心あれば水心あり」
という名台詞があるのです。
「魚心あれば水心」とは?
いい意味と悪い意味を理解して
正しく使おう
https://domani.shogakukan.co.jp/613626
先ほどから繰り返しているお話。
助かろうと思う者、助けに対し感謝
する者、助ける者に迎合できる者。
つまり「同じ属性の側」と認識して
いる者に対して、救おうとする心が
生まれるのです。
「救う側」と「救われる側」に分け
自分は救われる側、救われて当然の
側と考えたり。
相手を救う側、私を救うために右往
左往して世話を焼いてくれて当然の
人間だ、と見下して考えたり。
そんな「魚心のない者」に対しては
水心など生まれる訳がないのです。
自分と属性の異なる者に対しては、
水心などないのです。
そんな連中に水心を抱いても、その
心を砕いてくるのです。
消耗させられるだけなのです。
心が心を砕くのです。
奇跡は訪れないのです。
そこに夢など存在しないのです。
ウチの職場の若手クンのお話。
若手クンと言っても、私より給料も
職責も上という好待遇の4年目なの
ですが。
ずっと不貞腐れたような態度でいて
仕事に後ろ向きなため、みんなから
評価されないのです。
当の本人も、口を開けば
「帰りたいッス」
「疲れたッス」
「辞めたいッス」
「本当に必要な作業なんスか?」
「これ警備の仕事じゃないでしょ」
「また追加の指示ッスか…」
みたいな愚痴ばっかりなのです。
誰よりも少ない仕事量の状態なのに
そんな調子なのです。
そんなんじゃ、やっぱり応援なんか
出来ないわよって話なのです。
成長のため新しい仕事を教えようと
思っても、今の仕事もやる気なく、
頼んでも適当だったり遅かったりと
するわけで。
こっちも、教える気が削がれるって
ものなのです。
それでいて職場で一番給料がいいっ
てのも、不満に拍車をかけているの
です。
氷河期世代で同じ不満を持つお話を
Xでよく見かけます。
自分より給料の良い新人を教育して
いるとか今の社会おかしい、とね。
自分が仕事する側、会社員である、
会社側の属性の人間である認識が
ないのです。
自分が仕事を通して、会社や社会に
貢献した結果支払われるのが給料で
あるという意識がないのです。
自分が大した事をしていないのにも
周りが色々支えてやっているのにも
気づかず、気づけずで、今の高額の
給料を与えられて当然と考えている
のです。
お客様根性のテイカー気質で、学生
身分が抜けてないのです。
「これ警備の仕事じゃないでしょ」
だと?
じゃあお前の言う警備の仕事てのは
どんなんだって話ですし。
じゃあそれを真っ当にやってるか、
って言ったら、全然そんなわけない
のです。
今の職場の人が何をしているのか、
今のお客さんが何を望んでいるのか
知りもしないでいっちょ前に警備を
語ったりしやがるのです。
型破りってのは既存の型を理解して
一回型にはまって、そこから自分の
個性を出して型「以上」になるから
型「破り」って言うんだ。
今の型にはまりたくねぇから自分の
好き勝手にやるってのは「形無し」
っつうんだ。
「型があるから型破りが出来る」
「型が無ければ単なる形無し」
歌舞伎から学ぶ型の重要性
https://www.aishinkankyoto.jp/kanzaburo-kata/
…と、本人に言ったらパワハラって
言われちゃうから、ここで愚痴って
しまいます。
本人にはヘラヘラスマイリーで
「うんそうだよねー」
「ここブラックだよねー」
てなだめているのです。
なだめつつ、こっちで多くを被って
仕事は仕事として、こなさなければ
いかんのです。
「仕事は処理する」
「部下が辞めないようなだめる」
両方やらなくっちゃあならないって
のが、幹部というか管理職のつらい
ところだな。
頭数が必要、辞められたら困るから
強い言葉で否定しないだけで。
私ら昭和生まれの時代なら、
「代わりならいくらでもいる!」
「やる気ねぇなら辞めちまえ!」
と言われていた位なのです。
会社側に媚びへつらって、ようやく
雇ってもらっていた、私ら氷河期の
時代は終わっているのです。
そんな時代は終わったとしても後ろ
向きな若造が好まれる時代なんぞ、
来るわけもないのです。
世間知らずの糞餓鬼様には関係各位
ほとほと愛想が尽きているのです。
ちょっとだけ余談。
どうやら糞餓鬼様、問題児様って、
私ら警備だけでなく、オーナーや
設備保全さん、清掃さんの部署にも
いるようで。
60代の設備保全のトップのお話。
事務所裏でカッカしながら問題児の
話をしているらしく。
「言っても何にも変わらない」
「座ってばかりで現場を見ない」
「納期に対して危機感が足りない」
等、やっぱり仕事に対して前向きで
ない所に不満を持っているご様子な
のです。
周りから
「まず落ち着いて」
「血圧上がるよ」
とか言われているらしいのです。
もうちょっと余談。
そんな不遇な我々氷河期世代ですが
それでも大きな不満の声を上げずに
細々でも頑張り続けている理由。
それが「帰属意識」だと考えてるの
です。
自分は会社側の人間だ。
自分は社会を作る側の人間だ。
厳しい状況なのは分かっている。
だから「誰かどうにかしてくれ」で
はなくて。
だから「自分が頑張らなければ」と
考えている…と思うのです。
そんな自分を、負け組や弱者男性や
底辺職と罵る者がいたとしても。
むしろそっちが「世間知らず」で、
反社会的な勢力の側であって。
自分の方が「社会」の側と信じて、
誰からも見向きされずとも、社会を
支えているのです。
たぶんね。
ま、そうとでも思わなきゃあやって
らんないのです。
これもたぶんですが。
ヤングケアラーも同じ様な考え方、
似たような状況だ思うのです。
望んでその家庭に生まれたわけでは
ないのですが。
時代や生まれの為か、周りから見て
恵まれない環境を生きている。
その家庭の一員である、同じ属性で
あると認識しているから。
自分が何とかしなくちゃならないと
考えているのです。
与えられた環境で、出来るかぎりの
事をしていかなきゃいけないと認識
しているのです。
嘆いたところで、誰も助けてくれや
しない、自分の力でどうにかしない
といけない。
どうにかしてもらいたければまずは
自分から歩み寄る努力をしなければ
ならない。
それは人生ぜんぶそうなのです。
災害も、登山も、社会生活も。
新人も、氷河期世代も。
ヤングケアラーも。
同じなのです。
今の境遇を理解して、自分でできる
努力、我慢を少しでも続ける。
誰かより下でも構わず腐らず羨まず
あわてず騒がず落ち着いて。
「やれることをやる」
「やれたところまでが自分の人生」
「誰かや何かのせいにしても無駄」
なのです。
さっきから余談みたいな状態ですが
おまけのお話。
「ぼっち・ざ・ろっく!」という
アニメがありまして。
主人公はいわゆる陰キャのコミュ障
友人もろくにいない女子学生です。
本名が「ひとり」なので「ぼっち」
というあだ名をつけられています。
その友達の無さが功を奏したのか、
部活や遊びもせずひたすらにギター
練習を重ねた結果、ネットで有名な
ほどの腕前になりました。
…てのが導入部なのです。
社会を生きるのに弊害となる症状は
多岐に渡るもので。
1.安直な考え
ギターを背負って学校に行ったら、
きっと誰かが話しかけてくれる…
と付け焼き刃で登校し、それ以上
行動を起こさず、ただ待っていた
結果、誰からも話しかけられずに
放課後になる…
というオチだったのでした。
2.勝手に想像して勝手に裏切られる
あのひとも自分みたいな不遇なのだ
…と他人を「だめな人側」扱いした
結果、そんな人ではなかった場合。
ひとりでショックを受けるのです。
誰も何にも言ってもしてもないのに
不必要に傷ついているのです。
3.働きたくない、社会に出たくない
バイトに行くことすら拒絶していて
社会に対し過度に悲観的なのです。
バイトを休む口実のためなら、氷を
入れた水風呂に入ったあと扇風機に
あたって、風邪ひけ風邪ひけと願う
のでした。
4.虚言癖
話したくない人が自分の持っている
ギターについて話しかけてきた時、
挫折したから売りに行く所です、と
嘘をついてやり過ごそうとしたので
した。
5.偏見と思い込み
陽キャとはこういうものなのだ、と
漫画か何かで見て理解をして、そう
振る舞えば自分も陽キャになれる…
そう思い、ときに暴走してしまうの
でした。
但し、ぼっちちゃんには以上の症状を
踏まえても良い点もありまして。
1.状況を理解している
安直な考えで結果が得られなかった
後、他力本願で物事うまくいくはず
ない、と心の中で呟くのでした。
失敗を失敗と理解できるのです。
2.逆恨みをしない
これは作品を通しての傾向ですが、
数多の社会不適合のシーンがありな
がら、不平や不満や他責のシーンが
ほとんどないのです。
勝手に裏切られて勝手に傷ついた時
何だアイツは、とか、どうせロクな
やつじゃない、のような、逆恨みの
ような状態にはならないのです。
自虐や卑屈、自分がへりくだる方に
考えるのです。
まあ、それがいいかどうかと言うと
良くはないのかも知れませんがね。
他責よりは億倍マシなのです。
3.人を欺かない
前述のバイトを休むための風邪ひき
作戦のことですが。
仮病して休むということはしないの
です。
一瞬、気の迷いで仮病の手を使おう
としたのですが、バンドメンバーの
応援の言葉に思い直して、一度でも
揺らいだ自分を恥じたのでした。
欺くことが悪いことだと理解をして
いるのです。
4.迎合しようとしている
バイトが嫌だ、人前が嫌だと言って
いても、このまま何もしないのでは
皆にも迷惑がかかる、やらなきゃ、
と思うと最後の最後で少し頑張れる
のです。
社会の一員に、バンドの一員になる
ため、できるかぎりをやろうとして
くれているのです。
だからこそ、他のキャラたちもぼっち
ちゃんに協力してくれているのです。
おかしなところはあれど、本人が真に
嫌悪される性根をしていないのです。
対人恐怖症のようなハンデがあっても
周りのせいに転嫁せずに、乗り越えて
頑張ろうとしているのなら、周りには
支援の心が生まれるのです。
まあ、これはアニメですし。
陽キャの他の娘たちと並んでも遜色の
ない見た目やプロポーションをしてて
何よりギターが上手いというハンデを
補って余りあるアドバンテージを所持
しているわけですし。
これがブサイクで特技のない陰キャだ
としたら話が変わるのです。
更に他責思考だったら、そりゃあ誰も
支援したがらないのです。
永遠にぼっちとして生きるのです。
それもまた人生。
てことで、締め。
人生てんでんこ。
一人ひとり生きるってのが大前提。
自分ひとりで行ける範囲が限界と知り
そこで満足する事。
救いや協力、支援や理解が欲しいなら
まずはそれが当然とは思わない事。
己で出来る努力もしない者を、自分の
身を削ってまで助けようなど、思って
もらえないと知る事。
助けてあげたくなる何かを持つ事。
いつだって人の心は孤立なのです。
本人ですら解けない心の迷路に迷って
出口を失うのです。
他人に解けるはずがないのです。
孤立のまま消えていくのです。
真の理解など不可能、そんなことを
望んだら泥沼なのです。
おわり。
P.S.
この手の自己責任論。
氷河期世代は人生通じて己の不遇は
自己責任と言われ続けているから、
他人に対してもそう切り捨てる様に
なったのではないでしょうか。
一方的に道を与えられる事はあれど
その道を走り続けなける必要があり
自分の思うままになんか全然生きて
いけない人生だった氷河期世代。
誰にも我儘を言わずに妥協や迎合を
し続けてきたから。
誰かの我儘に寄り添う余裕も経験も
全くないのです。
「我儘したきゃ自分でやれ」
「自分もそう言われたんだから」
俺らの時代は…と言って他者の話に
寄り添えない頭の硬い老人に、段々
なりつつあるのです。
ひとりきりのじじいになりつつある
のです。
咳をしても一人。
こんな硬い孤独な老人が、今後数多
現れるであろうなのです。