勉強がしたくないお話。
似たようなお話はこちら。
無職を考える
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12745509963.html
私はこれまで結構な量と頻度で勉強に
ついて色々言ってきました。
将来ひきこもりになって自活できなく
なるのが不安だから、学校には行けだ
とか。
みんな辛いのを我慢してるとか。
スキルを身につけて就職しろとか。
就活の場では経験を説明するスキルが
あるのが最低条件とか。
スキルややりたい事がないからこそ、
勉強が嫌いだったらなおのこと、学校
行けだとか。
勉強が良いもののように言ってきたの
でした。
アクティブに動くのが当たり前の様な
ことを言ってきたのでした。
スマンありゃウソだった
勉強したくないでござる!
絶対に勉強したくないでござる!
勉強したくねぇよ…
ああああああああああ
勉強したくなぁぁぁぁい
諸君 私は勉強が嫌いだ 大嫌いだ
数式が嫌いだ
漢字が嫌いだ
他言語が嫌いだ
一覧表が嫌いだ
人名が嫌いだ
国名が嫌いだ
歴史が嫌いだ
法令が嫌いだ
新規技術についていくのが嫌いだ
覚えるのが嫌いだ
しくみを理解するのが嫌いだ
手を動かすのが嫌いだ
応用問題が嫌いだ
テストが嫌いだ
資格取得が嫌いだ
習得した技術を活かすのが嫌いだ
資格を活かした役職に就くのが嫌いだ
この地上で行われるありとあらゆる
学問の習得が大嫌いだ
よろしい ならば休息(スリープ)だ
眠るぞ 諸君
先日、とあるコラムを見かけたので
ご紹介なのです。
みなさんご存じだろうか。
ジョブ型における「底辺」が、
どんな生き方をしているのかを。
https://blog.tinect.jp/?p=81114
要約。
・日本の就職はメンバーシップ型と
呼ばれ、まず人を採用し、その後
割り当てる仕事を決めていく
対しジョブ型は各仕事に対し適した
スキルを持った人を割り振っていく
・企業は競争率低下をメンバーシップ
型雇用に理由があると考え、ジョブ
型雇用を導入しようとしている
ジョブ型雇用は専門家からなるため
生産性が高く、競争力も高くなる
・しかし、ジョブ型社会でも誰にでも
できるカネにならない仕事がある
専門家集団である上級労働者と別に
専門知識なくキャリアアップのない
底辺労働者が存在している
・経理でのし上がりたいなら、大学で
会計学を学んでいい成績を収めて、
経理関係のインターンをし、経理の
仕事に就き、転職しても基本は経理
関係の仕事を続け、管理職になりた
ければ学位取得や上級の職業教育を
目指し、資格を取る
・ジョブ型では専門家になるために、
数年間安い給料で職業教育を受ける
大学生は無給でインターンし職歴を
手に入れる
成績を上げるために卒業を伸ばして
何年も大学に通う
40歳でも管理職になりたければ
大学に通いなおす
・そういったやる気がなければ初任給
からたいして変わらない給料で同じ
仕事をし続け、人生を終えていく
・日本のように誰かが道を用意して、
その中で頑張ればいいわけではない
組織に所属すれば、先生や上司が
丁寧に面倒を見てくれる訳でもない
・社会がジョブ型になっても生産性と
競争力が高い専門家集団の一員に
なれるわけではない
会社をジョブ型にすれば、専門家が
やってきて、今と同じ賃金で働いて
くれるわけではない
・労働者の立場が低くなりがちな日本
では専門知識によって勝ち組になる
人よりも、たいしたスキルがなくて
使い捨てられたりスキルを買い叩か
れて理不尽な待遇で働かされる人が
増える気がする
一方で有能な人はカネを積まないと
来てくれないから、ケチくさい企業
には無能しかいなくなる
・ジョブ型にも悪いところ、メンバー
シップ型にもいいところがある
いまの日本社会だからこそやって
いけてる人、豊かになれた人も多く
いると思う
・メンバーシップだからノンスキルで
大手企業に入社できたり、高卒でも
部長になれたり、社内教育で目を
かけられエリートコースに乗るなど
企業側で考えれば、本来は大企業で
働けるスペックの社員が新卒から
働き続けてくれてたり、他国なら
倍の給料が発生する仕事を有能な
若手に低賃金でやらせるなど
・ジョブ型の話をするならそういった
事情も考慮しないと労働者も企業も
皆不幸になるんじゃないだろうか
こんなものだろう。
生きて稼いで食べるだけであっても、
厳しい競争や勉強が必要になるのです
ね。
せちがらいね。
所詮この世は弱肉強食。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
社会が出来ても、文明が発展しても、
そういう自然の摂理が大きく変わると
言うことはないのですね。
仕方ないね。
以前、似たようなテーマでブログを
書いたことがありました。
船団理論
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12667481714.html
能力の格差社会のお話でした。
アメリカはできるやつ基準。
できるやつがどんどんできていく。
日本はできないやつ基準。
できないやつもできるようにする。
日本はだんだんアメリカ式に近づいて
きて、できないやつを見捨てるように
なってきている。
だから、できないやつは社会や他人を
恨むようになり、凶悪犯罪が増える…
そういう分析を、私が小学生のころに
教師から聞かされたのでした。
できるやつは更にでき、財産を得て、
次の世代にも充実した環境を与える。
できないやつはいつまでもそのまま、
貧して鈍して人生を終える。
せちがらいけど、仕方ないのです。
できるやつの良い仕事と。
できないやつの雑な仕事と。
あなたが何か仕事を頼むとしたら、
どっちが欲しいですかって話。
改めて答えを書くのも愚かな質問。
誰だって良いものの方が良いのです。
できないやつだって、できるやつに
仕事を任せたいに決まってるのです。
「できない自分を見捨てないで」
「できなくて苦しい自分を救って」と
思っているやつだって、別のできない
やつを見捨てるのです。
「できないやつも救われる世の中に」
と思いたくなる方もいるでしょう。
じゃあそういう世の中にしましょう。
「できないやつも救われる世の中に
するという政治ができない政治家」。
「できなくてメンタルよわよわくんを
治療する事ができない精神科医」。
「できないやつが満足する様な支援が
できない支援員」。
「できないやつに辛く当たってしまう
心の制御ができない周囲の人間」。
「できないやつを使いこなせない無能
上司や会社のできない連中」。
彼らを貴方が救いましょう。
救いましたか?
これで救われる世の中になりました!
はい、おーしまい!
自分が誰も救わないのに、自分だけは
誰かから救ってもらえるなんてのは、
ワガママな話なのです。
また同じお話でウンザリでしょうが、
私の信念、人生観でもあるお話。
人生はアリジゴクに満ちた世界を走り
続けるレースのようなもの。
他のやつらには他のやつらのレースが
あるわけで。
自分の幸せというゴールを目指すのが
レースの目的なのです。
人生は、数少ない幸せの椅子を巡って
各馬ひしめきあっていなないているの
です。
無職やメンタル不調は、アリジゴクの
穴みたいなものです。
穴に落ちた他人を救う余裕などないの
です。
穴に落ちたり、スタートダッシュで
出遅れたりすれば、どこまでいっても
はなされて、負けて、生活ままならぬ
事になるのです。
落ちていていい事なんかないのです。
落ちたやつに救いはないのです。
落ちたら自分で這い上がらなきゃ。
這い上がってまた走らなきゃ。
もし救いの手があったら大感謝。
その手を取り、這い上がり、また走る
努力をして救いに応えるべきです。
走るしかないのです。
追いつき追いこし引っこ抜くのです。
穴の底で助けがない事を嘆いたり。
落ちた事をいつまでも悔やんだり。
誰かに落とされた事を恨んだり。
そんな風に社会を敵視して穴の底から
出る努力をしない輩。
そんな姿の輩を、誰が救いたいと思う
でしょうか。
そんな姿に成り果てて、まだ誰かから
救ってもらえるとでも思っているので
しょうか。
どこかで読んだ記憶のお話。
真に救われるべき存在は、愛される
姿をしていない
とか何とか。
可愛らしかったり、健気だったり。
上述の「救われる努力をする者」等は
どこかしら好感が持てる姿をしている
のです。
そんな存在は結構救われるものです。
仕事ができなくても、頑張ってる子は
応援したくなるようなものですね。
そういう子はいろいろフォローをして
もらい、なんだかんだで救われていく
事が多い気がします。
そうではなくて。
プライドのクソ高い、醜いオッサンが
なけなしの支援を貶したり役立たずと
言って、世の中を見下すような形で、
ただ与えられる事を求めていたら。
それはもう本当に救いがないのです。
救いようのない姿なのです。
誰からも救われるはずがないのです。
誰も救いたがらず、近寄りたくもない
本当に世の中に必要とされてない存在
なのです。
むしろそんなどうしようもない屑こそ
何らかの形で支援してあげなければ、
野垂れ死ぬだけなのです。
でも、誰も救いたくないから。
救いたくなる姿をしていないから。
死ぬしかないのです。
私の人生のお話。
私は守銭奴です。
お金がなくなる事が何より不安です。
それは死ぬのが死ぬ程不安だからなの
です。
正確には「食べられなくて死ぬ」のが
不安なのです。
生きなきゃなのに、食べ物がなくて、
お金もなく食べられないという状況に
ヨボヨボのジジイになってからなると
思うと、不安なのです。
「おにぎりが食べたい」と願っても、
叶わずして死ぬ事が不安なのです。
北九州市生活保護受給者死亡事件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28537.html
百歩譲って、死ぬのはいいのです。
確実に近づく死に対し、何も出来ずに
苦しみながら生きることが恐ろしいの
です。
デモンズウォールなのです。
いっそ殺してくれたなら楽なのですが
そうもいかないでしょうから。
死ぬのは死ぬ程苦しいのはこのあいだ
知って、死ねなかったので。
死ぬのは生きるより辛かったので。
やっぱ、働いてお金を稼いで自活して
いくしかないのです。
その事を考えると、今、しょうもない
ものにお金を使うのが苦痛に感じるの
です。
今の100円を無駄遣いして、将来の
おにぎり一つ買えなくなるかと思うと
買い物は1円でも安くを目指す人生に
なるのです。
でも、お金をたくさん稼ぐ方に向かう
ための勉強はしたくないし、スキルを
身につける努力もしたくないし。
人と協力したりコミュニケーションを
取るのも極力したくないし。
そもそも人も人付き合いも嫌いだし。
でも生きたいのです。
死にたくないのです。
今は生きてるだけで楽しいのです。
楽しくないのは勉強と仕事だけです。
生きることは食べること。
食べるにはお金がいる。
だから働かなければならない。
働けなくなり、お金がなくなったら、
私は死んでしまうだろう。
誰からも救ってもらえないだろう。
誰も私なんか救ってくれないだろう。
誰かから見下されながら施しを受けて
みすぼらしく生き長らえるのも苦痛で
ありますし。
生活保護の事です。
言い訳をさせてください。
以前も書きましたが、突発的な理由で
一時的に『自活できる様になるまで』
保護を受ける事は何の見下しもないの
です。
金もないのに勉強や仕事の我慢が嫌で
「一生食いっぱぐれないぜラッキー」
的に受ける生活保護を見下しているの
です。
前者は遠慮なく受けてください。
後者は一刻も早く消えてください。
閑話休題。
今でも見てくれの良くないオジサン。
これからヨボヨボのジジイに向かって
いく人間嫌いのオジサン。
誰も救いたがらない姿なのです。
だから私は私で私を救うために、私が
お金を稼いで、貯めて、私のちからで
食べていけるようにしなければ。
それが私の人生観なのです。
というか、誰の人生もそういうものだ
と考えているのです。
誰も誰をも助けない。
助かるとしたら、自分が勝手に助かる
だけ。
だから、学生時代には一生懸命して、
たくさんお金を稼げる道を選べるよう
たくさん勉強したのでした。
そして、たくさんお金を稼げる会社に
入れた事を誇りに思うのでした。
その後、たくさんお金を稼げる会社で
やっていけなくなりそうな時、死ぬ程
不安になっていたのでした。
それこそ、死んだ方が楽と思える程。
死ぬよりだったら死んだ方がマシ。
社会全体に対し破壊衝動を抱える程。
一人でも多くの子供を道連れにして、
死ぬ方法のシミュレーションする程の
アリジゴクの底にいた事もあったので
した。
カウンセラー、産業医、人事部など、
そんな自分の相談を受けてくれた人を
「不要」と切り捨てていたのでした。
元凶である仕事が何も変わらないのに
赤の他人とおしゃべりして何が変わる
ものか、何が良くなるものかと蔑んで
いたのでした。
メンタルの負担が減るような待遇への
転属を考えてくれない総務に不信感を
覚えていたのでした。
自分の無力による不甲斐なさを他人の
責任にしていたのでした。
あんなゲロクソな精神には二度と!
二度と……
戻るものか……
ま、今となっては「いい経験」です。
エヘラとした温い人生ではなかった。
挑戦や成長のない道ではなかった。
漆黒の精神で、黄金の王道を歩んで、
清濁併せ呑み、今の私がいると思える
ようになったのです。
光と闇が両方そなわり最強に見えるの
です。
生きて「ここ」に帰ってこれただけで
有り難い限りなのです。
アリジゴクにハマってみる経験もまた
人生なのです。
抜け出る前提ですけれどもね。
ハマって終わりは人生ゴールじゃなく
再起不能(リタイヤ)なのです。
良いものが選択され生き残るのです。
悪いものは誰からも求められず消えて
いくのです。
悪いものは誰からも見られずに消える
のです。
消えたものが悪なのです。
消えたら悪なのです。
くれぐれも。
勉強したくなくてできもしないやつは
負け組でいいよね、負け組人生を謳歌
しようねってお話です。
がんばった末に負け組でもいいじゃん
ってお話です。
負け組は「消えて」などいません。
消えてなんかいません。
勉強もせずできもせず、負け組にすら
入れてないくせして、誰かに勝ち組に
引き上げてもらおうなんて考えるな、
というお話なのです。
負け組よりも負けてる人生。
それは負け組にすらなれない人生。
無職や引きこもりのことです。
誰かにおにぎりを食べさせて貰ってる
やつらの事です。
言い訳をさせてください。
これは私が自活する事を人生で何より
大切に思っているからなのです。
というより「生きる=自活する」だと
思っているからなのです。
自活の歴史のお話。
狩りの仕方を学び、食べられる部位を
知り、捌いたり保存したりして獲物の
肉を食らう原始より始まり。
マンガ日本昔話のように、野山の間に
藁葺き屋根の家でひとり野菜を育てて
草鞋やら箕やらを作っては町で売って
生きる生活。
もちろん現代文明に囲まれた世界観で
あったとしても、お金を稼ぐため学び
それを生かして賃金を得て、どこかの
誰かが作った食べ物を食べて生きる。
自分で自分の食い扶持を確保しながら
寿命を全うするのが「生きる」という
ものだという認識なのです。
自活できる事が人生の最低条件であり
最大の目的であるからなのです。
それが出来ている事が何よりの自慢。
それさえ出来ていれば負け組だろうが
なんだろうが人生なのです。
自活するために勉強してきて。
自活するために節約していて。
自活できなさそうで死を選ぼうとして
きた私の矜持なのです。
それをないがしろにする輩を許せんの
です。
これはとある心理テストにもある考え
方なのです。
FBIでも使われた恋愛心理テスト!
あなたが「大切にしている価値観」を
診断してみよう
https://latte.la/column/77331108
概要を書きたい所ですが、長くなるの
で割愛します。
いいたい事は上記と同じです。
自分が大切にしている価値観を裏切る
輩を一番悪いと思うような深層心理が
あるらしいのです。
その大切にしているものをコスずるい
方法で得ている輩をメチャゆるさんの
です。
ちょっと余談。
上述の心理テストでは、
・愛情
・道徳、モラル
・お金、
・性欲
・家族、家庭
が価値観の対象でした。
皆さんはどれが一番ゆるせんでした?
私は性欲でした。
立場を利用して、性的にグヘヘな事を
するのはずるいぞチクショウ!!!
…もとい、ダメな事だと思っているの
です。
やりたいけどやっちゃダメだと思って
いることなのです。
…いや、やらないよ? たぶん。
ぶっちゃけ、もう全盛期に比べたら、
性欲はかなり落ちちゃったので。
今更リアルでどうこうしたい気持ちは
ほとんどありません。
むしろ、このままイチャコラを神聖な
ものと崇めて、学園モノアニメとかを
観て尊さを愛でて生きるのもまた一興
なのです。
ゲスな方法で、その尊みを汚すような
真似はしないのです。
私自身の心にあと味のよくないものを
残すのです。
尊みを愛でる人生の方が豊かでしょう
からね。
閑話休題。
社会で自活する、生きるお話でした。
できないやつの為に社会があるのでは
ありません。
できないやつも社会の為に出来る事が
あるのです。
できないやつも社会の為にいるんだ!
社会を成す為できないやつはできない
なりの役割を果たしていくのです。
そのためには、負け組や底辺職も必要
なのです。
負け組ができるのは自然の摂理なので
す。
勝ち組に高い給料を払ってやることで
ない仕事もあるのです。
それは引用元でも言ってましたね。
単純作業、軽作業。
そういうのを高給取りにやらせるのは
お金の無駄、資源の無駄なのです。
そういうのでいいから薄給でいいから
仕事をくれという人もいるのです。
それは格差ではありません。
棲み分けというのです。
だから、今はそういう世の中になって
来ているし、そんな世の中で勝ち組に
なろうとしたら、上で生き続けようと
したら。
余程の努力が必要になるのです。
知識や技能や責任がいるのです。
それらを培ってきて、役に立てても、
たくさんの批判を浴びるのが上の人間
なのです。
そうやって、ようやく得られるのが、
勝ち組の席なのです。
現場で考えてどうにかなる仕事なんか
しんどくたって薄給仕事なのです。
それでいいと思います、私は。
逆に、今までの日本が中途半端に一億
総中流なんて呼ばれてて。
誰もがそこそこ裕福な人生を歩めた
時代の方が異常と思うべきなのです。
できないやつもとりあえず結婚できて
一戸建てと専業主婦と二人以上の子と
ペットを持って駅徒歩圏内の関東圏に
住んで毎日家で酒が飲める生活とか。
今じゃハーレムパーティー位の幻想な
のです。
できるやつに頑張ってもらって成果を
あげてもらった方が、できないやつも
得る恩恵が大きいのです。
以前から言っている事の繰り返し。
凡人の手元に届く商品は優秀な誰かが
能力の粋を集めて開発したものです。
優秀な人に頑張ってもらえばもらう程
凡人の周りに良き商品が届くのです。
凡人は、凡人にできる事だけやって、
凡人たる人生を送ればよいのです。
俊才は、その才を存分に発揮し裕福な
人生を送ればよいのです。
「教育の格差」とか「親ガチャ」とか
差は悪のように取り上げられますが。
現実問題、差をゼロになんてできる訳
ないのですし。
そういう生き方もアリって事にしたら
いいんじゃないかと思うのですよ。
アリというか、ダメである事としない
という意味です。
「格差は是正しなきゃ!!!!!!」
「生まれや学歴による貧困は差別!」
みたく言わないでさ。
もう格差ありき、貧困ありきで社会を
見たらいいんだと思います。
やる気のない若手も無理やり正社員で
採用したり。
成長の見込みも技術伝承する気もない
中年にいつまでも正社員で居座られて
どんどん昇給されたり。
そういうやつらを追いやるための枠、
「やる気のない枠」を低賃金処遇で
用意したらいいのです。
そのかわり、次期管理職枠は高賃金の
対応でバリバリ働かせる、と。
同じ待遇なのに、やる気のあるやつと
ないやつが一緒にいて、仕事量に差を
つけたままの社会の方が不健全なのだ
と思うのです。
親や環境や気質体質など仕事に使える
要素を得る運命を生きたやつはそれを
活用して活躍して恵まれた人生を謳歌
したらいいのです。
逆に言ったら、親や環境や気質体質に
恵まれなかった奴を優遇する価値など
ないわけで。
何もないやつを幸せにしてやる義理は
ないわけで。
何もないやつはないなりの幸せで妥協
していくしかないのです。
一発逆転や革命や都落ちなんか起きる
べきではないのです。
どこかで見た記憶のお話に、私なりの
解釈を加えた分析。
昭和の頃の優秀な男は、無骨で無粋。
堅物で容姿がいいわけでもないけれど
仕事は優秀で金があったから、性格や
見た目が良い嫁を貰えた。
その子供は、父親による裕福な財と、
母親による人としての魅力、双方から
良いものを貰えたおかげで、同じ様な
レベルの相手と結婚できた。
その子供は、性格も見た目もよく財も
ある家で充実した教育を受け、同じく
充実した相手と結婚していく。
優秀に優秀が掛け合わされて数世代が
過ぎた今、恵まれた家に生まれた人は
何もかも恵まれている。
恵まれない家の人は、裕福にもなれず
親もロクデナシ、性格も生活も粗悪、
ツラも悪けりゃ人生経験も得られず、
何も得ず…!!
終いにゃ終いにゃバカ息子!
ニートという名のバカ息子!
定職持たぬままに死ぬ!!
実に空虚じゃありゃせんか?
人生空虚じゃありゃせんか?
つまり、よく昔は「東大生は不細工」
みたいなイメージで語られましたが。
瓶底メガネのガリ勉くんですね。
今はそんな紙の上の「お勉強」だけで
優秀な成績は得られないのです。
本当の優秀な人間は、人生まるごとで
勝利を得ているのです。
与えられる課題や、参考書や教科書の
丸暗記だけで優秀と見られる時代では
ないのです。
見た目や話術も評価のウチ。
コネやアクティブさも能力のウチ。
更に、そこに運や発想力みたいなのも
求められるのでしょうね。
しんどいね。
せちがらいね。
でも仕方ないね。
そういうのもひっくるめて。
前世や親も含め、人生で得てきた資源
全てをつぎ込んでの勝負なのです。
勝負でより多くの戦果を上げたもの。
レースでより先に走れるもの。
そういう上位のやつを優遇せず下位の
やつを優遇する理由はないのです。
勝てば官軍なのです。
私なりの「勉強」のランク。
SS:世に無いものを生み出す(発明)
S:最先端の技術を伸ばす(発展)
----既製と未知の境界----
A:最先端の技術を活かす(設計)
B:既存の技術を維持する(保守)
C:既存の技術を得る(習得)
----技能と知識の境界----
D:既存の知識を試す(試験)
E:既存の知識を増やす(勉強)
F:既存の知識を教えて貰う(授業)
----公式と自己流の境界----
G:既知の作業を行う(仕事)
----人間と畜生の境界----
Z:学びも務めもしない(塵芥)
解説。
一般的な「学校」というのはE~F。
だまってても先生が教えてくれる。
一般的な「テスト」や「試験」はD。
自らすすんで勉強を重ね、目で見える
形の結果を出して評価される。
一般的な「職場の新人くん」はC。
先輩を見て習い、社会に役立つ仕事が
出来る様になるために努める。
一般的な「正社員」はB。
Cで得た「お金を得る方法」を活かし
会社に貢献して育ててくれた恩を返し
顧客に成果を提供した分対価を得る。
Aより上がいわゆる「大手企業」など
凡人では到達し難いエリートの方々。
誰かが用意した道に従うのではなく、
新たな価値を切り拓く能力のある方の
領域。
てな感じですかね。
敢えて単純作業の仕事をGと低く設定
しました。
あえてね。
あくまで「勉強」を観点に置いた時の
事です。
今以上の発展を目指さず、今の職場を
維持するための管理に協力もせずに、
自分の仕事だけして終わる姿勢で仕事
するのは、誰かの授業を受ける事より
下と判断したのです。
精選版 日本国語大辞典
「勉強」の意味・読み・例文・類語
https://kotobank.jp/word/%E5%8B%89%E5%BC%B7-626150
③将来のために学問や技術などを学ぶ
こと。また、社会生活や仕事などで
修業や経験を積むこと。
ですって!!
「将来のため」「学び経験を積む」が
勉強なのです。
「将来のため」。
後継のため、会社のため、未来のため
未来の子供たちのため、明日の自分の
ため。
その精神が大切なのです。
自分にできる仕事だけやってできない
事はしーらんけってな精神で従事する
仕事は底辺と呼ばれても仕方がないの
です。
底辺と呼ばれる給料しか貰えなくとも
仕方がないのです。
たとえいい会社にいても、ろくでなし
中年のなぁなぁ仕事は底辺なのです。
精神が底辺なのです。
何度でも言いますが、底辺でいいじゃ
ないってお話ですからね。
上を目指しすぎてくたびれたり。
しんどいツラして人生浪費したり。
上にいけない事を誰かのせいにしてる
その精神は底辺以下なのです。
ちょっと余談。
以前「行為」についても、似たような
ランクをつけて分けて考える話をした
事がありました。
幸福論おまけのおまけのおまけ
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12761613029.html
エンターテイメントを提供するなど、
「自分が楽しくて人の為になる行為」
を上位ランクとしたり。
ボランティアやダイエット、育児など
「副産物を目的とする行為」は別物と
したり。
その上で「誰かや副産物のためでなく
自分がやって楽しいこと」を見つけて
いこうねってお話。
上位ランクの行為であっても、当人に
とって楽しくなければ、良いものとは
限らないよね、というお話。
とはいえ、誰のためでもない、自分が
楽しい行為だけして生きるのはそれは
それで人生空虚じゃありゃせんか?
バランスとりましょって結論でした。
誰かのため、何かのために我慢した分
自分にとってのご褒美タイムが活きる
のです。
ご褒美タイムになる楽しいことを用意
しておこうねってお話でした。
閑話休題。
勉強についても同じ。
ずっと勉強し続けるのは苦痛です。
まあ、「勉強」にはやりたくない事を
しかたなしにするという意味もある様
ですので。
②気がすすまないことを、しかたなし
にすること。
将来のため、生きるため、生活のため
がんばることもまた勉強なのです。
がんばった分休息の有り難みがわかる
というものなのです。
誰かのため、何かのために頑張ったら
その後は自分のために生きようねって
お話。
勉強せずとも生きる術があったらいい
のになあ、とは思います。
その分、恵みはないけれどもね。
中国では「寝そべり族」なる考え方が
あるらしく。
ライフワークバランス
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12731213495.html
厳しい競争からあえて脱落して。
あえてね。
自分ひとり生きていける程度の稼ぎで
心おだやかに生きようねって種族。
いいと思います。
頑張れる人に頑張ってもらって。
メンタルがんばれない人は必要最低限
生きさせて息させていただくってね。
ま、日本の底辺職生活が近いものだと
言えるかも知れません。
競争も責任もなく。
そのかわり低賃金で結婚もできず。
でもそれでいいじゃない、と寝そべり
空でも見上げて笑って生きるのです。
そろそろ締めましょうか。
私の言いたいことは以下の通り。
同じことばっかで恐縮です。
1.生きたきゃ働け!
私も働いてんだ!
私だって働きたくないんだ!
2.働く能力がなきゃ学校いけ!
能力がなくてもやっていける様に
してくれるとこなんだ!
私だって勉強したくないんだ!
3.学校なんかより社会はもっと辛い
とこなんだ!
ロクでもない奴はゴマンといる!
俺もお前も含めてな!
ロクでもないこの世の中で生きる
しかないのさ!
4.出来なくても世の中を恨むな!
自分の幸不幸を他人の責任にして
いいと思うその精神がいちばんの
不幸なのだ!
5.それはそれとして、勉強も仕事も
やりたくないよなあ!
ほどほどの幸せで生きようぜ!
私だって、生きるために我慢や努力を
してきてないわけじゃないのです。
若い頃にそれを集中させて、財政的に
余裕を持たせたため、今だいぶ平穏な
精神で生きられるというだけです。
今さほどの苦労もなく。
子や嫁や借金みたいな気苦労もなく。
病気もなく、楽しい事はたくさん。
これは学校や勉強のおかげです。
質素ながら快楽人生なのです。
でも、他のできる人、恵みを得た人は
私以上に勉強も仕事もしてるのです。
年齢を重ねるにつき新しい事の勉強や
努力や責任が増えていくのです。
いい学校に入り、勉強して、その上で
就いた仕事で成果をあげているから、
私より高い給料を得ているのです。
やっぱり、学校や勉強は人生の幸せの
基礎なのです。
そもそもが学校という概念自体、人の
人生を豊かにするために作られたもの
でしょうからね。
仕事して、お金を稼いで生きるために
必要なことを幼いうちから広く多くの
子に学ばせるための仕組み、施設。
団体行動やコミュニケーションも含め
読み書き計算、手作業体力などなど。
それらがあったら社会で幸せに生きて
行けるのです。
そういう社会を現代日本は創り上げた
のです。
私の勉強のお話。
私の人生の僥倖は、それほど専門的な
学問を習得しなくても、超大手企業に
10数年とはいえ在籍できた事なので
す。
本来の私の生まれや能力や勉強の才や
人付き合いや仕事への興味などなど、
全てひっくるめて評価したとしたら、
絶対ありえないのです。
頑張っていないわけではないのですが
「ランクの低い」勉強だけでここまで
来れた事が僥倖なのです。
低レアキャラでも高レア人権キャラに
並ぶ機会があったのです。
何か一点突破の特技があったわけでも
見てくれや話術があったわけでもない
ツテもコネも興味も技能も何もない、
学校のおべんきょうしか出来なかった
この私が。
そのおべんきょうもきちんと理解した
わけではなく、機械的に頭に詰め込み
過去問をフル活用してテストをこなす
だけだったこの私が。
専門学校時代の、授業内容も、教員の
名前も、なに一つ残っていない、この
私が!
ラッキーパンチがクリティカルヒット
したのでした。
ありえない幸せを得たのです。
更なる幸せは、ラッキーで乗り越える
事が難しくなったあたりで、スルッと
辞められた事です。
まあ、それを狙って辞めた訳ではない
のですがね。
いちおう立ち向かって、敵わなかった
だけなのですがね。
それでも結果オーライ、勝てば官軍。
高給だけ貰ってバイバイなのでした。
34歳になって、難しい仕事辞めて!
家庭も持たないで、独りぼっちで!
そんな仕事に就けた自信と、それまで
貯めた貯金で安心感を得て!
勉強や責任に押しつぶされなくていい
底辺職やりながら、酒のんで猫と寝て
ギター弾いて空見て明日もなコツコツ
生きてくんだよ!
どうだお前ら羨ましいだろう!