やればできる! | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

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旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

できる・できないのお話。

主に学業や仕事のお話です。


無理とかできないとかは嘘吐きの言葉
なんて言った輩がいましたが。





その言葉が嘘ってやつです。


ワタミ社長「もう無理」
https://matome-new.com/neta/47303/


人間、できない事はできないもの。

様々な理由から、できない事はあるの
です。

だからできる事をできる限りやったり
できない事をできるようにして、人は
人生を乗り切っているのです。


できない理由一覧。


・能力(スキル)
 プログラム、製品開発、調理師など
 経験、技工、知識など必要な業務

・耐力(スタミナ)
 配送、重量のある物の運搬、長時間
 拘束など、一時、少量はできても、
 続ける事が困難な業務
 寒暖、痛い、眠い、疲れた、忙しい
 など辛い環境下での業務も含まれる

・精神(ストレス)
 クレーム処理、水商売、ノルマあり
 営業など、精神的負荷が強く、長く
 続かない業務

 

・資材(リソース)

 金がない、場所がない、人がない等

 資材がない状態での業務

・信念(ポリシー)
 違反行為など従うべきでない指示を
 されるような、モラルに反する事を
 しなければならない業務

・報酬(プライズ)
 指標はどうあれ、自分の望む金額に
 比べて低収入、努力の割に得られる
 物のない業務

・興味(インタレスト)
 業界、人員、使用部材など、業務に
 直結しないものの、関係するものを
 知る必要があるが、その興味がわか
 ない業務

・危険(リスク)
 高所、高電圧、高熱、高エネルギー
 など、危険と隣合わせとなる業務

・歓喜(デライト)
 単純に役に立てるとか人と関われる
 という喜びが感じられない業務

・我慢(スタンド)
 繰り返し作業、単調業務、休日返上
 など、上述いずれでもないが、嫌な
 状況を強いられる業務


こんなものだろう。

日本語と英語の2つを書いたのに特に
意味はありません。


「できない」「やりたくない」となる
仕事や学業などはこれらのいずれかの
理由があるかと思われます。


冒頭に載せた某居酒屋チェーンの例は
時間外勤務が100時間超みたいな、
耐力を要する業務なので「できない」
と言われるのです。


私が以前の仕事を「できなかった」の
は、知識や経験や発想力などの能力が
なかったためでした。

新製品開発や特許やコストダウンなど
こなせない能力不足と、納期や売上の
未達を責められる事に耐えられない
精神力不足が原因なのでした。


ダイエットなんかは我慢さえすれば、
不味かったり、量が足りなかったり、
食べたくない時でも食べたり、逆に
食べたい時にも食べないのを我慢さえ
すれば、ある程度は誰にでも効果は
現れる、出来るはずなのです。

でも食べたいし。

私なんか痩せた所で良い事もないし、
モテるわけじゃないし、モテたいとも
思わないし…

みたいに思っちゃったりして、我慢の
割に見返り、報酬に魅力が感じられな
いので、続かないのです。


時々ネタにしてますが、前の職場にて
製品不具合が発生した時のお話。

処置の応援協力として、検査の工程の
夜勤を手伝った時のお話。

装置に部品を取り付けて。
ボタンを押して。
5秒待つ…
結果が出たら取り外して次の部品…

を、延々8時間×2週間やった時は、
能力的に可能ではありましたが、気が
狂うかと思いました。

単調な作業は楽に見えますが、退屈に
耐える耐力が必要なのでした。

きょう一日がそれで終わり。
明日もまたあると思うと憂鬱になる。

これを一生やれと言われたら…
人生を考えちゃいます。

特別な能力は不要、忙しくもなく、
快適な温度、煩わしい人間関係のない
仕事だとしても、もう二度と御免蒙る
のです。


例えば、風俗も、いずれの理由も乗り
越えられたなら「稼ぎの良い仕事」に
なるのでしょう。

だからその商売を選ぶ女性もいるわけ
ですね。

男娼なんて言葉もあるし、ホストも
似たようなものかも知れませんので、
女性には限らないですかね。

でも、多くはプライド等の「精神」や
貞操観念等の「信念」で、その仕事を
選ぶ者は少ないのです。

また、その仕事を
「誰でもできる」
「汚れ仕事」
「『堕ちる』『沈める』と表現」
等、下に見る輩もいるのです。

勤めている本人もそう思うからこそ、
その仕事を選ぶ事に葛藤を覚えたり。


ちょいと余談。

何度も言っております。

私は「職に貴賤なし」がモットーなの
です。

自分で稼いで、自力でごはんを食べる
人生なら、上も下もなく立派だと考え
るのです。

余談おわり。


私の今の仕事のお話。

連休がなかったり。
朝も夜もない勤務時間だったり。
拘束時間が長かったり。
ただでさえ少ない休日が、他の勤務者
との兼ね合いで呼び出されたり…

など、しんどい部分はありますが。

「我慢」できる範囲であると感じて
おります。

「我慢」で済むなら安いものです。


職場の人のお話。

「我慢」できずにカッカしちゃって、
人あたりの悪い先輩がおりまして。

「能力」もあり「信念」もあって、
管理職の責任に耐える「精神」もあり
自身の業務に加え運営も見る「耐力」
いる仕事をこなしてるのに、いまいち
評判が悪いのです。

私が彼と真っ当に比べられたら、何も
敵う部分はないのですが。

私は嫌な事やしんどい時も愛想をよく
する「我慢」が出来るので、「我慢」
して仕事をしているのです。

実力以上の評価をされ、また相対的に
彼が低い評価を受けているので、私が
低く評価されずに済んでいるのです。

多分、低くないと思いますが…

どうなんでしょうね…


私の学生の頃のお話。

私の学校生活は、楽しい事も辛い事も
ありました。

クラスや部活でワイワイしたり、勉強
頑張ってそこそこ成績良かったり。

でも、いじめられもしたし、嫌な奴に
絡まれたりしたし、モテなかったし…

それでも、将来の事を考えれば諦める
わけにはいかないし。

ただ行くだけでいいのだから「我慢」
していたのでした。


勉強も本質なんてわからないけれど、
毎日一時間、テスト期間中は三時間の
自己学習時間を割いたのです。

思い切り遊びたい所を「我慢」。

早く寝たい所を「我慢」。

そんな「我慢」でいい人生を歩めたと
思えば、安いものなのです。

その「我慢」ができない人達がいる、
そのおかげで私は少し上に立てている
と考える事があるのです。


私は何もないのです。


勉強をして実務に活かす「能力」も。

業界をこうしたい、自分を出したい、
みたいな「信念」も。

叩かれてもなお頑張り続けようという
「精神」も「耐力」も。

人にも物にもお金にも業界にも、全く
「興味」が。

仕事をしていて「歓喜」なんか。

何にも、なーんにも、ないのです。


前向きな事を書いてはいますが、毎日
行きたくないと嘆きながら出社してる
のです。

学校の勉強も、社会に出てからの資格
勉強も、もちろん趣味や娯楽の勉強も
いっさいが大嫌いなのです。

したくない、理解や活用ができない、
興味がない、つまらないのです。





仕事での人付き合いはあくまで仕事の
場のみ、帰宅したり退職したりしたら
一切の関係は無に帰すのです。

プライベートの時間で、人類と関わり
合いになりたくないのです。





そんな私でも「我慢」の力があるから
今の立場、今の裕福さがあるのです。

「我慢」できない人がいるおかげで、
私なんかでも生きていけるのです。

いい成績じゃなくても。
いい友達がいなくても。
休み時間に「浮く」とかあっても。

とりあえず行きゃあ、これみよがしの
「悪行」をしなけりゃあ、少なくとも
中学卒業まではやっていけるはずなの
です。

そこで新卒採用されてからも「我慢」
すれば、ご飯は食べていけるのです。


それでも不登校になったり、真面目に
授業を受けられなかったり、素行不良
となって学歴に傷をつけたり。。

そんな子もいるのです。

その子たちには悪いけれど、優秀では
ない私にとって、そういう連中と比較
され「おりこうさん」と言われる私は
そのおかげで生きていけるのです。


某小学生不登校Youtuberのお話。
もう中学生だそうですね。





彼も、きちんと学校に通っていれば、
もう少しマシな人生だっただろうと
思います。

ま、Youtuberとして全国に知られると
言うのも面白い人生でしょう。

絶対の正解なんてないものです。

自活して食べていけさえすればね。


学校という枠やルールに縛られる事や
それらは今後の人生でたくさんあると
思うと、気分が重くなるのは分かるの
です。

私も重かったのです。


でも、行くだけでいい。

「我慢」して行くだけで、実力以上の
就職への道を用意してくれる、それが
学校なわけですから。

人生を上手いこと生きて、旨いものを
食べていこうと思ったら、学校に行く
以外の選択肢はリスクが高すぎるので
す。

余程のやりたい事や、別の能力がない
限り、行くだけでいいから学校に行く
べきなのです。

一度、不登校や引きこもりになると、
そこから這い上がるのは至難の業なの
です。

底から這い上がれる力がないような、
「能力」も「耐力」もないような人は
黙って「我慢」なのです。


いつぞや書いた記憶があります。

人生における困難はアリジゴクのよう
だ、みたいな事。





歩き続けなければならない人生で、
アリジゴクにはまっている時間なんか
ないのです。

他の人がどんどん先に歩いているのに
自分だけ休んでいたら遅れを取るだけ
なのです。

アリジゴクから抜け出る事を最優先に
考え、またあるき出さなければ生きて
いけないのです。

抜け出る努力をしなければ、更に深く
沈むだけなのです。

一日休めば、地上に抜け出るまでの
距離は更に遠くなるのです。

今日 逃げたら 明日はもっと大きな
勇気が必要になるのです。





私は先述の通り、学歴や職歴に比べて
実力が全く伴っていないのです。

だから、ブラフや人受け、「我慢」で
おまけポイントを稼いで行くしかない
のです。

実力が試されそうになる度に退職して
来たような気がします。


でも、それでいいじゃあないですか。

生きていけてるんだから。

アリジゴクにはまらずに済んでいるの
ですから。


「アリジゴク」や「休む」ってのは、
不登校や無職、ニート、生活保護の事
です。

自活、すなわち自分の食い扶持を自ら
稼ぐことから遠ざかる状態です。

ぼっち陰キャ学生でも、底辺職でも
いいから、とにかく歩くのです。

止まるんじゃねえぞ、なのです。

どうしても歩けなくなった時のために
節約や「我慢」をして財を蓄えておき
生き延びている間に「アリジゴク」を
抜け出る術を探すのです。


あ、ちなみに。
不登校Youtuberの彼、学校行っている
らしいですね。


ゆたぼん君・学校行ってる事が判明し
安堵の声が多数
https://theyellowmonkey-movie.jp/yutabon-gakkou/


何だよ…
よかった… 不登校じゃねェのか…





おれァてっきり…

しょうもないYoutuberのまま大人に
なり、無職のまま生活保護を貰ったり
無敵の人になって、デモや犯罪行為を
したりするんじゃないかと…

何だァ…おれがダマされただけか…


我慢できない人を悪く言っているわけ
ではなくて。

我慢できる事もまた、何か特別な事が
できるのと同じ位の能力だと思うって
言いたいのですよ。

事実、何もできない私でも、できない
なりに我慢して学校に行って、仕事を
耐えた事で、それなりな大人に見える
ようになってきたのです。

我慢もしてない人に比べれば、立派に
みられる位の経験は積めたのです。

今も何の能力もないけれどもね。

我慢する事だけは人一倍なのです。


本日の考え方、何となくなのですが、
声優の大塚明夫氏の考え方に影響を
受けている気がします。

一緒にしちゃ失礼かも知れませんが。


「声優だけはやめておけ」
声優・大塚明夫さんが語る、
厳しすぎる声優業界の現実!
https://anibu.jp/20190603-akiootuka-127760.html


↑のURLの所では語られてませんが
どこかで見た記憶のお話。

「今の若い子は、チヤホヤされたくて
 ヒーローの声を当てたくて来る。

 一時は叶っても、歳を取り衰えたり
 新しい若い子が入るなどするから、
 ずっとヒーローではいられない。

 年配者なりに別の演技を高めなけれ
 ばならないが彼らはそれをしない。

 そういう声優志望は現れないから、
 私の仕事はなくならない」

みたいな、ちょっとした皮肉っぽい
言い方をされてたと思いました。


あと、これはURL内で語られてる
お話。

「自分なりの生存戦略を持つべき。

 常に自分を高め、キャリアを積み重
 ねていかなければ生き残れない」

ですって!


私なりの生存戦略が「我慢」だったの
です。

上述の通り何も持たない私なのですが
「我慢」だったら出来たのです。


というより、これは持論なのですが、
何の取り柄もないのにお金が欲しいの
なら、せめて我慢しろと思うのです。

何の取り柄もない輩が我慢さえすれば
生かしてやる制度があります。

「学校」であり。
「新卒採用」であり。
「管理職による監視」であり。
「手順」や「ルール」であり。
「安月給でも給料制」であり。
「社畜」であり。
「会社」「社会」なのです。


社畜。

いい言葉じゃないですか。

会社に養われる動物。

会社が養ってくれる制度なのです。

今の世の中に数多く用意されている、
生きるための制度の一つなのです。


本来の野生の世界には、全くないもの
たちですよね、そんな「制度」。

自分で餌を取る能力、返り討ちに遭う
リスク、暑い寒いあっても獲物を探す
耐力etc…

働かざる者食うべからず、なのです。

獲物を捕れなければ食べられないのが
野生、自然なのです。

それに比べたら、何と有り難い事か。


社会を成して、社会の歯車となって、
ハイハイ言って「我慢」していれば、
たくさんの社会の恩恵を受けられるの
です。

インフラもご飯もスマホも堪能できる
のは、誰かが秀でた能力でそれらを
維持してくれているからなのです。

その能力もないのに、理解もしてない
のに、恩恵を受けられるのは。

働いてお賃金を得てお支払いしている
からなのです。


社会は持ちつ持たれつ。

我慢はお金と等価なのです。

能力はお金と等価なのです。

成果はお金と等価なのです。

我慢して稼いだお金で、誰かが秀でた
能力で作り上げた成果物が得られるの
です。


学校に行って授業を受けて。
会社に行って指示に従って。

愛想ふりまいて、「我慢」してれば、
能力がなくても、それなりの人生を
送れるのです。

人生困窮している人は、その我慢すら
してこなかった、出来なかった人なの
です。

特別な能力もないのに、我慢もしない
のなら、誰からの評価も擁護も得ずに
辛い人生を送るしかないのです。

逆に言えば、何もなくても「我慢」を
すれば、色々どうにかなるわけで。

更に言えば、何もないのに「我慢」も
しない、誰にも何も与えない輩には、
誰も何も与えてなどくれないのです。


短気は損気。

その逆も然り。

我慢は得。

我慢は自分の糧となるのです。


結論。

成らぬ堪忍するが堪忍。

我慢も実力のうちなのです。

その我慢ができない人もいるわけで、
我慢できるのは立派な能力なのです。

今日も我慢してる方、お疲れ様です。

我慢して済む事なら、我慢しながら
やっていきましょう。