いただきます | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

食のお話。


時々書いている記憶なのですが、私は
食べる事が大好きなのです。

甘いもしょっぱいも辛いも大好き。
炭水化物も油も糖も大好き。

野菜はあんまりなので、肉類と一緒に
調理したり付け合せしたりして食べて
おります。

食感、味、腹いっぱいの満足感など、
食べる喜びはいつまでも大事にしたい
ところなのです。

ジュースやお茶や牛乳など飲み物も、
お酒も大好きなのです。


それは食べる事が命に直結していると
いう部分もありまして。

子供の頃からのいくつかの思い出が
あるのです。


1つ目。

あるマンガで、金持ちでいけ好かない
キャラが、なにがしかの理由で没落し
コンビニでおにぎりを買う時ですら、
会計時に「足りないかも」と焦る様に
なる…

みたいなシーンがありまして。

しょうもないエロギャグマンガだった
と記憶していますが、作者も題名も、
その他のシーンも何一つ覚えてないの
ですが、そこだけ何か「恐怖」を感じ
強く印象に残ったのでした。


2つ目。

同じく「食べられない恐怖」を描いた
マンガ。

ワンピースのサンジの過去編、遭難で
何もない岩場に数ヶ月取り残された話
ですね。





単行本7巻に収録されてて、1999年に
発刊されているとのこと。

20年以上前ですね。

リアルタイムで見ていたあの頃は学生
でした。

あの話だけ非常に色濃く覚えているの
です。

食べられないってのは恐ろしい…


3つ目。

「そうか あかんか」で有名なアレ。

「京都伏見介護殺人事件」という名が
ついているそうですね。

詳しく調べたり書くと、わりとマジで
精神がまいるので、やめときます。

気になる方はググってください。

お金がないってのは恐ろしい…


4つ目。

北九州市生活保護受給者死亡事件。

こちらも詳しい説明やURLは割愛と
します。


いずれにせよ、おにぎり1個、自力で
食べられなくなる状況がいつか来るか
と思うと、今わずかな贅沢も控えたい
のです。


例えば今、五百円で済むところ、千円
する様ないいモノを買ったとして。

そのせいで40年後、百円のおにぎり
すら買えなくなるのではないか…。

そう考えてしまうのです。


ま、ほどほどにお酒を楽しむとか。

たまには晩酌の肴をうなぎにするとか
お酒を発泡酒から黒ビールにする位の
贅沢はしますけれどもね。

ちょっとした食の贅沢は我慢できない
のですわ。


私が守銭奴なのは、そういう考え方の
せいなのです。

「いつか食糧が買えないほどに貧する
 時が来るかも知れない」

そう思うと、できる範囲で節約したい
のです。


ヒゲ剃りはダイソー百円で5本入りを
刃がヘタるまで使ったり。

衣類はしまむらGUユニクロ、トップ
バリューあたりを活用したり。

家電はアイリスオーヤマで、最低限の
機能のもので十分だし。

携帯は新品で3万円以下を使いこなす
のです。
高画質なゲームのために高価な端末を
買うとかもったいないのです。

ゲームや動画や動画は無料のものだけ
選んだり。
無料でたくさんあるもので十分なので
す。

自動車になんかお金をかけてはいられ
ないのです。
軽で十分なのです。


食べられないのは恐怖。

食べられない存在はかわいそう。


しっかり食べて生命力あふれる恵体は
美しいのです。

太い脚、でかいタッパとケツは良いの
です。







脂肪が枷となり動きや歩き方が異常な
程だとデブですがね。

「登場キャラの脚が太い」だけで名を
馳せたゲームもありますし。

だけってことはないのかも知れません
けれどもね。
私は未プレイです。





太くていいね!





ノラネコのお話。

警備の仕事をやっているとノラネコと
遭遇するのはよくあるお話。

以前、施設に子猫が迷い込んだ事件が
ありました。

その姿が監視カメラに映っていたので
すが…


小さくやせ細った体で、ダンボールを
背伸びして覗き込んだりして。

他の従業員さんに見つかって追いかけ
られて。

台の下に隠れながら、何とか捕まらず
外に逃げていったのでした。


警備としては捕まえた方が良いのかも
知れませんが、捕まえた所でどうにも
出来ませんし。

すばしっこく逃げる子猫をそう簡単に
捕まえられるものでもなし。


施設から居なくなってくれる事が一番
なのです。

我々の管理区域でない以上、手出しを
する必要もありませんからね。


でも、そうまでして、人間に追われる
危険をおかしてまで侵入しても、ご飯
ひとつ食べられないのがノラネコ人生
なのです。

かわいそうが過ぎるのです。


ノラネコかわいそうと言うと、アベマ
ブログでも活動しているのべ子さんと
いう方の「ぼくはのらねこ」という
作品がありましてね。


ぼくはのらねこ
https://www.pixiv.net/artworks/79652568


この方の絵、少ない線の単純に見える
イラストなのですが。

なぜだか哀愁があるというか。

しょんぼりしてるキャラがホントに
可哀想に思えてくる感じなのです。


ノラネコ嫌いの方から作品を叩かれた
だか荒らされただかしちゃったみたい
ですけどね。

確かに、鳥を食べたり、鉢植えを倒す
描写があって、そちらの被害に苦しむ
人からすると怒りを感じる部分がある
かも知れませんがね。

作品にケチをつけたところでノラネコ
問題が解決するもんじゃないよ、とは
思います。


作品ラストには、猫ちゃんへの思いが
綴られていました。

すべてのねこがあたたかいおうちで
ねむれますように。


私も願うのです。

すべての猫ちゃんがおいしいごはんを
食べられますように。


せめてウチの猫ちゃんは、死ぬまで
ずっと平穏な生活をさせてあげたいの
です。





個人的な希望、妄想。

時間とお金が許せば、将来仕事辞めた
後は、ノラネコちゃんの里親募集の
ボランティアでもしたい所なのです。

両親同居の持ち家です。

今の猫ちゃんも1階2階を好き放題に
走り回れるようにしております。

数匹なら飼うだけのスペースはあると
思うのです。


ただ、現実問題として、そこまでお金
余裕あるわけでもないし。

前述の通り、私は私のごはんで精一杯
なので、今の猫ちゃんが虹を渡った後
つぎの猫ちゃん1匹の里親になる位が
関の山でしょうかね。

生きているうちから居なくなった時の
事を計画立てるなと怒られそうなので
まだやめときましょうね。





目がこわい。


私は動物好きなのです。

花も鳥も風も月も好きなのです。

嫌いなのは人間だけだ。





人間も嫌いじゃないんですけどね。

殊勝に生きる人間ならね。

前述のような食べるにも事欠くような
人には生活保護が届くといいと思って
います。


今、食べられない…

今、食べられるだけでいい…

それ位の困窮を救うために生活保護は
あると思うのです。

あるべきなのです。


逆に、生活保護を貰って贅沢をしたり
贅沢できるような身分でありながら、
タダで生活保護が貰えるなら貰っとけ
という精神の人間は滅ぼしたい所なの
です。


月29万円の生活保護でも苦しい
2児の母が訴える朝日記事に疑問噴出
https://www.j-cast.com/2013/03/07168668.html?p=all


母親が生活保護受給の人気芸人
「タダでもらえるならもろとけ」
https://www.news-postseven.com/archives/20120413_101700.html?DETAIL


こういう輩がいるために、今食べられ
ない人間が生活保護を受けられない。

こういう輩のために、本当に食べられ
ない状況を保護してもらうための生活
保護受給者もが肩身の狭い思いをした
り、偏見の目で見られる。

人間とは、何と業の深い。


あと、一生言い続ける問題です。

車いす生活の方が駅員に「手で運べ」
と命令したりする騒動のお話。


JRの車椅子乗車拒否と生活保護叩きの
意外な共通点
https://diamond.jp/articles/-/268609


こういう輩がいるから、ハンデを持つ
人間に対しての偏見というか、憎悪が
なくならないのだと思います。

こういう輩がいるから、ハンデを持つ
人間全員がこんな考え方だと見られて
しまうのです。

厄介者の眼差しを向けられるのです。

むしろ「憎し」になり、別の障害者が
虐待や差別を受けるのです。

真の理解とは程遠くなる事を、障害者
自ら行っているのです。


自分らのハンデ、不平等を平等にする
ためなら、他の人間が理不尽な苦労を
被るのも当然のものとする精神。

サポートしてくれる側の苦労や人権を
考えていないような考え方、発言。

他の障害者への影響を顧みず、自分が
不満を感じたから、ですぐ「お気持ち
表明」をする我儘さ。

少子化や技術伝承不足などの問題で、
本来の業務を行うのも難しくなりつつ
ある現代社会の中、少ないリソースの
中で配慮をしてもらって、感謝もない
傲慢さ。

人間とは、何と業の深い。


リソースの問題。

世の中の多くの問題はリソース不足が
原因なのです。

リソースがありさえすれば大体の事は
片付くのです。


リソースとは主にお金、人材、時間、
スペース等の事です。

引きこもりやニートの不安は、お金が
あれば。

教師介護その他の人材不足は、人材が
あれば。

後継者不足、技術伝承問題は、時間が
あれば。

保育所や介護施設不足は、スペースが
あれば。


そもそも戦争だって資源、領土、お金
などリソースの奪い合いなのです。

リソース不足は世界のあらゆる問題の
根源なのです。


どれかが無くて簡単には行かないもの
ばかりなのです。

どれもが潤沢にあるのであれば何とか
なるものなのです。


しかしながら、今後の日本の社会は、
リソースはどんどん減少する方向なの
です。

お金、貨幣の価値は世界に比べて低く
なって来ていますし。

多くのインフラ等は新しい物が増える
どころか、現状維持、保守ですら困難
なのです。

特に人材なんかは少子化のせいで各社
苦慮しているでしょうなのです。

お金があれば雇えるんでしょうけれど
そのお金も無いのです。

時間があれば既存の社員を教育したり
対応の道もあるのでしょうけれども、
無いのです。

今までの当たり前が贅沢になるのが、
これからの世の中なのです。

そんな中で障害者対応へもリソースを
割いているのです。


例えば、です。

車椅子生活の人には届かない所に陳列
されている商品があるとして。

「健常者にとっては高い所に手が届く
 のが当たり前」
「商品の選択に制限があるべきでは
 ない」

なんて言われて、全ての商品が車椅子
からでも手が届くようにしてないなら
平等ではないみたいに言われたら…

店側はどうでしょうか。


理屈はごもっともなのです。

車椅子の人と健常者とで差があるべき
ではないのです。

ですが、現実問題として不可能なのは
自明の理です。

今の高さの半分の陳列に抑えようと

思ったら、お店のスペースが2倍に
なります。


同じく現実問題として、本問題の対策
としては、道行く人に
「すみません、アレ取って下さい」
とお願いする位が妥当なラインと思わ
れます。

それでも、そこまでしてもらえるなら
「皆さんの協力があって、欲しい物が
 買えています、有難うございます」
じゃろがい!

そんなのは障害ありなし関係ないので
す。

「障害者だかららしくしろ、感謝しろ
 小さくしていろと言われる」
じゃないのです。


誰だって社会で生きて周りに手伝いを
されたら「有難うございます」なので
す。


そんなのは障害ありなし関係ないので
す。


そこを
「従業員が付き添いしろ」
「できなければ高い所の商品も取れる
 装置をつけろ」
みたいな事を言いだしたら。

それで店側が「できません」と言ったら
店側を悪く言ったり、ネットに晒したり
するなら。

「もっと考えろ、出来る事がある」
「配慮がたりない、不自由のままだ」
みたいに、手前の我儘なだけの話をさも
社会問題のように言うのなら。


そりゃ炎上もします。
叩かれもします。

叩いて下さいと言わんばかりの考えな
のです。


もはや「逆差別」なのです。

「弱者という武器を持った強者による
 一方的な暴力」なのです。

それはもはや悪なのです。

車椅子や障害者のためでもなく。

様々な差別をなくすためでもなく。

議論を世にしてもらう啓蒙活動ですら
ない。

王様扱いしてほしい自分自身のために
従業員に提供してる以上のサービスを
要求し、出来なければふみつけている
のです。





ついでに手と舌も不自由になって文句
言えなくなればいいのに(非道)。


 




あくまで例え話です(強調)。


同じく例え話として、そんな風に高い
所の商品を取ってもらおうとして、

「何でテメェの手伝いしなくちゃいけ
 ねェんだ!家でじっとしてろ!」

とか言われて協力してもらえなかった
り、

「あ~らごめんなさ~い、他のものも
 入れちゃったけど税金で暮らしてて
 お金たくさんあるんでしょうから、
 全部買ってよね」

とか言われて、不要なものまで入れら
れたり。


そういう「差別」をされているのなら
多くの同意や同情が得られるでしょう
けれどもね。

そういう「差別」をする輩がいるなら
脚が爛れて車椅子生活の辛さを味わえ
とか思いますけれどもね(正義)。

 

昨今のポリコレ問題もこんな話です。

 

他の人もないサービスを強要するから

馬鹿野郎何様だ、になる。

 

他の人にはしない差別をされたのなら

問題ですけれどもね。

 

そうでないのにギャーギャー言うから

マイノリティうるせェなあ、になる。

 


すこし余談。

コレが私の悪い癖だと思います。

いもしない悪しき人間を想像しては、
人類全体に対し嫌悪を感じてしまう。

マンガやアニメなどで悪党を見ては、
人類全体に対し嫌悪を感じてしまう。

時には夢でされた憎むべき行動でさえ
人類全体に対し嫌悪を感じてしまう。

その嫌悪だけが残り、現実の人間にも
不信感や憎悪を抱いてしまう。


先日「ありもしない不安に苦しむのは
杞憂であり、鬼も笑う頭の悪い行為」
みたいな事を言っていましたが。

そう簡単に、幸せな現実だけを見て、
楽観的に生きられるものでもないので
すね。


ちなみに、本人も障害者に対する差別
発言をしている事が判明しています。


伊是名夏子さん
 「知的障害者に間違われてショックを
 受けました・・」
←知的障害者への差別ヤバいと
 批判噴出
http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10544495.html


あと、ソースは見つかりませんでした
が、本件のJR乗車拒否の騒動を受けて
障害者側を擁護する意見として、
「JR職員側を底辺と見下す」
ようなツイートを見かけたりもしたの
です。


誰かを見下すのが人間の性なのです。

先程「いもしない悪しき人間」と書き
ましたが…いましたね、悪しき人間。


人間とは、何と業の深い。

勝手に生きて勝手に死ねばいい。

もう誰の味方もする気もないのです。


私の「障害」のお話。

以前から記載しておりますが、私自身
HSPを自覚し、転職や団体脱退など
生活に支障を生じながら一人で生きて
いる身です。

それでも、です。

HSPに対して、一方的に「配慮」を
要求するような真似は出来ません。

「世の中がもっと、HSPを理解して
 配慮できるようになればいい」
なんて事は言えません。


そんな人間にはなりたくないし。

そうまでしてもらい、気遣われながら
特別扱い腫れ物扱いされてまで居続け
たくないし。

そこまでを他人に望む事もしたくない
のです。

配慮をしてくれない人間を貶すように
もなりたくないですからね。


以前もブログで書いた記憶です。

配慮のない行動を受け流せないのは
HSPであり辛い気質なのですが。

配慮した行動が出来ないのも、名前が
ついていないだけで辛い気質なのかも
知れない、と。

そちらに対しての「配慮」をせずに、
ただ自分が辛いから「どうにかしろ」
と周りを従わせようとするのは、社会
不適合にも程があるのです。


HSP云々ではないのです。

求めれば、周りが右往左往して世話を
焼いてくれる、自分に合わせてくれる
事が当然と思うお子ちゃま根性が既に
社会不適合なのです。





HSPは、いわゆる「障害者」に該当
する病気ではないと言われています。

しかしながら真っ当に社会生活をする
事が難しいという意味では、何らかの
支援を要する状態であると、個人的に
は思うのですが。

現実はせちがらいのです。

結局、誰の配慮も得られず、周りから
「わがまま」「弱い」「根性なし」と
言われるだけなのです。

言われながらも、今日もHSPは耐え
生き続けているのです。


耐えられなければ、そこに所属し続け
るのを諦めるしかないのです。

周りに変われ、こちらを刺激するな、
なんて望むのは我儘なのです。


「ないものは無い」のです。

私が退職する当時も、HSPの刺激に
ならないポストに異動させてくれ、と
頼みましたが。

そんなものは無いと言われてしまえば
その会社に私の居場所は無いのです。

自分から離れるしかないのです。

人に変わってもらおう、人に用意して
もらおうなんてのは我儘なのです。


ないサービスを要求した所「無い」と
言われた事に文句を言うのは我儘なの
です。

検討してくれただけでも感謝するべき
なのです。


世の中そんなものなのです。

自分の力で耐えて、乗り越えていく。

それしかないのです。

自分をお姫様にしてくれない世の中を
グチグチ言って理解など得られる訳も
ないのです。


ま、強いてプラスの意見を言うなら。

こうしてブログやツイッターで発言を
してくれたから私でも知る所となった
わけで。

本人もそうした「炎上」「拡散」で、
広く意見を伝える事が目的だったそう
ですからね。


車椅子コラムニスト
伊是名夏子さん、自白
「はい、わざと炎上させました」
https://yoshidakenkou.net/post-39927/


「多様性」の世の中。

色々な意見や考え方があってもよいと
思います。

少数派の意見も「存在否定」はしては
いけないと思います。

存在は認められるべきだと思います。


でも、ならば、その少数派に対しての
「悪い意見」「逆側の意見」の存在も
認めなければならないのです。

「色々な人に配慮した考え方を」
とか言いやがる輩がいますが。

それは結局
「少数派の自分の意見に賛成しろ」
ってアピールなのです。

一般的とは違う自分の意見を通そうと
するのなら、少数派の意見の存在を
認めてほしいとアピールするのなら。

少数派の意見を批判する考え方がある
事も認めなければいかんのです。


SNSなどで広くアピールするのなら
多くの人に見てもらいたいのなら、
批判的な意見が挙がるのは当然の事。

都合のいい応援意見だけ聞きたいなら
SNSなんかに出てこなけりゃいいの
です。

お友達らでお茶会開いてろなのです。


ま、本件の場合は「炎上狙い」らしい
ですから、わざと炎上するような事を
言われているわけですね。

まんまと乗っかってカッカして炎上に
協力しちゃったわけですね。

やられましたな。


アピールのお話。

SNS時代になり、多くの人が自身の
思いを発信できるようになりました。

容易に「辛い」「助けて」をアピール
できるようになったけど。

その分、本当に助けを望む声ってのが
伝わりにくくなった気もします。


美人や有名人、その他の活動ですでに
人の繋がりを持てている人の発信が、
炎上やバズとなって多くの人に届くの
です。

本当の弱者…味方も友達も誰もいない
様な、支援や温かい目、声援を必要と
している人の声は、多くのバズにかき
消されていくのです。


とある女性の体験談。

山形の田舎から都会に進出した女性。

外資系投資銀行員のモテ男と付き合い
できたけど。

ある日、相手のSNSで結婚の報告を
見て、自分が彼女だったはずなのに、
と驚愕。

つまり遊ばれて終わり、自分は遊びの
相手でしかなかった、というお話。

そこまで分かっていながら。
もう30歳にというのに。

今更、山形には帰りたくない。
男のランクは落としたくない。

10年後には自殺しているかも…
そんな事も仄めかす様な有様。

そんな「悩み」。


某選手の"けつあな確定"事件、
これって…
https://twitter.com/ginza_koban/status/1569633214184173568


我儘というか、贅沢というか。
自業自得というか。

心中お察しする部分はなくもないので
すが、御本人の言葉も借りると、

「シャインマスカットを食べる生活を
 送った後で、今更こ汚いスーパーの
 ブドウには戻れない」

という悩みな訳ですね。


スーパーのブドウで我慢してるとか。

スーパーのブドウもたまの贅沢とか。

スーパーのブドウすら手に入らないと
いう様な、本当の「悩み」じゃないん
ですよね。


自分はシャインマスカット、つまりは
上ランクの「モテ」の部類だったと、
自虐風自慢をしている訳ですね。

自分以下の「非モテ」を、スーパーの
こ汚いブドウと侮辱してる訳ですね。

同時に、スーパーや、スーパーに並ぶ
銘柄無きブドウを「こ汚い」と表現し
侮辱してる訳ですね。

地元やクラスメートや元彼や学校、他
様々なステータスの男性の事を見下し
ている訳ですね。


そんな「悩み」の「辛さ」には同情が
集まる訳もないのです。

送られるリプライも、明らかな批判の
言葉こそあまり多く見られませんが、
同情の声も少なめ、殆どが嘲笑の様な
ものです。

自分をお姫様にしてくれない世の中を
グチグチ言って理解など得られる訳も
ないのです。


これも、
「彼氏が居なくて辛い」
「彼氏が出来たことがない」
「非道い彼氏に捕まってDVされた」
みたいな、普通以下の人の本当に辛い
心はバズらないのに。

こういう面白バカ女の与太話みたいな
ツイートが広く拡散するわけです。


一部のモテ男が、過半数のそこそこな
女性と付き合う構図。

以前みかけた残酷なグラフそのまんま
です。





てことは、少なくない数のそこそこな
女性は「付き合い」から「結婚」へは
たどり着けないのです。

付き合いたいレベルの男からは性処理

道具としてしか見られてないのです。

 

「モテてる」と自惚れて油断してると

セフレで若い人生を過ごす事になるの

です。

 

気がついたら男には結婚され、自分は
彼もいない行き遅れ30歳になるので
す。


……三十歳までモテ君臨
「嫁」にはなれず…彼も得ず……!!

終いにゃ終いにゃバカ娘…!!
セフレという名のバカ娘…!!

それらを誇る為のツイ!!!

実に空虚じゃありゃせんか?
人生空虚じゃありゃせんか?


人間結婚できなきゃ価値なし!!
高飛車我儘行けず後家なり!!

性処理道具の敗北者!!!
けつあな確定敗北者!!!





バカにしているわけではないのです。

早く「敗北者」側に慣れろと言いたい
のです。


幸運で得た実力以上のチャンスを手に
出来て、自分が「勝利者」側であると
思い込んじゃって。

自分以下の連中をナチュラルに見下し
ちゃって。

その立場にいる事に執着して、無茶を
こなして齧りついて。

でもやっぱり、根っからの優秀な人達
には敵わなくて届かなくて、苦しむ。

ここから堕ちて敗北者側の人生を歩む
よりなら、死んだ方がマシ…

そんな考え、どこかで見たのです。


勝利者の片鱗を少しでも味わえた…

それを思い出、いい経験、糧として、
堕ちた先で別の人生を歩めばいいでは
ないですか。

まだ30歳との事。

たぶん、35歳くらいまでは勝ち組に
未練があって、でもどんどん勝ち目は
なくなって。

どんどん死にたい気持ちが募ってくる
でしょうけれど。

その辺りを過ぎて、妥協の結婚をする
なりお一人様を楽しむなり、生き方を
変えられたら良いですね。

そうなったら晴れて負け組です。

負け組へようこそ~♪





今日、食の話でしたっけ…


まとめ。

恋人が居なくても。
恋人から捨てられても。
シャインマスカットじゃなくても。

シャインマスカットじゃないブドウも
美味しく食べられる人生なら幸せなの
です。


恋人を作ったり、モテ男にふさわしい
為のカラダ作りに気を使う必要もなく
なったんですし。

こ汚いブドウでも腹いっぱい食べて、
辛い事から目を背けて生きようぜ!!


この世の全ての食材に感謝を込めて…

腹いっぱい食べられる以上の幸せや、
過ぎた幸せや権利や承認欲求を望まず
今日食べられる事を幸せに思い生きて
いきましょう。