蟹のお話。
蟹だ!蟹だ!
https://www.youtube.com/watch?v=tcCk8nqjS2I&ab_channel=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%85%AC%E5%BC%8FTVTOKYO
世は忘年会シーズンですね。
昨今まだまだコロナの影響冷めやらぬ
と言ったところ、大手を振って開催は
されないでしょうけれども。
カニ鍋忘年会なんていかがかしら。
私はカニは好きでないです…
私は酒好きの会合嫌いなので、今の
仕事の警備員はそんなものとは無縁で
非常に助かっております。
警備員を選択した理由の一つでもある
のですけれどもね。
鬱陶しい人間関係の薄い職場。
年中無休の施設の警備員です。
私が休みの時は誰かが出番です。
みんなで飲み会とか冠婚葬祭なんて、
そもそも不可能なのです。
以前の職場では、年に数回の懇親会が
ありました。
それはもう嫌で嫌で、二週間くらい前
から憂鬱だったのです。
特に幹事なんて地獄です。
二次会も地獄です。
仕事終わって疲れてんのにさ。
クレーム発生して処理しなきゃの日に
飲み会が重なったりしてさ。
ま、そういうのがもう無いのは、今の
仕事の良さでもあるのです。
一応お断りですが、いわゆる「仕事の
延長で上司の話を聞かされる」類が、
若者の飲み会嫌いの大きな理由かと
思いますが。
むしろ私は有り難かった位なのです。
もっとプライベート色の強いような、
「私も一般参加者」の扱いになる様な
同世代との飲み会の方がずっとずっと
嫌だったのです。
「話を聞かされる部下」の顔で相槌を
打っていればいい飲み会なんて楽しい
位です。
仕事の飲み会、上等です。
プライベートの飲み会が嫌なのです。
このHSP感、人間嫌い感。
年々悪化しています。
学生の頃はそこまで人付き合いが億劫
ではありませんでした。
むしろ楽しく友人付き合いをしていた
記憶なのです。
HSPの概念を知り、自分と向き合っ
てから、より独りを好むようになりま
した。
一時は結婚を目指した事もありました
が、あれは結婚したくての事ではない
のです。
「結婚くらいしておかなきゃ」とか。
「結婚できない奴になりたくない」的
な、見栄、常識、ステータスが欲しい
が故だったのです。
本人が結婚したいわけではなかったの
です。
仕事もそうです。
仕事したいなんてのは誰も思わないで
しょうけれども。
やりたい仕事などないのですが。
「仕事していない奴になりたくない」
という見栄なのです。
今も、その思いだからこそ仕事してる
のです。
友人など欲しくないのですが。
「友達もできない嫌われ者にはなりた
くない」
という気持ちはなくもないのです。
そんな思いも今では全てはまぼろし。
そんな思いで結婚される相手が可哀想
なのです。
そんな思いで仕事を続けて何になると
思っているのです。
(ま、仕事は金のためですが)
そんな思いで付き合わされる友人は
いい迷惑でしょうなのです。
私が嫌なら、世間の常識がどうであれ
不必要な人間づきあいはもうしないと
固く誓ったのです。
一人でも強く生きるのです。
強いおじさんは固く誓ったのだ。
私の辞世の句です。
世の中に
人の来るこそ
うるさけれ
てめェーだよ てめェー
うぁぁー きえてくれ
ラインやネトゲのチャットでの交流や
ブログや掲示板などを通して人の考え
を情報として得るのは好きなのです。
人間と関わるのが嫌なのです…
ボイスチャットですら嫌なのです…
「人間」が嫌いなのです…
「人間」と付き合う度に、「人間」の
(思考や論理じゃない部分の)情報を
聞く度に、人間とかかわり合いになり
たくなくなるのです…
次こそ魔族に生まれますように…
HSPの概念は少しずつ広がっている
気がしますが、その分多くの人の目に
ついて、色々な事を言われている気が
します。
HSPとかいうゴミみたいな言葉
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/5864940.html
私は自己紹介にあるとおり、HSPが
原因(と思われる心労)で職を辞する
事がありました。
上述の通り人付き合いも大嫌いです。
仕事だけでなくプライベートでも。
親戚づきあい近所づきあいも。
HSP側の人間ではありますが、この
HSP批判は至極真っ当だと感じるの
です。
上にURLを貼ったまとめサイトから
同意できるもの、できないもの、私が
言いたい事を言ってくれてるものを、
いくつかピックアップ。
[概ね同意]
・メンタルを安定させることが出来な
くて自己肯定感がありませんって
言い換えろ
・自分の問題に向き合わない理由が
わからない
・HSPはただの性格
・構われると疲れるから構わないでっ
ていうのがHSPなんじゃない?
・他の人も大なり小なり嫌な事ある
けど、お前みたいに言い訳せずに
頑張ってるぞ
・ワイみたいに昼間はサングラスなし
で外歩けないくらい眩しく感じたり
そこらの定食屋の味噌汁熱くて飲め
なかったり
そういうほんまに感覚が過敏すぎて
結果的に繊細になってる人間から
すると「私はコミュニケーションに
問題抱えてますけどこっちから歩み
寄る気はないのでそっちが配慮して
ください」みたいなの腹立つわ
・こういうことを小バカにするような
奴らが結果的にこういう言葉を生み
出さざるをえない原因をつくって
いるといい加減気づけ
・HSPを名乗ったら周りがどう思う
かを想像できない時点で繊細とは
言いがたいよな
・大体の奴がシャツ一枚とサバイバル
本持たせてジャングルに放り込めば
治るよ
甘えてる奴が大半やし周囲が何とか
する内は一生治らん
・元々HSPも自覚することで
ストレスを回避しようって話だよ。
・要するに似たやつは結構いるって
安心感だよ。
[それは違うよ!]
・人より繊細だから優しい言葉だけ
かけてね!って事?
・男からしたら女は全員HSPだろ
基本的に女は感情制御ができない
から理屈が通らない
だから仕事も続かない
・私はお前らと違って繊細で思慮深い
んだ!丁重に扱え!!
って事でしょ
それを自称できるなんて相当無神経
で図太く無いと無理だよね
尊敬するわ
・自分のことには敏感であっても
他人に対して鈍感な自称繊細さんで
しかない
・本当に苦しんでいる人達もいること
を理解してほしい。
・言い訳ではなく寛容な社会を求めて
いるのだよ。
こんなものだろう。
これは完全に私の持論なのですが。
HSP全盛期の頃と考え方が変わって
いる気もしますが。
HSPは性格の一つです。
「HSPの人にストレスになるような
物言いをするような人の性格」もまた
性格の一つだと思っています。
名前がついていないだけでね。
HSPの人がそのストレッサーの人の
性格を理解していないのに。
なぜ怒鳴ってしまうかとか考えもせず
「私は傷ついてる!配慮して!」
「キツイ言い方の人は迷惑!」
って言うのは間違っていると思うので
す。
だから
「HSPで本当に苦しんでいる人を
理解してほしい」
と言うのはあまり賛同しません。
HSP側の身であっても、です。
じゃあHSPさんはストレッサー側の
気持ちをどれだけ理解しているの?
って事。
「怒鳴ってしまう人は苦しんでない」
と決めつけていませんか?って事。
私は怒鳴ってしまう人の事は全く理解
できません。
むしろ怒鳴れません。
怒鳴れと言われても出来ません。
怒鳴ったらどうなるか…
不満を態度に表したらどうなるか…
周りからどう思われるか…。
どう評価されるか…。
考えたらわかるでしょうに。
なら怒鳴る事などできないはずです。
当たり前のはずです。
でも、「当たり前」ができないのは、
HSP側もそうですよね。
当たり前じゃないなんて、そんなの、
みんなそうだろうが!
自分を分かって欲しいからって周りの
全員に怒鳴ってしまうやつの気持ちが
お前にわかるってのか?
不快になったらその顔を不快で一杯に
しなくちゃいけないやつの気持ちなん
て、僕には全くわからないぞ!
でも、怒鳴ってしまうんですよね。
怒鳴ってしまうんでしょうね。
それはもう一種の病気です。
HSPを病気と言うならね。
病気ではないにしても、病的に社会に
不適合です。
HSPもね。
HSPのストレッサーもね。
じゃあ、似たような者かも知れなく
ないですか?
そんな推測しかできません。
そう推測するようになったのも、私が
「理解してもらい難い、HSPという
傾向があると自分を理解したから」
です。
だから
「怒鳴ってしまう人もHSPのような
人に理解してもらい難い辛さがある
のではないだろうか」
と推測をするようになったのです。
HSPの概念を持つまでは怒鳴る人は
「頭がおかしい!」
「あつかましい異常者だ!」
「なんで怒鳴ったって何も解決しない
事を理解できないんだ!アホ!」
位に思っていたのです。
今もそこまで大差ありませんが…
逆に言えばHSPに対する世間の目も
そうなのだろうと推測出来るのです。
「悩みすぎるなんて頭がおかしい!」
「心配して欲しい、理解して欲しいだ
なんて、あつかましい異常者だ!」
「何で悩んだって何も解決しない事を
理解できないんだ!アホ!」
て思われたって仕方がないのです。
と、さんざん「理解しているよ」風に
書きましたが、私も限界があります。
例えば、ピックアップしたコメントの
中に「サングラスが必須な眩しいのが
苦手な方」が居られましたが。
そういう人もいると理解していたと
しても、サングラスをしている人が
いたら
「うわぁヤーさんだ…イキってらぁ」
と、不良レッテルを貼るでしょう。
いや、貼ります(断言)
そんなもんです。
だから、HSP側の人間も、HSPを
公表した時に
「繊細アピールうぜぇな」
「大事にしてね欲求めんどくせ」
と毛嫌いされる覚悟を持たねばならん
のです。
そのくらいしか理解してくれない人が
いたとしても仕方のない事なのです。
人間いろいろ。
HSPもいる。
HSPにストレスを与える人もいる。
HSPにストレスを与える人を毛嫌い
する非HSPもいる。
HSPを毛嫌いする人もいる。
HSPを毛嫌いする人を毛嫌いする人
もいる。
自称HSPを毛嫌いする人もいる。
そういう様々な人達が共同で経済活動
するのが「社会」だし、その社会で
自分が価値を産み、誰かが生んだ価値
を享受して生命活動するのが「人生」
なわけで。
この過酷なコンクリートジャングルで
サバイバルに生き残りたければ、誰か
の配慮を期待するなど甘ちゃんちゃん
なのです。
HSPだけを特別扱いするわけには
いかないのですよ。
結局のところ、社会で人生を送る上で
自分が辛いなら、自分が頑張ってどう
にかして、社会と折り合いをつけて
いかねばならないのです。
私がHSPを告白して辞職したのは、
それが私なりの社会との折り合いだっ
たのです。
HSPを告白した時点で
「あぁ、こいつは貧弱な無能だな」
と思われるのを覚悟していました。
業務負荷を減らしたり、パートへ格下
げしたりの配慮をしてくれたら有り難
いとは思いましたが、それがダメなら
辞める覚悟もしていたのです。
HSPを隠して、今と同じ業務を続け
るのは無理だと判断したのです。
その時点で結局傍からみたら「貧弱な
無能」でしかないのです。
貧弱と見られるのも、最悪辞職となる
のも、同じ業務を続けるよりマシだと
私が私の人生の責任を取るための判断
だったのです。
んで、結果、辞めましたが。
辞めるという方法が「折り合い」だっ
たのです。
そこで
「配慮してくれない!ギャォォン!」と、
自分の貧弱さや無能さを棚に上げて、
会社や世の中を非難するのは、我儘で
しかないのです。
自分のHSPを自分でケリつけられず
他人が変わることでどうにかしてもら
おうなんぞ、ね。
自分が他人を理解もせず、他人に理解
してもらおうなんぞ、ね。
そういう輩がいるから、HSPが悪く
見られがちなのです。
要は、HSPという概念を理解して、
それを克服して『自分の困難を乗り越
える』ための材料にしましょうって事
なのです。
この「辛いわぁ~」って感情はHSP
のせいなのだ、と思えれば『少しだけ
でも楽になる』。
似た思いをしている人は沢山居るから
『私は特別異常な人間じゃないと安心
できる』。
よくある体験談を見て「自分だけが
苦しんでるんじゃないんだ」と思えば
『頑張れる力になる』。
そういうのに利用できればよいので
す。
ただ嘆いて塞ぎ込んだり。
HSPを理解してない人を叩いたり。
HSPアピール大変アピールしたり。
そういうのがダメなのです。
HSPなんぞ「蟹嫌い」程度の存在で
しかないのです(タイトル回収)。
蟹嫌いなのに社長が忘年会がカニ鍋の
会を開催して、嫌だなぁ…みたいな。
大して食べられないのに一万円も会費
払いたくないなぁ…みたいな。
当人からしたら、かなりの嫌さ加減で
すよね。
ですが…
それを人にどうこうして貰おうとか、
普通無いですよね。
自分一人の感情で会社全体のやり方を
変えろとか、普通無いですよね。
「自分は食べられないから会費ナシ」
を要求するとか、普通無いですよね。
蟹嫌いアピールされたって、他人には
どうしようもないですよね。
様々なトレードオフを考慮して、現実
的に折り合いのつく解決策を自分で
考えて処置するしかないのです。
大人なんだから。
周りに嫌われても欠席するとか。
一万払って出席するけど、値段に見合
わない食事でも我慢するとか。
我慢してカニ食べるとか。
食事で楽しめない分、会話を楽しむ様
努力するとか。
本当の本当に嫌なら、転職するとか。
私みたく、飲み会のない職種を選んで
ね。
やりようはいくらでもあるのです。
いずれ自分で折り合いをつけなきゃ、
なのです。
「誰かどうにかして」は無いのです。
ま、強いて言うなら。
HSPですと打ち明けるとしても。
受け取る方も好き嫌いの話程度と受け
取って貰えばって思います。
私辛いんですアピールかよ!!!!!
って過剰反応しないでって話だし。
HSPでもあるまいし。
言う方もその程度でしか伝わらないし
全くストレス刺激が無いような言動に
変わって欲しい前提で打ち明ける様な
真似はすんなって話だし。
他人の動向をどうこうしようなんざ、
おこがましいとは思わんかね。
どうしても折り合いがつかないなら、
私みたく生涯孤独で生きるしかないの
です。
私が楽しく生きたいから、オマエラが
折り合いつけろよ的なのとか。
私が楽しく生きられないのは、社会の
理解がないからだ的なのが、HSPの
名を語るから、評判が悪くなる気が
します。
ま、世間の評判なんざ知ったこっちゃ
なし。
どうあがいたって、HSPは嫌われ者
めんどくせぇ無能ゴミクスレッテルの
原因でしかないのです。
劣等な個性なのです。
現代社会においてはね。
良い評判を期待する方が愚かです。
繰り返しになりますが、自分がHSP
という概念に当てはまる人間だと理解
するのは、『HSPを誰かにどうにか
してもらうのではなく、自分で人生を
楽しくするため困難を乗り越える事』
に活かしましょうってこと。
これは決して前向き、成長という結果
だけに限らないのです。
私みたく退職とかキャリアダウンとか
生涯未婚とか子供部屋おじさんとか。
そういう人生でも、未練や羨望なく、
自虐や諦めでもなく、率直に楽しく
生きていくためのキーワードとして、
活用をしましょうってことなのです。
URL貼ったまとめサイトの反応を
見て、改めてそう思ったのでした。
おわり。
P.S.
最後にまとめサイトからもうひとつ。
・HSPはelonaみたいな超有名フリゲに
も使われてるぐらいの言語
ホットスーププロセッサー(HSP)
てプログラミング言語があるのです。
私が東方プロジェクトシリーズに憧れ
て、似たようなゲームを創ろうとした
のは、もう15年以上前になります。
開発者一人であれだけのクオリティの
ゲームを作れるのだと、衝撃を受けた
記憶があります。
一人でゲームを創るにはどうやったら
よいのかしら…と、調査しているうち
HSPに出会ったのです。
いろいろ調べましたが、複雑な弾幕の
飛び交うシューティングゲームを創る
には難しいと判断して、習得を諦めた
のでした。
Easy Link Library というライブラリ
(C言語でゲーム開発がやりやすく
なるもの…?らしいです…ヨクワカラン)
と、Visual studio という無料の開発
環境を使ってゲーム制作を開始して、
いちおう完成版が2005年05月14日に
公開できたようです。
readmeにそう書いてありました。
その後、調整の更新にあたり使用する
ライブラリを「Luna」てのに変更した
のでした。
奇しくも、私の制作したゲームの主人
公と同じ名前です。
オドろいたねェ ボウヤ
あれから長い年月が過ぎ、ゲーム開発
における事情や環境は大きく変化した
と分析します。
個人でも3Dのゲームが容易に開発
出来るようになったり。
パソコンからスマホにゲーム文化が
移ったり。
オンラインでの共闘や対戦が当たり前
になったり。
企業作品でも基本無料が当たり前に
なったり。
単品の実行ファイルダウンロードでは
なく、Steamのようなシステムが出来
たり。
今、改めて2Dのシューティングなど
個人で開発しても、誰からも注目され
ない事でしょう。
続編の開発を頑張ろうとしていた時期
もありましたが、それは叶わぬ夢なの
でしょうね。
キャラクターのイラストも用意して
いたのですが、外付けHDDが逝去し
全損失してしまったのです。
今の仕事がどうしても嫌になって退職
して、親が死んで、中年おじさん一人
暇になったら…
独り暮らしの合間に、キャラクターの
姿を思い出しながら、再開するという
余生を過ごすのも、悪くないかも知れ
ませんね。
HSPをプログラミング言語と読んだ
書き込みを見たら、ゲーム創作に意欲
的だった若い頃を思い出しました。
シミジミー!