傘がない | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

自殺のお話。


テーマは重いけど、ここで大層な事を
言うつもりはないのです。
問題提起とか、指摘とか、対策とか。

あくまで、このブログはおじさんの
雑談つぶやきなのです。

酒と仕事の合間の暇つぶしなのです。


あと、私は青春時代に聴いてた音楽の
タイトルや歌詞から記事タイトルを
持ってくるのがお好みのようです。

ネタに困ったらJ-POPに頼る。


何となく個人的な思いですが、自殺に
ついての意見やコメントは、自殺を
したいとか、試みた事があるとか。

そういう経験のある人でないとダメ、
みたいな思いがあったりします。

自殺したいと考えた事がないような
人生を生きている人の、自殺に対する
意見なんて、
「死ぬやつはバカ!生きるべき!」
「他人や親の事を考えてるのか!」
程度だろうと思うからなのです。


それ以上深く考えることがないだろう
からね。

その発言が、死にたい人の事を考えて
ないのにも気づかない位だからね。

そんな人に相談なんかできやしないよ
ね。

それなりに深く自殺を考えた人からの
「死ぬな」なら深みも増すというもの
でしょうからね。


あ、私の死ぬなは深くないですよ。

せっかくの人生、酒のんで猫なでて、
寿命まで現し世を楽しもうぜ、位な
もんです。


更に個人的な意見ですが、自殺理由が
借金とか失恋とか就職・受験失敗とか
健康問題とか仕事の重圧やトラブルと
いった客観的にも明確なもの、
「その問題が解決したら死んでない、
 そもそも死のうと思わない」
ってのは特別と考えます。

何もなくても、何もないけど。
それでも死を望む。

それが真の希死観念なのです。

あくまで個人的。


あ、あと、重ねてですが。

テーマは重いし、私の色んな経験談も
ありますが、私のは過ぎた事として、
サラッとお話するつもりです。

「辛い思い出ですシクシク…」
ってな辛気臭い話ではありません。

「やーあん時は病んでたわー
 実質死んでたなー大変だったわー」
みたいなニュアンスです。


閑話休題。


なぜ急に自殺の話題を出そうと思った
のかと言いますと…

(1)災害事故動画漁り→グロ動画を
   ついでにみてて、首吊り自殺の
   動画を観た
(2)若年層の自殺者が増えたとかの
   話題のブログを見た
   (ブログ主は自死遺族)

てことであって、私がまた死にたく
なったわけではないのです。


私も一回目の自殺を試みたのは首吊り
でしたので、助かろうともがき苦しみ
段々と動かなくなる動画撮影者の姿は
当時を思い出す感慨深いものでした。

その時の親とのやりとりを思うと、
親を自死遺族とせずに済んで、本当に
良かったと思うのでした。

その時の事は結構しっかり覚えている
のですが、そのお話はプライベートと
言うことで、詳細はヒミツにします。


ま、私は意気地なし&もしもに備える
タイプです。

HSPがココでも出たって感じです。

もがけば抜けられる程度のつくりで、
逃げ場を用意しちゃったのでした。

やっぱり死ぬのなし!
ってなっても止められる様にしておい
たのでした。


かなりしっかり準備して試みたのです
が、最後の最後でビビリが出ました。

首をうっ血させた程度で紐を外して、
中断させてしまったのです。

自身はそれで消耗してしまい、続きを
する、死ぬ気力も無くなりました。

ざんねん…いや、よかったのかな?


物覚えが悪くなったり、頭痛持ちに
なったのは、もしかして、その時に
血流が止まって脳にダメージがあった
とか…あるかしら…?

単に加齢と飲みすぎかしら…?


また、当時の自分の事を
「バカなことを考えたものだ」
とは、今でも思っていないのです。

当時の死にたさは本気の本物でしたし
「がまん」や「他の方法」なんて考え
られない状態だったのでした。

「ここで死ねたら幸せ」
「死ぬことが生きていて一番幸せ」
位なものでした。

その思いは今でも後悔のない、本当に
やりたい事、願った事だったのです。


「夜食にカップラ食べちゃった」とか
思ってもらえれば。

食べちゃダメ、太る、お腹ふくれたら
寝られない…でも、わかってても、
やめられない。

その時の空腹具合を考えたら、自分を
抑えられないし、おいしかったし。

…みたいな。


まだ夜食カップラの方が、後から
「やめときゃよかった」
「なんで食べたんだ…」
みたいな後悔、自責の念がある位です
ね。

とはいえ、今から思い直して
「死んどきゃよかったなあ」
みたいな思いは微塵もないのです。

「死なずにおいてよかった~」
と心の底から思います。


私のしにたがりの原因。
仕事が理由…という事ではないとは
思っているのですが…

むしろ当時の仕事は残業レスや業務の
改革でラクになって行ってたので。

いちばんキツイ時期でも「辞めたい」
はあっても「死にたい」はなかったの
でした。


でも、落ち着いて当時の状況や思いを
振り返ってみると、退職で回復傾向が
あったわけなので、仕事の部分が多く
しめてるのは間違いなさそうです。

一番の枷は「見栄」なのでした。

ブログタイトルの通り、一社目に勤め
ていたのは一部上場の大手企業でして
「辞めてはならない!!!!!」
という思いが自分の心を支配していた
のです。


自分は学歴・職歴しか価値がない…と
思っていましたのです。

今も大差ないけど…。


そんな自分が退職となると…
(1)再就職できるような汎用技術や
   知識はない
(2)ツテ、コネ、知り合い無し
(3)体力、話術、その他仕事に使え
   るような経験や能力もなし
→辞められない!
 死ぬしかないじゃない!

てな感じでした。


あ、そう思うと。

業務自体はラクにはなっていましたが
「難しい事、お金を生む仕事」を求め
られてきてまして。

自分の能力のなさを感じる機会が多く
なっているのに、要求はどんどん大き
くなって、そのアンバランスさは感じ
ていましたね。


HSP持ちの無能で矮小な人間が。

一部上場企業のいち部門の命運を背負
わされ(そうになっ)て。

潰れちゃったのかも知れません。

やっぱ原因は仕事でしたね。


まあ、結果として学歴・職歴を武器に
ほそぼそと仕事も転々としながら生活
出来ていますし。

死ななくても何とかなるもんです。


とはいえ。

何度か書いてますが、私が結構ラフに
生きていけてるのは、一社目の仕事で
稼いだ貯蓄のおかげでもあります。

今の仕事も程なく辞めるとしたら…

自分から辞めると言わなくても、戦力
外宣告をされるとしたら…

それでも生きていける、そう思うから
逆に思いつめないでやっていけてるの
です。

思いつめたら自分から辞めちゃうよ。


若くして、かつ資金なしで。
「何もないけど死にたい」メンタルに
なった人に対して、周りが出来る事は
ないと思っているのです。

まあ、死にたい感情の原因は、お金や
生活費だけの事じゃないのですがね。


実際、とある自死遺族の方のブログで
死なれた家族から
「あなたに自殺したい人の気持ちは
 わからないよ」
的な事を言われたと書かれておられた
のです。

何をして欲しいか、何をすればいいか
本人すら答えもわからないような事に
「支援が足りない」
と言ったって、限界があるよね、って
お話なのです。


以前、引きこもり・無職に対しての
支援とは、再就職の斡旋くらいしか
ない、と話をしたのですが。


ガラス玉ひとつ
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12675785237.html


もうちょっと詳しく、無職への支援の
輪を図示してみたのです。






地獄絵図かな?

いいえ、現実です。

地獄もここよりはマシでしょう。

現実は、残酷なのです。


この図の問題は3つ。

(1)誰も!
   無職を!
   見ていないのである!
(2)唯一ちょっと向いている③も、
   結局は仕事でしかないのです。
   人である以上、能力にも限界が
   あるし、就労の定着化の責任が
   あるわけでもないのです。
(3)⑥の意識が変わらない以上、
   就職しても現場を辛く感じて、
   再離職となるのです。

現場猫さんのイメージが悪くなりそう
ですが、あくまでイメージですので、
ご了承ください。


なぜ自殺の問題についての事で無職の
問題を図示したかと言うと。

この構図、全ての「悩める人」に対し
ての事象について言えると考えている
のです。


① 政府自治体
② ①の指示で支援する団体
③ ①の指示でメンタルケアする医療
④ 悩める人が所属する団体の長
⑤ 悩める人が所属する部門の長
⑥ 悩める人の身近な人


①、②、④の間だけで、アレコレ話は
するけれど、具体的な接触は別の人が
行う。

③、⑤は一定の「理解」はするけれど
事態は何も変わらない。

直接関係して悪影響を及ぼす⑥は、
自分が原因であるという認識はなく、
変わろうとしない。


この構図です。


無職、引きこもりに限らず。
自殺。
過労死。
雇用環境。
少子化問題。
パワハラ、セクハラ。
いじめ。
うつ病。
家庭内暴力。
万引き、イタズラ、危険運転。

今だとコロナ対策や飲食店問題も。

そして、HSPも。


末端で苦しんでいる人。
末端を苦しめる人。

この両者を誰もどうもしていないで、
支援だ解消だと、上の人達だけで話を
進めているのです。


しかしながら、世の中には、多くの
人が関わっていながら、どうしようも
ない事もあるのです。

自殺問題についてもです。


「支援って、何をしたらいいの?」

「悩んでる人、何をしてもらったら、
 今の問題が解消されると思うの?」


以前のブログで、引きこもりは
「引きこもってても生きていけるだけ
 金をよこせ」
と言いたいんでしょ?という事を書い
たのですが。

そんなん叶えられるわけないのです。


今回の図示をした上で、就労の定着化
という方向の支援をするにあたり、
「⑥にいる人に、引きこもりに対して
 過剰に強い風当たりをさせない」
というのも、大きな支援と言えるかと
思うのです。

仕事を続けるにあたって「辞めたい」
と思わせるような態度を取るような、
現場の問題児の考えを改めさせるって
ことですね。


それが叶わないので大問題なのですが
あくまで理想論として、ね。

いじめ問題だとわかりやすいです。
「⑥いじめっこにいじめをさせない」
が叶えば、いじめ問題は解決です。

完璧な支援です。
不可能という点に目をつぶればよォ~


実際、2社目に勤めていた会社では、
コンプライアンス教育の時間を設けて
社員1人1人の意識改革を心がけては
いたのですが。

年に数回数10分、理想論のお説教を
された程度で、数十年生きてきた人が
目からうろこで考え方を変えるなんて
ありえないのです。

馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘。
575になりました。
無意味3兄弟です。


ちょっと横道にそれましたが。

改めて
「自殺防止の対策、支援って、何?」
なのです。


何度でもいいます。
こんな適当なブログで本当に建設的な
議論や提言をしようなんて思ってない
のです。

酒飲みおじさんの暇つぶし呟きです。

イメージ図はこんなかんじです。





ま、こんなおじさんと話をして自殺を
考え直してくれるんなら、聞きます
けどもね。

自殺仲間としてムゲにはしないよ?


でも合理的おじさん、話をして気が
済むのなら、③メンタルケアのプロに
相談したらいいと思うのです。

聞いてくれるだけでいいのなら…
壁にでも話してればいいのです。


何度か書いていると思うのですが。

私自身は、
「⑥、現場が変わらないのに、ウチの
 職場に関係のない③、お医者先生と
 喋って何が解決するもんか」

って考えだったので結果として仕事を
辞めたのです。


結論。


「死にたい」を経験した私が思う、
死にたいという人に対し出来る支援…


ありません!!


私の場合、他人からとやかく言われて
良くなるものじゃあなかったのです。

せいぜいで、③メンタルケアの方との
お話の中とかで、
「なぜ死にたいか」
みたいな事を客観的に分析していって
その原因から距離を置く、て程度じゃ
ないかしら。


その原因究明が出来ずに悩んでいるの
なら、対話も一つの支援ですね。

原因の方に理不尽な点がないかぎり、
そっちに変わって欲しいってのは、
残念ながら叶わないのです。


自分以外の人が、その原因に理不尽を
感じていないのであれば。

自分以外の人は普通に暮らしていけて
いるのであれば。

「おかしいのは死にたいと思う自分」
なのです。


世の中、残酷です。

一人の死にたい人間のため組織全体が
優しくなる…なんて、ないのです。

ありえませんでしたから、辞めたので
す。


私は自分で「原因は仕事かも」と思い
辞めて活路が開いたのです。

家庭環境、家族が嫌なら一人暮らし。
学校が嫌なら転校。
人が嫌なら…引きこもる?

そしたら、引きこもりが新たな問題に
なっちゃうけれどもね。


理由がみつからないなら…
本物の希死だとしたら…

見つからぬのなら、見つかるまで、
お医者先生と話をしていきましょう。

そのまま一生話をしながら生きてたら
結構長生き出来るかもよ?


取り除いて除ける問題なら、さっさと
手放しちゃうのが一番なのです。

持ってて辛いと思うなら、大事なもの
でも捨てるべきなのです。

のろいのそうびで捨てられない!
なら、呪いを解くのです。

呪われてるのは自分の方です。
自分の「捨ててはならない」という、
呪縛を解いて、捨てるのです。

全部まとめてぽぽいのぽいぽいぽい!
なのです。

命より大事なものなんてないのです。



最近、有名なスポーツ選手がうつだと
言い出してますが、アレも同じです。

有名で人前にでて活動するのがうつの
原因だったら、もう出なくて結構!

インタビューやタレント活動なんて、
とっとと辞めて隠居するべきです!


命より大事な栄光なんてないのです。

たかがスポーツ、それも試合や練習で
じゃなくて、重圧によるうつを負担に
して死ぬなんて、アホらしいのです。


代わりの選手なんて、すぐ、なんぼも
出てくるのです。

メディアや大衆なんて、別の若くて
話題の選手が出たら、すぐそっちに
行くんですから。

ブームが過ぎたらそれっきりなんです
から。


周りも、スターだからって
「頑張ってください!」
「応援してます!」
とか、辞めたら
「ええー、残念ー」
「いやー、続けてほしかった!」
とか、ハァーうっせえわなのです。

「残念がらせないようにしなきゃ」て
縛りを自分に課してしまうのです。

そういう過剰な期待、責任感が、人の
心をうつにするのです。

そういう期待を受けない環境に逃げて
平穏無事に過ごしていただきたい!


重ねて、命より大事なものなどないの
です。

持ってて、続けて、それで悩んで死を
望むようになるものなら、捨てちゃえ
辞めちゃえなのです。


うつとか自死希望状態になっちゃった
人に出来る支援は、ありません。

ならないようにするしかないのです。

なる原因を一緒に探してあげるとか、
なる原因から遠ざけてあげるとか。

そんな所ですかね、月並みですかね。


そうなると、メンタルケア屋さんって
結構大事なお仕事かも知れませんね。

話す事で本当の希死の原因を客観的に
見てくれる人ですものね。

たまたま私が自身を客観的に見る事が
出来たので、退職という道を見いだせ
ただけですね。


「知らん人に話しても意味ない」とか
言ってすんませんでした。

私の冷たい意見で存在価値を否定され
たと感じて、悩まれた心療内科医さん
とかいなければいいのですが。

悩んでたらメンタルケア受けてね。