キャパシティのお話。
先日、引きこもり支援についての
ニュースを見たのです。
具体的な内容は覚えていませんが、
自治体とかどこかに、支援の要請とか
そんな感じだったかと思います。
支援ねえ、なのです。
現実問題として、何がどうなれば、
引きこもり問題は解決となるのでしょ
うね。
何をどうして欲しいのでしょうね。
あ、ちなみに。
不登校、引きこもり、ニート、無職…
このあたり結構ごっちゃにしているの
で、適当です。
こんなしょうもないブログの呟きに、
しっかりした分析なんてないのです。
コロナ、少子化、電力、介護、国交の
諸々問題などなど。
要求元は何をどうして欲しいのか、
わからないまま「誰かどうにかして」
て言ってる件、結構ある気がします。
大体、国や政府、自治体などの大きな
組織に解決を望むのですが、現実的な
おとしどころが金以外になさそうなの
です。
あ、ちなみに例えば。
電気の問題を
「原発無し、火力なし、値上げなし、
計画停電なしの電力を創る」
ってのはおとしどころとは言わない
ですので。
北方領土問題で「四島返還」もおとし
どころとは言わないです。
そんな世迷い言の理想を言って
「上に物申してやった」
みたいな思いでいる輩もいそうですが
無視の方向で。
未婚問題で
「若くて金のかからない、自分だけを
好いてくれる嫁を連れてくること」
なんてのは解決案とはいわないのと
同じです。
理想の結果を語るのと、現実的な解決
策を考えるのは別なのです。
改めて、引きこもり問題です。
「働かなくても生きられるように金を
寄越せよ」以外にしてほしい事が
あるのかしら。
金と「応援してやってんだから、仕事
紹介してんだから、頑張れ我慢しろ
働けよ」以外に出来ることがあるの
かしら。
両者そうだとすると、永遠に解決は
ないわよね。
おとしどころってどのあたりかしら。
現代、自分で起業するとか、完全自給
自足する以外、世の中にある限られた
席(職)につくのが現代日本で生きると
いうことになるでしょう。
また、脱ひきこもり=就職と言っても
いいでしょうから、支援とはその席、
就職先の斡旋くらいが関の山だと思い
ます。
ここ数回、同じことを言ってる気が
しますが、「学校行きな」ってのは、
その席を奪うための最低限の資格が
学校卒業だと思うからなのです。
学校に行かずに社会の「いい席」を
得るというのは、あまりに難度が高い
のです。
いい学校に行っていい成績の人が管理
するのが今の社会なのですから。
極めて特例で、学校の授業にはない
やりたいことが明確にあって、それが
世間で通用する、世間を穿てるレベル
でなくてはならないのです。
…と言う話を以前しました。
ありがとう学校
https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12671727222.html
タイミングよく、その話をされてる
方が居られましたので、ご紹介。
不登校YouTuber「ゆたぼん」が
批判される本当の理由を
東大卒ママがずばり
https://dot.asahi.com/dot/2021051300024.html
いちおうフォローまで。
意見の相違の表明は、個人を攻撃する
ものではありませんよ、念のため。
好きなものが違うからって、その人を
嫌いになる訳がありません。
その方は人としては知的で優しい、
HSPの反応しない素敵そうな奥様と
いう印象なのです。
でも、
「やはりそういう引き合いの出し方を
するのね」
という残念と思う感想が強いのです。
不登校でもいい理由に、
「エジソンは…」とか。
「さかなクンさんは…」とか。
一部の極めて特異な才能を持つ者を
引き合いにして「不登校でもいいじゃ
ない」は、何の慰めにもならないので
す。
そういうご本人も東大だし。
藤井聡太さんも学校を中退したそうで
学歴的には中卒になるんですって。
なにがしかのプロを目指すような方の
中には、そういう選択肢もあるので
しょうけれどもね。
藤井聡太二冠「高校中退」
同じ道を選んだ先輩棋士たちの
その後”
https://smart-flash.jp/lifemoney/133315
だから中卒でいいじゃない。
…って言われても、慰めになります?
凡人以下の能力で。
やりたいこともやれることもなくて。
人と馴染めなく不登校にしてるのに。
才能一点集中オバケと並べられたって
余計に惨めだと思います。
大半の一般人だって、並べられるのも
おこがましい偉人たちですものね。
私HSPおじさん、数年前まで自分は
アスペルガーだと思っていましたが。
悩んで何か解決策はないかと探すたび
「偉人の○○はアスペルガーだった」
だの、
「特別な能力に目覚めやすい」
だの。
サヴァン無しなのに、そんな事を言わ
れたら情けなくなるのです。
ひどいもんです。
念のために言っておきます。
私は引きこもり側の人間です。
引きこもりを叩いている訳ではないの
です。
むしろ私が叩かれて、引きこもり側に
落ちて行きそうなのです。
…それも違うね。
上がらねば、と思って這いつくばって
頭が何とか出たと言う所で、健常者に
叩かれずり落ちているって感じです。
体と心はずっと引きこもり側にあるの
です。
アリジゴクを想像してもらえれば。
上半身だけ地上にあり、ふちにしがみ
ついて、何とか落ちない様にもがいて
いるのです。
…文章書いてから素材さがしたけど、
ちょうどの奴がありました。
スゴイ!

出典元:
まぼろしチャンネル
http://www.maboroshi-ch.com/old/ata/zoo_05.htm
その頭を常人や老害たちから踏みつけ
られているイメージです。
それを、アリジゴクの底でうごめく
引きこもりの皆さんに、
「ほらな、世間に出ようとしたら、皆
蹴ってくるぞ!」
「変わり者の俺たちは蹴られながらも
生きなきゃいけないんだぞ!」
と、世の中のせちがらさを伝えるのが
このブログなのです。
但し、
「それを乗り越えて、踏まれる側でも
いいから地上で生きてこうぜ!」
「底で誰かがどうにかしてくれるのを
待ってないで、出ていこうぜ!」
というのも、最近言いたい事でもある
のです。
そのためには、辛辣で世知辛いお話も
たくさんあります。
毒にも薬にもならない優しい言葉は、
このブログにはないのです。
キャパシティのお話でしたね。
先日、声優のお話をしました。
昨今、声優を志望して、夢破れる者が
後をたたないと言うお話をしました。
理由の1つをどなたかのコラムで見ま
した。
昔は声優の仕事50席に50人が座って
いたけれど。
今は300席を一万人で取り合う、とか
何とか。
声を必要とする娯楽が増えて、声優の
仕事は確かに増えてるけど声優志望が
増えすぎていて、全員が食って行ける
レベルではない、とのことなのです。
で、結局スキルや経験を考えると、
使われるのはベテランが多くなるし、
他の演者を安く済ませたいとなれば、
番宣動画で映えて人間的にもリア充な
効果の期待できる美男美女の新人が
採用される、と。
青春=アニメで、授業で声の訓練して
きましたって程度の陰キャ訓練校生に
人気アニメの主役クラスの声を当てる
役の席は無いのです。
キャパシティ、席がないのです。
せちがらいね。
キャパシティのお話。
世の中のポスト、席、仕事。
それはこんな感じの図で表されるのが
私のイメージなのです。

いい所、上の所から埋まっていくし、
埋まったら下に落ちていくのです。
そこが埋まったら、また溢れてさらに
下に落ちるのです。
最後の受け皿も満ちたら…
溢れた分は棄てられるのです。
残酷なお話。
いい席を官僚とか社長とすると。
医者とか有名人をその次。
売れっ子声優を有名人とすると、この
あたりに入るんでしょう。
課長とか重役をその次?
平社員を次。
非正規をその次、とすると…。
引きこもりと言う、どこにも入れずに
一番下まで溢れて落ちたものが、また
器に納まるには、どうすればよいので
しょうね?
新しい枠(自分で会社を起こす)でも
なければ、他の人の席を空けて入る、
でしたよね。
年配のベテランの席なら年齢を理由に
定期的に空きそうですし。
押し出された穴を埋めるべく新卒枠で
採用する企業もあるでしょう。
ベテランがいた席に、元引きこもりを
あてがう会社はいますか?
ベテラン級に働ける元引きこもりが
いますか?
学校にも行けなかったのに?
だから新卒カードは大切にしなくては
ならないのです。
学校は大切なのです。
世の中は、殺伐とした椅子取りゲーム
なのです。
カイジでも言ってました。
私の引用は怒り新党とカイジで八割方
ですね。
カイジたちのような、人に利用されて
きたような連中は、椅子取りゲームで
弾き出されて来た者だ、みたいな事を
言っていた気がします。
世界に余裕があるうちは、貧しい人に
差しのべる手もあろうなのですが。
コロナ不況でいよいよ余裕のない今、
不登校や引きこもりに差しのべる手は
少ないと思われるのです。
自分の席を確保する方を優先するのが
この世の社会の椅子取りゲームです。
昔、とある引きこもりをテーマにした
アニメがありました。
妹に食わせてもらってるネトゲオタク
引きこもりがおりました。
妹は褒められない方法で商売をして
おり、身柄を拘束される事態になりま
した。
兄は…
飢えに耐えかねて、近くのそば屋に
這いつくばりながら「何でもするので
食わせてくれ」と言い、そこに勤める
…という結果だった気がします。
結論。
引きこもりが引きこもりのまま完全に
救われる現実的な道はないのです!
誰からも冷たい眼差しを受けず、ただ
享受だけの引きこもりの生活を出来る
事は不可能なのです!
誰かから金を恵んでもらって、命を
守ってもらっても、それは救いでは
ないのです!
世間は引きこもりのお母さんではない
のです…
引きこもりが充実した人生を歩める
様な社会になったら、皆引きこもりに
なるのです。
誰も仕事しなくなるのです…私も。
誰か何とかしてくれ、では、誰も何に
もしてくれないのです。
何かしないと困る人がどうにかしない
と、誰も何にもしないのです。
(仕事上の経験)
救われる、社会に復帰するにしても、
自身も努力をする必要が、少なからず
あるのです。
アリジゴクの例を続けると、底にいる
引きこもりに捕まるための縄を投げて
くれた人がいたとして。
それを「支援」と呼ぶとして。
ただ引張りあげてもらおうなんてのは
あまりに傲慢なのです。
その縄をつかみ取り、自身の脚で上り
地上に出て歩いていく必要があるので
す。
「投げられた縄が遠い」だの。
「右手で掴みたい、もう一回」だの。
「もっとそちらでも引っ張ってくれ」
だのと、支援を選り好みしていては、
自立などできるはずがないのです。
しかも、引きこもりアリジゴクから
這い出るのは、地上を歩き続けるの
よりも力がいるのです。
レールから外れたら這い上がれないの
です。
アリジゴクの中は地獄。
地上も地獄。
地上で1つ席を取ろうと思ったら、
それは椅子取りゲーム、誰かに用意を
してもらうものではないのです。
ちょっと余談。
すこし前まで、交通事故の車載動画を
趣味で観てましたが。
今は様々な事件を解説している動画を
観ているのです。
今の生活は本当に恵まれて平和だと、
今の社会は多くの努力と血と技術で
築き上げられているのだと思わされる
のです。
昔の人の生活、仕事を思えば、現代で
会社に勤めるくらい、我慢しなけりゃ
なのです。
命がある以上、どうしても人は席に
座らなければならないのです。
皆、席を奪われないように守っている
のです。
命がある限り、仕方がないので、席を
求めなければならないのです。
一人分の席に二人は座れないのです。
命が席に一つ落とされれば、そこから
前にいた者が弾き出され、落ちてきた
者だけが光を浴びるのです。
自分が頑張るしかないのだ!