こんなタイトルですがHSPのお話。
今日はネトゲのメンテ日なので、休憩を
兼ねての暇つぶしで日記更新です。
とはいえ、ほどなくメンテ明けなので、
今日は極力短めにまとめたく。
私の個人的な持論ですが、HSPを隠し
見て見ぬ振りをして生活していた時期を
いま思うと、「ものまね」をしていたと
表現するのが最適と感じているのです。
私は「一流の技術者」として、「普通の
外交的な人間」として、「いっぱしの
サラリーマン」として振る舞うとしたら
どうしたらよいか、それを常に考えて、
自分なりのその姿を模倣してきたのだと
思います。
仕事以外の知り合いや、親族家族に対し
てですら、キチンとしていようと思って
いたのだと思います。
それくらい、仕事に頭が支配されていた
のですね。
例えば、演歌歌手をものまねする仕事を
している芸人さんなんかを思い浮かべて
いただければなのですが。
「さあものまねしてください」と言われ
その時だけ芸としてやるなら良いでしょ
うけれど。
「じゃあこれから演歌歌手として生きて
ください」と言われればぜんぜん違う
でしょう。
演歌界の一人として、楽屋も演歌歌手と
一緒で。
仕事は笑いも何もなく、演歌ファンに
向けて演歌を歌う事。
きちんとした演歌の新曲を出していくの
も目標で。
プライベートでも演歌歌手としての振る
舞い、付き合いをしていく。
演歌界の後進を育成するような立場に
なっていかなくてはならない。
自身も別に演歌そのもののスキルがある
わけではないのに、演歌界に貢献したい
わけでもないのに、そんな生活になって
行ったとしたら。
「ものまね芸人だった自分」がどこかに
消えてしまうことでしょう。
消えてなくても、地を出してもいい場は
この世からなくなります。
せいぜい、一人きりの、トイレかどこか
位の場所で「ものまね芸人だった自分を
思い出す事もある」ので精一杯です。
「演歌歌手の自分」を演じる事でも体が
もたない位にいっぱいいっぱいなのです
から。
そんな感じです。
私の生き方はそんな感じなのです。
HSPを隠して生きていくのは、自分で
はない「きちんとした人間のものまね」
で一生過ごすことのような感じです。
誰かといること、誰かと合うこと自体が
やりたくもないものまねの仕事になって
行ったのです。
一人きりの時間だけが落ち着いていられ
る瞬間だったのです。
これが一生続くのが「成功した人生」だ
とするならば、今終わってもいいと思う
位に辛いものだったのです。
ちょいと余談です。
昔、空想科学読本という本を読んだ事が
ありまして。
今もたまに図書館で見かけたら、借りる
事があります。
かなり初期に取り上げられた題材だった
と思いますが、「見えなくなる怪獣」の
お話がありまして。
ガラスや水も「透明」だけど、見えなく
なるわけではない。
見えなくなるってのは、ステルスっての
はどういうことだ、という事を考察され
ておりました。
結局、「自分を見ている誰かが見ている
景色を自分の体にも映し出す」みたいな
結論だったと思います。
相手が移動したら、その分映す映像も
変えていかないといけない…。
さらに、複数の人が居たら、誰の目から
の視野を優先にして映す?
年功序列にでもするか?
…てな事を考えなければならない怪獣が
心置きなく透明になれるのは、誰の目も
気にしなくていい一人の時だけ…。
なんて感じのシメだったと記憶しており
ます。
私も似た感じでして、もう一流のデキる
サラリーマンのものまねをするのはギブ
アップなのです。
誰の目も気にせず生きていたいのです。
誰かの目を気にしてちゃんとして生きて
いたって、誰も褒めてもくれませんでし
た。
何より自分が辛いのです。
生きていたくない程に辛いのです。
誰かの目を気にしてがんばってきた分、
誰の力も借りず生きていけそうな算段が
ようやくつきそうなのです。
頑張ってきてくれた今までの自分に感謝
お疲れ様なのです。
バリバリと仕事をしていた頃の自分は
死んだ事にしました。
ようやく第二の人生が始まるのです。
私はHSPに対してこんな付き合い方を
しちゃいましたけど。
どうやっていったら、どうやって生きて
行けていたら、よかったんでしょうね。
見かければ必ずと言っていい程、HSP
関連の本は手に取るようにしています。
しかしながら、そんなメンタル系の本や
コラムに書いてある言葉は、なかなか
すんなりと心には入りません。
「ストレッサーから距離を置こう」
「相談できる、理解のある友人を」
みたいなね。
男女どちらにしても、気弱で可愛らしい
イラストの子が「あぁ、自分って…」て
しおらしく悩んじゃったり。
同じくらい優しい友人に「大丈夫?」て
感じに肩に手を添えられちゃったり。
そんなマンガみたいな(マンガだけど)
方法で解決ってのは現実的ではないので
す。
「それができりゃあ悩んどらんわ」的な
お話が多いのです。
「理解のない人と距離を置けないから、
理解がある人が周りにいないから悩ん
どるんですわ」ってね。
マネープランナーのお話なんかもそうで
すよね。
「70歳まで勤めましょう」
「給料はイデコにしましょう」
「資産運用で増やしましょう」
「運用なんてできないし、働きたくても
働けなくて困ってるんです」ってね。
閑話休題。
「外用の自分」を装わなくても良くて。
「内用の自分」を見失わなくてもいい。
どうやったら、そんな生き方が現実的な
方法で叶うのでしょうか。
私は、そうできませんでした。
今のとこ、その答えを急いで得る必要は
なくなりましたので、一安心です。
ゆっくり余生を過ごしつつ、人生をかけ
て考えていきたいと思います。
ゆっくり時間を過ごしつつ、第一も第二
も外も内もない自分を取り戻して行こう
と思います。
ま、ほぼ結論は出てますけどもね…
朝、ボーッと起きて日差しと猫を愛で。
昼、猫をスネに乗っけて昼寝して。
夕、季節ごとの風景を眺めて散歩して。
夜、睡眠剤代わりの晩酌と鶏肉を嗜み。
布団の中でしょうもない持論を展開して
この世の常や理なんかを知った気になり
日記のネタを練りつつ、眠りにつく。
それが私のやりたい事なのです。
私の理想の人生なのです。
これが素の私なのです。
それが出来ていれば、世の中ハッピーな
のです。
それができるのは、HSP抱えて働いて
くれた、これまでの私の成果なのです。
頑張って生きてれば、いいこともある。
世の中の見方とか、自分の考え方とか、
自分のキャラとか、いろいろ捻くれさせ
て生きてきた自分でしたが、ようやく
憑き物が落ちたとか、そんな感じになれ
たのかも知れません。
自堕落者の名を受けて、一流企業マンと
しての人生を捨てて、もう戦わない男。
侘しく質素で独り、ギリギリな生活でも
よいと覚悟したら、何だか色んな事が
どうでもよくなりました。
世の中全部どうでもよくしょうもない。
そんな世の中でどうでもいい生活をして
生きる事が、今は悪くないのです。
もう一流サラリーマンものまね芸は封印
します。
ものまね芸人、引退です。