心理的潔癖症 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

HSPのお話。


何でもかんでもHSPという概念に結び
つけて、自身の面倒くさい気質をそれの
せいにして「自分が変わり者だからじゃ
ないんですよ~」と言うつもりはないの
ですが。

モヤモヤと悩み続けるよりであれば、
自身の違和感や不快感や焦燥感みたいな
ものにある程度の説明をつけられる事が
わずかとはいえ、心の平穏に繋がる場合
もあろうというものなのです。


私は今の会社の人事部に退職を申し出る
際、HSPが主たる原因であるとお話を
しまして。

「HSPとは何か」を「自分の心の中に
幼い子どもがいる」という感覚であると
説明する際に表現しました。


例えば「誰かが怒鳴っている」とギョッ
としたり不安を感じたり下っ腹がギュッ
となる感覚を覚えて、体がザワッとする
不快感があるのです。


「私」は自分が怒られている訳ではない
事を理解しているし、その人はそういう
すぐ怒鳴るタイプの人だと分かっている
し、結局大した騒ぎにはならない事も
知っているのに。

「私の中の子ども」が怒鳴り声に怯えて
泣きじゃくってしまう。
それを「私」が見て、その事に焦りにも
似た感覚を感じてしまう。

私がどれだけ頭で理解していても、いつ
までも無くならない、慣れない、そんな
ダメージを受け続けるのですと。


そんなふうに表現をしました。


HSPが「子どもっぽい、未熟っぽい」
みたいな印象を受ける気質であると私は
思っています。

「プレッシャーに弱い」とか。
「急な変更に臨機応変な対応ができない
 というより過度に焦る」とか。
「怒られると身体的ダメージを覚えるの
 で怒られたくないと思う」とか。
「それらがトラウマになってしまい、
 変更や怒号を言い渡す人に対して怯え
 がちになる」とか。

健常者がHSP者を見る際は
「頼りない」
「はっきりしない」
「臆病」
「大丈夫なのか?」
みたいな印象をうけて。

「活を入れなきゃ」
「冗談を言って和ませてやるか」
「イジってやれ」
「こいつなら強く言えるな」
みたいな接し方をして、ダメージにつな
がってしまうような気がします。

私がそうでしたからね。


だからHSPを持つ人自身も
「人には言えない」
「バレたら怒られる」
「しっかりしなさい、成長しなさいと
 叱られる」
とさらにこわばってしまって。

「いつまでもこんなんじゃダメだ」
「もっと頑張らなきゃ」
「間違わないようにしなきゃ」
みたいに、HSPを見て見ぬ振りをして
行ってしまうのではないでしょうか。

それで追い詰められたり疲弊したり。

私がそうでしたからね。


最近、もうひとつHSPの症状を例える
言葉を思いつきまして。

それがタイトル、「心理的潔癖症」なの
です。


単純に「怒られるのが怖い」というので
あれば、自分が怒られていないのであれ
ば大丈夫なはずです。

でも怒鳴っている人がいるだけで不快で
あったり。
「たしなめられる」のであれば大丈夫で
あるのもおかしな話です。

自分が「怒鳴るような事ができない」の
も変です。


なぜか。


それは「怒鳴る」という、理屈や説明を
伴わずに我を通す「汚れた思惑」を含む
行為自体が汚い、不快と感じるからでは
ないかと分析をしたのです。

怒鳴っている人も嫌い。
怒鳴り声も嫌い。
怒鳴る事もしたくない。


逆も然りです。

「汚れた思惑」を持っているから、この
人は怒鳴るのだ、と思うようになるので
す。

大声で話をする人=ズルい人、と思って
その手の人を信じられなくなってしまう
のではないかと思うのです。


何の思惑もなく怒鳴っている人…例えば
演技してる人とかだと不快ではないけれ
ども。

きちんと「演技」をした怒鳴り声は不快
にはならないんですものね。


ただの大声が無条件で不快という事でも
ありませんし。

怒鳴っている人は大体、相手を思いやる
事を放棄して、一方的に自分の考え方を
ゴリ押ししたい人です。


ちょっと横道のお話。

「迫真の演技」というものも最近何か
分かってきたような気がします。


ウチの父親のせいで、平日食事時はいつ
も時代劇の再放送を観させられるのです
が。

「そんな喋り方するやつおらんやろ」と
言いたくなるような時代劇口調なのです
が、違和感なく話の内容やその人の存在
を理解できる、理解させられてるなあ、
というような感じを、最近うけるように
なったのです。

一言二言声を聞くだけで「不器用だけど
思いやりのある気風が良いあんちゃん」
だとわかるような芝居をしてるなあ、
そういう人だとわかるなあ、みたいな。

そんな喋り方の人とは会ったことがない
から、性格なんか思い図る事なんかでき
ないのに、その人の生き方みたいなもの
も伝わってくる感じ。


でもその「不器用さ」が不快にはならな
いのです。

私の性格なら、そんなうるさ型の人間は
合わないし、見てると不快になりかねな
いのです。


逆に、未熟な今の若造俳優が似たような
真似事をしている時代劇をたまにみると
言い方が悪いですが「見るに堪えない」
というレベルです。

大根役者、三流芝居、猿真似、棒読み…
例える言葉は昔からありますが、ああ、
そういうことか、これがそれか…みたい
な。


後で改めて取り上げたいお話なので、
今はちょこっと引き合いにだけ出します
が…


大塚明夫「声優として生き残れない若者の特徴」
https://toyokeizai.net/articles/-/323617?page=2


今、目立って出てくる(事務所や業界が
推してくる)若手俳優は、いわゆる二枚
目、ちょっと顔や体型や声質がいいヤツ
ってのが多いと思うのです。

ソイツがそこにいるだけで花形主役には
なる、見栄えはする…

逆に言えば、演技などしなくてもソイツ
の作品になる、って感じの俳優。


「作中のその人物がどんな人か」は関係
なく「ソイツ」になっちゃうような、
「ソイツ」が「ソイツ」のまんま喋って
いると感じさせる俳優…それが人気な
「ソイツ」。

「ソイツ」がいるから「ソイツ」好きの
間では作品が人気や話題になる…みたい
な。


そういう業界を目指す若手くん達自身、
そしてそういう業界のファン自身も、
そういう花形主役を求めているってのが
現状なんでしょうね。

んで、ある程度歳を重ねると、また新し
い「若くて華のあるソイツ」が生まれて
くる。

華がウリの業界はいつもそうなんでしょ
うけどね。


ま、さっきのリンクの先で大塚氏は、
「声優ってのは若いウチの華だけじゃ
 なくて、トレーニング的な声の質だけ
 じゃなくて。
 小さな役でもリスナーに存在を伝える
 力を積んでいかなきゃ、次に来る華の
 あるやつに取って代わられる」
的な事をお話されていたと思います。
(私の意訳です)


「汚れた思惑」を抱く劇中のキャラを、
うまく演じている人については不快感を
覚えないわけです。

そのキャラを演じきるという「高尚な
思想」を感じるから…かどうかはわかり
ませんが。


逆に、どうみてもプライベートでもイカ
ツいだろうっていうヤンチャキャラの
演者が、そのまんまのヤンチャの配役を
すると、演技関係なくヤンチャな感じを
受けるのです。

不快です(キッパリ)。


これはHSP関係ない個人の感想ですが
犯罪や浮気や麻薬に手を染めるけれども
「演技はうまい」て人…

それは演技ではなく「ホンモノ」ですよ
ね…?
作品じゃないですよね…?

と言いたくなるのです。


ちょっとイカれたキャラを演じることに
定評のある俳優が、強姦まがいの犯罪を
犯したってなると…

それはただ犯罪者の犯行を映しただけに
なっちゃうのです。


センセーショナル、インパクト…

もしそれを与えたければ、ホンモノを
使うのが一番です。

迫真の演技の犯罪者を映したければ、
本物の犯罪者に犯罪をさせて被害者を
出して、その場面を撮影すればいい。

衝撃的な人の死を描きたければ、演者を
殺せばいい。

扇情的な強姦のシーンを撮りたければ、
本当に強姦すればいい。


いいか?

いいわけないのです。

できるわけないのです。


でもそういうシーンを、そこまで生々し
くならずに、作品のスパイス程度の加減
で加えて「味」にする…

本物が持つ毒や不快感を出さないよう、
でも緊迫感を与えたり、後のカタルシス
に繋げるよう演出する。

それが名監督、それが創作なのです。


たとえ話として適切かどうかなのですが
痴漢やレ○プの類いのAV作品をどう
「作品」のクオリティに納めるか…

監督や演者の涙ぐましい努力や、業界の
切磋琢磨があるのだろうなと思うところ
なのです。


誰かが言った気がします。

「真面目にエロなんかできるか」


下手すれば滑稽、シラケ、わざとらしく
見るのもヤるのも「いやーきついっす」
となりかねないエロもの。

ましてや無理やり感を出さなければなら
ない設定の作品。

かといって本当に無理やりにしちゃうと
女優から、あるいは作品に対して客から
クレームや訴えにもなりかねないかと
思われます。


どこかで聞いた気がします。

「痴漢モノで下着を脱がせた時にアトが
 ないのは撮影用である証拠」
「これは演者が理解、合意、準備した上
 での撮影である証拠」
だそうです。

コンプライアンスやら何やらが叫ばれる
昨今、映像という形に残って評価される
以上、大変厳しい管理を強いられている
のは、社会人を経験した身、想像するに
余りあるのです。


手っ取り早くガチレ○プで済ませてぇな
位に思っている監督さんもいるかもね。

しち面倒クセェ演技するよりならさっと
ヤってくれや位に辟易している女優さん
もいるかもね。

でも「作品」にするためには…
「不快な犯罪行為」ではなく「作品」に
するためには…

ビジネスとしてお金を稼ぐには…

弛まぬ演技への努力があるのだと、私は
思うのです。

尊敬しかないのです。


演技のお話でした。 閑話休題。
(これ1つで1ブログでもよかったか)


…何の話でしたっけ?


「横れた思惑」とか言ってましたか。

つまり、
「楽してやれ」
「めんどくせえ」
「俺のせいじゃねえ」
みたいな怠惰な仕草。

「騙してこき使ってやれ」
「こいつは見下してもいいな」
「指摘して貶めてやりたい」
みたいなマウント取りたい虚栄心。

「辛い(だからねぎらってほしい)」
「嫌い(だから怒っている)」
みたいな負の感情、悲嘆。


そういう人間の大罪を意識させるような
行為、言葉、仕草、態度…

それ自体が、するのもされるのも見るの
も「汚らわしい」「不快」と感じる。

それを大変敏感に感じ取る。


HSPとは、そんな症状なのではないか
と思うのです。


逆に言うと、「事象」は同じであっても
人間の汚らしさを感じさせずに同様の
状況を与えられるのは、多分問題ないと
思うのです。

例えば「急な予定変更」。


「事故で必要な部材が壊れてしまって、
 申し訳ないんだけど、こちらの方を
 先に片付けてくれませんか?」
みたいな風に、妥当かつ回避困難な理由
があって、依頼人も急である事を悪いと
思ってくれている…

であれば「はい、わかりました」として
切り替えられると思います。

私はね。


それを
「ハイ、予定もういいから次これ。
 あ゛!?いいからやれって!!!!」
みたく、
 立場を利用して(虚栄心)
 説明や相談や確認もなしに(怠惰)、
 怒号をぶつけつつ(怒り)、
 人の心をないがしろにして(傲慢)、
 謝罪や報酬なく(強欲)、
 特急特別仕事を強要する(貪食)
のは大罪人なのです。

きっとエロいにちがいない(淫蕩)。


結論。


人間は生まれながらにして七つの大罪を
持つといいますからね。

もう人間とかかわり合いにならないのが
一番の平和です。


もう人と会わないことにしましょうね。


あ、あとオマケにもひとつ。


HSPの人は断る事ができません。

それは断って「えー!?」みたく不満の
表情を出されるのが嫌だし、自分が協力
しないのをサボってると思われるのも嫌
だし。

じゃあ自分がハイと言って受ける事で、
丸く収まるのであれば、それでいいと
思うのです。


かと言って仕事が増えるのは普通に辛い
のです。

どうあっても人と仕事をすると消耗して
いくのです。


もう人と会わないことにしましょうね。