それドラクエネタだよね? | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

今の時期、何を言ってもどこかにカドが
立つ地震のお話。

地震と言うか、災害支援のお話かな。

とあるニュースを見た時に感じた思いを
つらつらと書き記したいと思います。


情報源は居間から聞こえたニュースの音な
ので、細かい内容まで把握しきれていない
のですが、概要に違いはないと思います。

とある芸能人が「支援金500万円振り込み
しました」とコメントしつつ、子供と一緒
の写真を公開したそうで。

それに対して「売名だ」「偽善だ」という
ネットの意見が上がったそうなのです。


芸能界から「しない善よりする偽善」と
いうフォローの声もあったのですが。

結局、批判を受けちゃったせいかその方は
以降ツイッターだかブログだかの更新を
止めてしまわれたとのことです。


ここからはあくまで私個人の意見なのです
が…。


まず、その方の行為は偽善ですね。

本当に純粋な善で行動するのであれば、
無言で寄付だけすればよいわけです。

ビシビシ送るべし…!


それをせずに顔を見せて「送ったよー」と
言うのであれば、売名や善行アピールと
取られても仕方がないのです。

そういう活動をすることで、「私でも寄付
できるかも、皆してるんだから私も何か
しなくちゃ」と一般の方の啓蒙を狙うので
あれば、少なくとも反響と注目があった
わけなので、目的は達成されましたよね。

でも「批判は嫌!」であればそこはやはり
「褒めて!」という意図があったと取られ
ても文句は言えないと思うのです。


被災者の方にお金が届いて、復興の助けに
なったのであれば、それでよい…

…とはなりませんものね、偽善ならね。


ちょっと余談というか例えです。

ある漫画に憎まれ者のはぐれ医師がいて、
ライバル組織の医療団体の医師が倒れて、
一般人の治療に滞りが出ている…と情報を
入手して、医師団のもとに駆けつけたら、
自分を葬るための罠だったというシーンが
あったのですが。

その時の一言が名言になっております。
資料なしのうろ覚えですが。

「何だよ…病人はいねぇのか…
 俺ぁてっきり国の一大事かと…
 俺が騙されただけか…」

自分が他人を治療して金をもらおうとか、
エラくなろうとか、尊敬してもらおうとか
ましては生殺与奪するつもりで医師をして
いる方ではなかったのです。

患者から嫌われ、命を狙われてなお、人の
健康だけを気遣っていたのです。


閑話休題。

本当に被災者の事を思うのなら、思っての
行為なら、偽善と呼ばれても被災者支援に
なったのならば「やって良かった」と思う
べきなのです。


無論、そんな聖人君子はそうそう居やしま
せんのです。
マンガでもない限り。

人の行いなど少なからず偽善や自己満足や
承認欲求や体裁や責任などなど、利己的な
雑味が含まれるものなのです。


例えば、世の仕事の全て…と言い切って
いいでしょうね。

「お客様の笑顔のために」とか聞き飽きた
謳い文句ですが、笑顔だけのために商売を
するわけもなく。

結局は給料、売上、利益のためなのです。

「給料が欲しくて仕事してまーす!」とは
わざわざ言われてもヤーですもんね。

「客のため?自分の給料のためだろ!」と
食って掛かるヤツなんてヤカラ以外の何者
でもありません。


でも、給料のためでも、仕事としてでも。
やってもらったらありがたいじゃないです
か。

偽善でもいいから、どんどんして欲しい
ものです。

私は偽善だと批判されるのがヤーだから
しませんからね。

変わりにがんばってくださいな。


ただ、いくら真実だからと言って、それを
ドヤ顔で「偽善だ!」と言うのは、しない
善でもする偽善でもなく、紛れも無い悪で
す。

する偽善の広がりを抑制してしまいます。
する偽善の人の心を躊躇させてしまいま
す。

自分は真贋いずれの善をもせず、ただ善を
否定する。

その結果、誰かを助けたり直したり、前に
進む力を生むわけではなく、停滞や犠牲を
招くのみ。

悪じゃあないですか。


だとしたら、善が悪に気に入られる必要も
なし。
善のために悪を断つのもまた善です。
そんな批判は無視するのが正解です。
そんな悪の戯れ言に惑い善行をやめるなど
それこそ悪の思うつぼなのです。


そやつらの世迷い言とあなたの偽善。

少なくとも、善を目指す人なら、どちらが
「好ましい」かは判断出来るかと思います
よ。


もっとも、妬み僻みで「気に入らない」と
いう気持ちはわからないでもないのです。

「私、芸能人!
 人気でて儲かってるから500万円ポンと
 用意できます!
 しっかり子育ても出来てて勝ち組よ!」
という風な見栄張り、自慢と受け取れなく
もないのです。

悪意ある曲解ではありますけどもね。


政治家の発言、失言なんてだいたいそんな
ものですよね。

暴言ではあるけれど、ジョーダンや適当で
言っちゃったー程度の言葉を穿った見方で
受け取って非難して。

「意図しない意味に取られかねない発言で
 した」みたいなフォローをしたりしてま
すね。


なぜこんな荒んだ心が生まれますかね。

皆ビンボーが悪いんです。


何を以って「ビンボー」と定義するか、
どの程度でビンボーと感じるかは個人差が
あれど、少なくとも昭和人より現代人の
方がそのビンボーを感じているから、そう
いう声が大きくなっていると思うのです。


昔だったら政治家の汚職や暴言や脱税すら
「やっぱりな」程度で終わっていたでしょ
う。

どこかで数億円使われても、自分の生活の
年収800万と終身雇用と昇給と年金は維持
できるから。


今はご覧の通り、芸能人の寄付にすら
「テメェ人が生活苦でキリキリしてんのに
 他人の心配するだけ余裕あんのかよこの
 偽善者が!」となるまでヘイトが溜まっ
てしまうのです。

誰かが寄付した500万円は、自分が苦労し
ても得られなかった養育費なのです。
あるいは借金返済金なのです。
あるいは介護費用なのです。
あるいは生活費なのです。

あるいは最後の晩餐としてすら食べられな
かったおにぎり代なのです。


さて、本題です。

こういうヘイト発言と言いますが、心の闇
みたいな発言を目にする機会は、インター
ネットのおかげでかなーーーーーり増えた
と思うのです。


多くの人は「自分の顔や経歴が残る表では
裏の汚れた部分は見せないようにしよう」
と思うでしょう。

だからそういう情報は本当の「ウラ話」で
留まっていたと思うのです。

インターネットが出来るまでは。


匿名で悪意を込めてグチのように闇を吐き
だす事ができる場が出来たとすれば、人は
そこを利用してしまうのです。

ポイ捨てなんかそうですね。

自分が捨てたものとわからなければ、つい
捨ててしまうという感覚です。

現実の自分が汚れなければ、それでいいや
と。


「募金=善行」という今までの表の常識と
別の「募金=偽善、売名行為」と言う思想
は、そもそも表に出なかっただけで昔から
人の心の中に巣食っていたのかも知れませ
んね。

ネットで誰かが言ったから。

前から胡散臭いなあと思っていだけど、
誰も言わないから言えなかっただけで。


ちょっと余談です。

とある冊子で見かけたお話なのですが。

仏教だか何教だか忘れましたが、ケイケン
な信者の方は毎日のように神様や僧さんへ
のゴハンをお供えしているそうなのです。

それを「徳」と言って、「私が今幸せなの
 は前世でしっかり「徳」を積んだからな
 のです。
 来世のために徳を積むのは当然です」
みたく言っておられました。

閑話休題。


もしかするとなのですが。

そういう文化がきっちり根付いているから
言い出せないだけで、その国の中にも誰か
「胡散臭いな、辞めたいな」と思っている
人がいるかも知れません。

その国に日本と同レベルの匿名掲示板みた
いなのがあったら、「徳積むの損じゃね?
来世の事とか知らなくね? 今うまいもん
食うために来週のお供え辞める人挙手」
とかになるかも知れません。

あるいは、その宗教とは関係のない誰かで
あっても、そんな風な発言をすれば
「あれ…俺真面目にお供えしてたけど、
 本当に意味あったのかな…みんな疑問に
 思ってたんだ…」みたく、迷いが生じる
かも知れません。


そういう「裏」で抑えておくべきだった
闇が、インターネットというか匿名空間は
さらけ出したのではないでしょうか。

顔合わせて名前バレしてリアルタイムで、
善行に対して「偽善じゃね?」と言ったら
「何だと!だったら真の善は何なんだ!
 やってみろ!」とか反論されるでしょう
からね。

表では言えませんよね。


「偽善かどうか」であれば偽善でしょうけ
ど、それを改めて発言する無意味さや無責
任さを本人が責められるでしょうから、
あえて口に出す人はおりませんでしょう。

あえてね。


インターネットは災厄だらけのパンドラの
箱か…。

はたまた真実の姿を写すラーの鏡か…。


ま、キレイキレイな表の姿だけで一生過ご
して行けないような人が、人の世でうまく
生きていくための闇の掃き溜めと思えば。

その無責任な仮想空間の掃き溜めを活用し
て現実を生きていけるのなら、箱の底に
残ってた希望とやらも悪いものではない
ようですね。


だから、そんな闇の掃き溜めのネット界で
起きた出来事で、現実の自分が左右される
なんてのは馬鹿げた話なのです。

有用な情報だけを現実で活用していくべき
なのです。

取捨選択するスキルが必要なのです。


パソコンはあくまでツール。

やりたいことを楽しくやる、人生を豊かに
するための道具であるべきですね。


例えば、ギャンブルはあくまで息抜き。

息を抜いて人生を楽しく過ごすためのもの
なのです。

ギャンブルをやることで人生が破綻する
なんてのは本末転倒なのです。


てことで、募金はあくまで自己満足。

「いいことしたなあ」と満足したいのに、
ネットで批判されてヤーな気分になるのは
本末転倒なのです。

こっそり100円募金する程度にしましょ。