自己改革のお話。
私は「変わらなきゃ」とか「新しい
自分」という言葉が大嫌いです。
タイトル詐欺。
今までの自分のせいで苦しい人生を歩ん
だ部分は否めないとしても、それを
全否定して変わる事で全て解決するかの
ように言ったり、変わらなければ不幸に
なるように言うのは好まないのです。
望まない自分であったとしても、それを
自分さえ否定してしまっては、今までの
我慢していた自分が誰からも救われず、
あまりに哀れというものです。
殺戮マシーンのように作られたロボが、
破壊される寸前に「俺のようなものを
もう作らないでくれ」みたいに言って
死んでいく姿を見た記憶があります。
作った博士すらそのロボをダメ扱いした
としたら、そのロボが救われません。
ダメな部分を受け入れた上で変わるの
です。
だから、変わろうとかより良くしようと
して努力する志を悪く言うつもりは全く
ありません。
むしろそういう努力をしなさいってこと
です。
努力もせんで「変わらなきゃーヴァー」と
ウダウダしてたり、人にばかり変われと
言っているのがヤーだって言うのです。
世界の歌姫とか世界○カ国で一位とか、
あのトップスターが認めたとか言われる
歌手の歌(の和訳)を見ると、そんなのが
多い気がするのです。
「ダメな私とさよならするの」的な。
赤の他人に横から言われて変われるもの
ではないのです。
歌なんかで影響受けて「ワーカワロー」では
変わるものではないのです。
気持ちちょっと変えたくらいではなにも
変わらないのです。
…と、今の食生活や体重を見て思ったの
ですよ。
私は社会人の頃、その時なりに間食を
減らしてたり、ご飯の量を減らしたり、
お酒をストロングゼロ的なのを選んだり
気にかけていたのですが、残念ながら
健康診断やボディラインはその意志を
汲みとってはくれませんでした。
今、会社でガシガシ活動しなくてもよい
生活になり、大きく食生活やストレスが
改善されたおかげで、陸上部の全盛期と
タメをはる位の体型を維持しています。
実際、今は胃がんを患った年金暮らしの
バアサン(私の母)とほぼおなじ食生活を
しておりまして、大変革なのです。
太りようがないわけです。
会社員で自炊していた頃の私のような、
「どんぶり飯を3杯目行きたいところを
2杯にしておきましょう」程度の違いを
「気をつけている」と言うのはチャンチャラ
なのです。
本当に頑張っている人は、ダラーっと
した普通の生活とは本当に違う事を続け
ようと気遣っているものです。
ちょっとした趣味だって同じ。
毎日1時間何かを続ける位でないと、
何かを成すわけもなし。
思いついた時に、気が向いた時だけ、
がんばらない程度に手を出すなんてのは
趣味ですらない、息抜きなのです。
私の猫ちゃん飼育もそうです。
仕事してないおかげで、
1.三時間の昼寝
2.一時間のスキンシップ
3.六時間の夜睡眠
位を毎日続けているのです。
それでようやく手に入れた信頼関係なの
です。
フルタイムの仕事+自分の人付き合い+
自分の衣食住の世話+趣味と休息…の
合間で猫ちゃんカワイイ~だけやろうと
してたら懐かれないのも当然です!
…と、猫好きを返上して事故死にみせか
けてもう飼うの止めようかとすら考えて
思いつめた事もある位に頑張った私は、
ちょっとした自負を込めて思うのです。
普通の延長程度、自分の「普通」を何も
譲歩しない程度の変化・頑張りなんての
は、自分以外誰も評価してくれません。
誰かのため頑張ったとしても、その
「誰か」すら評価してくれません。
むろん、結果も出ません。
「変わらなきゃ」「頑張ってる」なんて
のを言葉にしないといけない、言葉に
しなければ伝わらない、言葉にして頑張
りをアピールしようとしているうちは、
多分何も変わらないと思います。
いっそ変えないでやっていく方がマシと
言えるかも知れません。
誰かから変わらなきゃと言われたり、
変わるための何かを貰ったりして変わる
ものじゃなし。
自分が勝手に変わるものです。
誰も誰かを助けられない。
誰かに認められるために変わるものでも
ない。
自分が勝手に助かるのです。
変わりたいなら。
頑張ってると言いたいなら。
それ相応の生活や態度の変化・我慢が
いるわけなのです。
ぐぬぬ。
ちょっと心の根っこで言いたい事がある
のですが、個人への不満・個人攻撃に
なるので避けてると、漠然とした綺麗事
みたいな話になってしまいます。
まあいいや。
そんな私の不満や我慢は当人には伝わら
ないものです。
伝えようとしたり、我慢しなくていい
生活を得ようと思ったら、大きな変化が
いるってものです。
今の私はその変化より我慢を選んでいる
だけのこと。
私の心が変化を望んだ時。
私の心が普通を捨てた時。
きっと何かが変わるでしょう。
変わらない事を祈りたいものです。