コロナで自宅療養終えてもう4日。たまに出る咳と味が変な以外は完治した。

療養中もPCで在宅ワークの為、営業日は一日も休まなかったけど、週末とそれに続く夏季休暇部屋に籠もっていた際は、部屋の掃除やyoutube見ながら過ごした。仕事以外にこの時間使おうと思ったけどやることが無い。

仕事続けるしか無いな。

 平成最後の天皇誕生日の今日、平成と共に
店を閉じるダイエー横浜西口店に行来ました。

 1972年にリニューアルなので、高度成長期から
、周囲にスーパーが無い横浜相鉄口の
お買いものを一手に支えてきたわけです。

 3.11の時には、店と目の前の道の間が地割れが出きて段差ができましたが、頑張って修復し営業再開、
イオンに買収されてからもダイエーブランドのまま運営、
イオングループにありながらレジ袋も未だに無償で付けてます。
 施設は古く、地下駐車場への通路は1台分の幅しかなく
相対ですり抜けら無い為、係員が上の階と下の階で
連絡しなが交通整理しなければならない。
 トイレも半分は和式便座。
 「スーパー」と「デパート」のあいのこのような
昭和感を留めていました。

 まず4階に上り、中古レコードれこふぁんで中古LPを買い、
 次に、一階に下りて、いままで眺めるばかりで食べたことなかった
フードコート(とは名ばかりの通路脇のお好み店舗街)のところで、
初めて食べてみました。ぼっかけ焼きそばを注文、受け取ってみるとかなり大盛り。しっかり一食に足る食べ物でした。


 次に、一階を出て同じビルに入っている、床屋に行ってみました。
普段は1000円のqbカットで済ます散髪を床屋さんでゆったり過ごして
帰って来ました。
(余談ですが僕は志賀直哉の『剃刀』を読んでから、床屋で
 目を閉じて剃刀を当てられるのが気になって、いつも顔剃りは
 抜いてもらっていたのですが、本日はフルコースでお願いしました。)

 年明けの1月が閉店だそうです。段々と時代は変わって行きますね。
 

人の生き様で二種類のタイプに分けるのは与太話で良くあること。
本日思うのは、人は故郷に帰って死ぬ人と、故郷を離れて死ぬ人に
別れるなぁという事。
若い時は、みんな一度は故郷を離れる、そのまますごろくのように
新しい何かを求めて次の歩を進めていく。
距離であったり、精神的なよりどころだったり必ずしも、住所の事
だけいってるのではないのだけど。
その後、やはり「戻る」、「homeに持ち帰る」のか、「新しい土地の新しい生活に
根差して新しい先祖になる」のか。この二種類が大きいと思う。

イースター島に渡ってきた海の民は、故郷を想いながらも、帰る事を
考えてはいなかったろう。
stingは、イギリスに帰って死ぬだろうか。
人間の祖先はアフリカ生まれらしい。故郷に戻らず死ぬ人が何代も
連なって、グレードジャーニーして南米の先まで人が至った。

僕の何代前かのご先祖様も、九州や滋賀から関東に来たらしい。
僕は祖父母の墓がある東京を若い時に離れた、横浜だけど。

かみさんも、もう出身地には戻るつもりはないだろう。

故郷を大切に祖先を奉って繁栄させていく人と、
踏み出して、歩を進めて、帰らずに死ぬ人が居る。どちらが貴い
というのではなく、双方とも何か必然なんだろう。

子供の頃、ノーベル賞は世界一の誉れで公平で無垢なジャッジに基づいた世界の人々の総意のだれからも祝福される賞だと思っていた。
大人になってみると、賞は世界のほんの一部の人々の複雑な思惑の関係で成り立つ事が解ってなるほどと思うようになった。僕の中のノーベル賞は神聖が薄れ、人間の数ある生々しい生業の一つになった。 僕が変わっただけで賞自体は変わらず素晴らしい事だと思う。winnerのみなさんおめでとう。
日本では世界遺産に登録しないでも富士山は大切にしてきた。
この度の登録は本音では観光誘致の側面が強いのではないか。
観光客が増えて糞害で登録取消の可能性があるという。
なんの為の登録だったか。
保全は、登録や規制や法よりも、畏敬の念、倫理や教育が伴わないと出来ない。
既に、その心と文化が遺産になりつつあるのではないか。