知りたい。
「主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」 詩篇 39編 4節 日本でも、琵琶法師である耳なし芳一が語ったとされる「平家物語」の冒頭部分の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節があります。「諸行無常」は、この世に常なるもの、永続するものは皆無であり、一切は移り変わっていくことを意味しています。仏教的精神はこの現実から、この世にあっていかに生きるかを問いかける実存的、哲学的追求の教えと言えます。平安時代を築いた強い平家もついには滅びてしまった、すべてのこの世の栄華は儚いものであるという所から「平家物語」が始まっているのです。このような「はかない」「束の間」の無常観は、日本だけでなく、世界のすべての人が味わうところのものです。ダビデが悟りたいと願ったのは、自分の齢のはかなさでした。私たちが与えられている、この地上の命、肉体の命は尊いものです。命は主によって与えられました。しかし、地上の命にしがみつく過ちを犯します。地上で起こっていることについて、私たちはそれを執拗に求め、そればかりを考え、中心的な事柄、つまり永遠に関することを忘れてしまうのです。その時に思い出さなければいけないのは、自分が今、一生懸命考えていることは、実はすぐにでも終わってしまう地上のことに関することなのだ、ということです。考えてみると、今、ここに生きている自分が不思議に思われます。生きていることが当たり前のこと、いつまでも続くものと思っているからです。人生は必ず終わるときがあり、二度と繰り返すことは出来ません。後戻れない流れのように、今のときが過ぎていきます。与えられた貴重な命を、一瞬一瞬、どのように生きるか、自覚したいものです。