弱みが弱みでなくなること、楠木健氏流の解説(その1) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

弱みが弱みでなくなること、楠木健氏流の解説(その1)

ハーバード・ビジネス・レビューで経営学者の楠木健氏が面白い考察を展開しています。
面白くてためになるといった方がより正解ですので、本文を引用させていただきたいと思います。
ポイントは弱みという考えからの卒業という視点です。

(引用ここから)

攻撃は最大の防御(その1)
H&Dに対する僕の戦略
2012年07月12日
楠木 建  一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 教授

「攻撃は最大の防御」とはよく言ったものだ。昔からよく聞く格言ではあるが、その背後にあるロジックは何か。極私的な体験を事例として、僕の考えを2回にわたって開陳したい。今回は前半の事例編である。

極私的二大問題:H&D

 防御の必要性が生じるのは、何かに攻め込まれているからだ。そもそも何らかの問題に追い込まれているとか、何らかの弱みを抱えているということがなければ、防御する必要もない。

 僕はとにかくユルい性格なので、だいたいの問題はやり過ごすようにしている。なんら防御の対策をとらないので、当然のことながら、そのまま攻め込まれて終わりとなる。何かを失ったり、達成できなかったりするわけだが、それはそれで仕方がない。僕のイージーでレイジーな生来の生き方である(Deep Purpleの”Lazy”は愛聴曲のひとつ。この歌詞、最高)。

 ところが、いよいよ問題が深刻となると、さすがに何らかの手を打たないと致命傷になる。僕にとって、この十数年来直面している二大問題が、H&D(ハゲ&デブ)のコンビ攻撃だ。H&Mだと何となくおしゃれな感じもするのだが、H&Dはシャレにならない。これに「チビ」が加わると一丁上がりで、DHC、親の満貫12000点レベルのオッサンの完成となるのだが、幸いなことに身長は自然と確保できた。僕に対する攻撃は、いまのところH&Dの二大問題にとどまっている。ただH&Dのコンビ攻撃だけでも子の満貫(8000点)クラスの打撃ではある。

 まったく関係ない話だが、サプリメントで有名な会社、DHCがDaigaku Honyaku Center (大学翻訳センター)の略だっていうこと知っていました?もともとは創業者が大学の研究室を相手に、洋書の翻訳委託業を始めたのがDHCの出発点だったそうだ(University Translation CenterでUTCとか言わないで、翻訳業なのにそのままローマ字でDaigaku Honyaku Centerというのがかっこイイ!さすが、大成功した企業家である)。

H攻撃

 話を戻す。H(ハゲ、と書ききってしまうとほのかに寂しい気分がするので、以下Hという記号で書く)の方からいうと、僕の頭髪は30代前半でかなり毀損していた(最近はやりのビジネス用語でいえば、頭髪の「カーブアウト」。ちょっと意味が違うかな?)。おそらく自分で意識する以前、20代のころからひそかにH攻撃は始まっていたと思われるので(不幸にして宣戦布告はなかった)、もう20年以上のつき合いになる。

 H攻撃が始まった当初の参謀本部(僕の脳内にある重要問題を扱う部署)の戦略は、ご多分に漏れず防御であった。洗髪のときにマッサージしてみたり、それまでわりと短かった髪を伸ばしてみたり、髪型に工夫してみたり。「育毛剤を投下するべきでは」という意見も出た(僕の脳内で)。さすがに養毛剤投下となるとコストもかかり、効果も疑わしいということで、時期尚早として見送られたが、それでも一通りの防御はやってみた。

 しかし、どうにもならないものはどうしようもない。H攻撃は粛々と進行してきた。攻撃開始に気づいてから1年ぐらいたつと、もはや電撃作戦の様相を呈してきて、絶対防衛線も危うくなり、いよいよ本土決戦(頭頂部のHと額から北上してくるHが結合する状態)も間近と思われた。

 ある朝のことだ。いつものように鏡の前で整髪していたそのとき、「攻撃は最大の防御」という古来からの格言が天啓のように降ってきた。脳内で「攻撃は最大の防御」というフレーズが強烈なエコーで響き渡った。即座に整髪作業を中止した僕は、近所の電器店(ナショナル・ストア)に急行し、電気バリカンを購入。帰宅すると即座にパンツ一丁で庭に出て、3ミリのアタッチメントをバリカンに装着し、頭髪を丸刈りにした。

 鏡で自分を見てみると、そこにはわりと別人の僕がいた。文字通りのハゲ頭。H問題は解決していないどころか、かえって悪化しているともいえる。ところが妙に気分爽快だった。追い詰められていた気分になっていたHとの戦いに、一気に逆転勝利を収めた気がした。

D攻撃

 D攻撃の歴史も古い。H攻撃と違って、こちらは「敵は身内にあり」なので余計に厄介な問題だ。まず僕は太りやすい体質を抱えている。そのくせ、甘味とスナックが大スキ。ベットに寝転んでスナックを食べながら本を読むというのが三度の飯よりスキ。

 しかもスポーツが大キライときている。走るどころか、歩くのもイヤ。海よりもプール、プールよりもプールサイド、プールサイドよりも冷房の効いた室内、室内で読書と映画と音楽鑑賞という根っからのインドア文化系。Dの条件がそろいまくっている。

 しかも加齢とともに代謝は衰える。30代後半にはD攻撃がますます苛烈になった。そのころには、「攻撃は最大の防御」の丸刈り戦略でH問題は克服していたわけだが、客観的に観ればHであることに変わりはない。これに加えてDである。86キロになったとき、自分の姿を鏡で見て、わりとヤバい!と思った。

 そこで急きょ参謀本部の会議が招集された(脳内で)。で、すぐに「D作戦」が決定された。DはDでもダイエットのDである。ようするに、またしても当座の戦略が「防御」になってしまったのであった。

 D作戦はすぐに実行に移されたが、この難点はとにかくつらいことである。走るわ、ポテトチップスは食べないわ、カロリーは計算するわの難行苦行。もちろんときには戒律を破って、「マウイ・ポテトチップス」(これがとにかくスキ)の袋を破るや否や狂ったように完食してしまうこともある。そうしたときは後悔と反省がストレスになってD作戦のつらさに追い打ちをかける。

 それでも1年で10キロ減量し、それなりの達成をもってD作戦は終了した。ところが、作戦を終了すると、すぐに新たなD攻撃が始まる。そこで参謀本部会議が開かれ、2度目のD作戦が開始される(コードネームはD2作戦)。解決したかと思うと、さらなるD攻撃。で、D3作戦の策定と実行……。キリがない。

 さすがに参謀本部ではD作戦の効果に懐疑的な声は日増しに強まった。そんなあるとき、ひとりの参謀(僕。参謀本部は全員僕で構成されている)が主張した。「Hとの戦いを思い出せ!防御ばかりではじり貧だ。Dに対しても、攻撃は最大の防御でいくべきだ!」

 D攻撃に対する「攻撃は最大の防御」は筋トレだった。スポーツは嫌いだが、最低限の肉体的・精神的健康を維持するために、僕はジムに行くのを習慣にしている。ここに目をつけた参謀本部の戦略はこうだ。上半身、とくに大胸筋を強化する。すると、体重的にはわりとDでも、見かけは「がっしりした体格の人」ということになる。DでありながらDには見えない。少なくとも見た目のDを緩和できる。

 即座にD作戦は中断され、代わってDKK(大胸筋)大作戦が始まった。もとよりアスリートになるためのトレーニングではない。足とか腿とか持久力とかはどうでもいい。とにかくDKKを中心とした上半身だけ、余計なところは一切鍛えないという「選択と集中」が功を奏して、DKKはみるみるうちに強化された。

 腹部は十分にDの貫録だ。しかし、DKKが前面に出ているので、服を着ていれば腹部のDが隠ぺいされる。スーツのときはもちろん、Tシャツ着用時においても、マッパにさえならなければ、ちょいDぐらいにしか見えない。しかもD作戦につきもののストレスもない。スナックもプリンもシュークリームもある程度までならOKだ。気分爽快、逆転勝利(?)である。

 ということで、僕は「攻撃は最大の防御」を戦略の基本として、H&Dの執拗な攻撃を封じ込め、二大問題を(ある意味では)克服したのであった。次回はいよいよ、この極私的経験を事例として、「攻撃は最大の防御」の背後にある論理を考えてみたい。

(引用ここまで)

他人の評価よりも、自分の気持ちよさを優先するということが、強みを発揮する上では実は重要です。
通常の考え方では屁理屈とも言われかねないことも承知の上で、医学的な健康のポイントよりも自分の精神衛生のポイントを高くおいてみるとこういう方法も多いにありだと思います。
結果として、周囲の方の評価が変われば、それが社会的な真実になってしまうという逆転の発想にも繋がります。

それらの考察については次回に紹介します。

ではまた。