蕎麦に関する雑学 | 幕内秀夫の食生活日記

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 なぜ薬味にワサビ? ほとんどの人が知らない「蕎麦に関する10の雑学」

ズルっといただきたい蕎麦は、日本の伝統食。秋は新蕎麦が楽しめる時期でもあります。

そこで今回はこれまで『サライ.jp』でお届けした、蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』編集長・片山虎之介さんの記事の中から、蕎麦に関する雑学を集めてみました。みなさんが知っている蕎麦の事実はあるか、チェックしながらご覧ください。

■1:昔蕎麦はやわらかいものだった

冷水でしめられたコシのある蕎麦が一般的には、好まれますよね。しかし歴史を振り返れば、蕎麦はやわらかいものだったのです。

最も古い料理本『料理物語』(1643年刊行)の中でも、当時の蕎麦の作り方について記されています。「茹でた蕎麦を笊ですくい、ぬるま湯で洗ったあと、笊に入れ、そこへ熱湯をかける。蓋をして冷めぬように、水気をなくして出す」とのこと。

また当時は冷蔵の技術がなく、冷水で締めてコシを出すことは考えられませんでした。しかし温かくやわらかい蕎麦は、江戸の人々に大好評で、ブームを巻き起こしたというのです。

■2:ワサビは辛い大根の代わり

冷たい蕎麦を食べるとき、皆さんは薬味を使いますか? 定番の薬味といえば、ワサビもそうですよね。では、ワサビを薬味に使う理由をご存知でしょうか。

江戸時代の資料『蕎麦全書』では、「蕎麦の薬味は、大根おろしのしぼり汁が最も適している」「辛い大根がない場合、しぼり汁の代用としてワサビを使う」と解説されています。

つまり、ワサビは辛い大根おろしの代用だったのです。

■3:江戸時代には薬味に焼き味噌や胡桃が使われていた

薬味に関する事実をもうひとつ。時代が変われば、薬味も異なります。

たとえば江戸時代には、焼き味噌や梅干し、胡桃などが薬味として使われていたのです。また江戸の人々が、大根の辛さを出すために手間をかけていたことも、記録されています。

■4:せいろは蒸し蕎麦の名残

江戸の時代には、茹でるだけでなく、蒸して供する蒸し蕎麦がありました。現在、蕎麦屋の基本メニューのひとつ、せいろ。

これは、四角の器の底に竹のスノコを敷いた蒸籠(せいろう)に蕎麦が盛られたもの。器に蒸籠を使うのは、蕎麦を蒸して供していた時代の名残といわれているのです。

■5:盛り蕎麦は蒸籠に盛った蕎麦を指した

盛り蕎麦とは、どのような器に盛られた蕎麦なのでしょうか。

江戸時代の風俗を記録した名著『守貞漫稿』によると、「江戸では二八蕎麦にも皿は使わない。外側が朱塗りで、内側を黒く塗った器を使い、底に竹簀を敷いた上に蕎麦を盛る。これを盛りという。盛り蕎麦の下略なり」とのこと。

つまり、蒸籠に盛った蕎麦を指したことがわかるのです。

■6:健康食であることは江戸時代から知られていた

蕎麦が健康に良い食べ物であることはご存知の通り。

しかしこの事実は、江戸時代から知られていたのです。『本朝食鑑』(1697年)には、「蕎麦を食べると、気分が穏やかになり、食欲がわく」「蕎麦は胃の働きを活発にし、腸をしっかりさせ、便通を良くする」などと記されています。

■7:生活習慣病の予防にも有効

栄養バランスが優れている蕎麦には、普段の食生活では摂取しにくい微量のミネラルも含まれています。

ほかにも蕎麦に含まれる食物繊維や、ポリフェノールの一種であるルチンは、生活習慣病の予防にも役立つとされています。美味しくて、健康にも良いなら、ますます食べる楽しみが増えますよね。

■8:戸隠には昔に近い蕎麦が残されている

昔ながらの蕎麦打ちの技法である、一本棒、丸延し。この打ち方が、いまでも大切に受け継がれているのが、信州の戸隠なのだそう。

これは、太くて長い麺棒を、一本だけ使い蕎麦を打つこと。昔ながらの蕎麦を味わいたいときは、戸隠を訪れてみては。

■9:蕎麦湯は不思議で楽しい飲み物

食べ終えた後の楽しみである蕎麦湯。蕎麦湯が飲まれるようになった時期には、さまざまな説が存在します。

たとえば『蕎麦全書』(1751年脱稿)によると、江戸時代中期には、まだ江戸では蕎麦を食べた後に蕎麦湯を飲むことが一般的ではなかったとのこと。

しかし本草書『本朝食鑑』(1695年出版)では、蕎麦切りを食べた後、蕎麦湯を飲まないと病気になると、当時は信じられていたことがわかるのです。

■10:蕎麦は幸せを運ぶ

今年も残すところ、あと少し。一年の終わりには、年越し蕎麦の風習があります。この年越し蕎麦の起源については諸説あり、どれが本当なのかは明らかになっていません。

諸説のひとつとして、鎌倉時代の高僧・聖一国師の「運そば説」を紹介します。これは、聖一国師が、年を越せない町人に蕎麦餅を振る舞ったところ、翌年からみんなに運が向いてきたという話。

仮にこの話が本当だとすると、はるか昔から、日本人は蕎麦が幸せを運んでくるものだと考えられていたことになるのです。年越しそばで、来年への幸せを願ってみては。

わたしたちが普段何気なく食べている蕎麦には、長く深い歴史があります。そして時代とともに、作り方や食べ方の好みも変化しているのです。日本人に愛され続ける蕎麦、その背景を知ることで、味わうのがさらに楽しくなりそうですね。

▼これは「蕎麦切り」の話ですね。長く古いのは、「粉」にする前でしょう。「粉」にして、麺にして食べるようになったのは比較的新しい食べ方だと思います。何しろ、麺にするのは手間のかかることですから、ある意味贅沢な食べ方です。その名残でしょう。蕎麦を打つことを「ふるまう」と言ういい方をする地方があります。また、旅館の夕食に、お椀一杯の蕎麦が付いてくることがあります。もう10年以上も前になります。東海道五十三次を歩いた際、三重県で江戸時代から続く旅館に泊まりました。なんと、建物も江戸時代の多くが残っていました。高価な旅館ではありませんが。夕飯にはたくさんの料理が出てきました。そこにお椀一杯の蕎麦がついてきました。他の旅館でもそんなことがありましたが、なんで他の料理があるのに蕎麦が付いてくるんだろうと疑問に思っていましたが、そこで蕎麦というのはご馳走だったんだと気づきました。

 「薬味」に関しては、辛味大根は少なくなかったと思います。とくに長野県ではそういうところが多かったんだと思いますね。そのため、今でも「高遠蕎麦」と言う料理名で出す店があります。私は、ワサビよりも好きですね。