藪蕎麦の由来

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 蕎麦がゆであがる前に軽く一杯。というのは江戸時代から始まったと言われる。大酒飲飲みではないので、私には調度いいですね。近くの「藪蕎麦」に行ってきました。

 江戸三大蕎麦

江戸も中後期になると、町には数え切れないほどの蕎麦屋があったが、そのなかでも代々続いている「老舗御三家」、俗にいう「江戸の三大蕎麦」は現在も人気だ。

(やぶ)」「更科(さらしな)」「砂場(すなば)」が三大蕎麦の系譜である。

藪蕎麦」の由来は、諸説あるが雑司ヶ谷近くに藪があり、その中の農家で食べさせてくれる蕎麦がうまいと評判で、雑司ヶ谷の名物になり、藪蕎麦と呼ばれるようになったというのが有力だ。1750年ぐらいには美味しい蕎麦の代名詞になっていた。

特に「かんだやぶそば」は、2013年(平成25年)2月19日 夜間に発生した火災により、取り壊しになるも2014年(平成26年)10月20日には新築の店舗で営業を再開。オープン直後には待ちわびた「蕎麦っ食い」が連日並んだ。

更科」は、蕎麦の産地である信州更級から1字を頂きお店を出した麻布に屋敷を構えていた保科家から1字を頂き「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板を掲げたのが最初である。

砂場」の由来は、大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」によるものとされる。大阪が発祥のはずだが江戸に進出して江戸で発展していった。

それぞれが暖簾分けをしており、直系が絶えた店もあるが、「暖簾御三家」とも呼ばれて今でも親しまれている。

江戸時代の蕎麦(そば)はどのようなものだったのか? - 草の実堂 (kusanomido.com)

▼更科蕎麦、砂場がそうであるように、食べ物の名称は地名がつくものが圧倒的に多い。練馬大根、深谷ねぎ等々。それにもかかわらず、藪の中にあったらから藪蕎麦というのは違和感がある。この定説の間違いに気づいたのは二十年?三十年前だったでしょうか?藪蕎麦もまた地名から来ているのです。