菓子万引きで7度逮捕

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 ごはん、味噌汁、水なす、ピーマン炒め、冷奴、コーンサラダ、焼き魚

 昨日、競輪選手の食事のことを書きました。と思ったらたまたまつらいニュースです。長いですが・・・

菓子万引きで7度逮捕、「食べ吐き」も…治療続ける元マラソン女王「必ず立ち直る」

「ちょっとあなた」

 2018年2月9日午後9時過ぎ。群馬県太田市のスーパーで、元マラソン日本代表の原裕美子さん(39)=当時36歳=は女性警備員に呼び止められて我に返った。ジャンパーの中に隠し持っていたのは、キャンディー1袋とクッキー2袋の計3点、総額382円。 

 万引きでの逮捕は、これが7度目だった。「また、家族に迷惑をかけてしまう。死んでわびたい」。留置場では泣きながら両手で首を絞めた。舌もかみ切ろうとした。でも、死ぬことはできなかった。

 「現役時代はケガに苦しめられたのに、なぜこんな時に丈夫なんだ」

 過去の栄光と、それと引き換えに蝕まれていった心と体。何もかもうまくいかない人生に、原さんはぼうぜんと立ちすくんでいた。

■なぜか仲間外れでも大会優勝で認められた喜び

 幼い頃から、走るのは得意だった。原裕美子さんは、小学6年の時、地元中学の陸上部指導者の目に留まり、中学生に交じって練習を積んだ。実はこの頃、さしたる理由が思い当たらないまま、学校では仲間はずれにされていた。

 憂鬱(ゆううつ)な日々を振り払うように走り込んだ。すると、校内マラソンではダントツの優勝。「原さん、すごい」。周囲の目が変わった。

 「もっと褒められたい。もっと速く走りたい」。中高とも陸上にのめり込み、高校卒業後は、実業団チームの「京セラ」に入部した。毎朝5時に起床し、13キロのジョギングをこなす。日中は午後2時頃まで工場で働き、その後は午後6時まで走り続けた。

 練習の苦しさは、中高時代の比ではなかった。だが、負荷をかけられた自分は、確実に強くなっていた。

 初のマラソンレースとなる2005年3月の名古屋国際女子マラソンで、並み居る強豪を抑えて2時間24分19秒の好記録で優勝。同年8月の世界選手権ヘルシンキ大会では、日本人最高位の6位に入った。

 「これまで目立った活躍のなかった自分が、世界の舞台で走れるなんて」。喜びをかみしめた。

 07年の大阪国際女子マラソンも制し、日本のトップランナーとして、「原裕美子」の名は知れ渡った。

 その栄光は、過酷な練習と、ある「秘密」に裏打ちされていた。心と体をコントロールして、強く、速く走り続けるための秘密――。

■減量苦…つい伸びた手

 「とにかくつらかったのが、食事制限でした」

 入社直後は身長1メートル63、体重49キロ。実業団ではそこから、5キロの減量を命じられた。「お前だけ体重が落ちないのはなぜだ」。毎日のように叱咤(しった)された。

 当時、父の芳男さん(70)は、たまに帰省した娘が大好物の鶏のから揚げの衣を外して食べていた姿を忘れられない。「本当に身を削って、走ることにささげていた」

 追い詰められ、走ることが嫌いになりかけた時、原さんが編み出したのが、おなかいっぱい食べては、体を折り曲げて吐き出す「食べ吐き」だった。嘔吐(おうと)には何の苦痛も伴わない。「いくら食べても太らない!」。絶好の減量法だと思えた。

 限界まで走り込み、北京五輪(08年夏)の出場に手が届くところまできた07年冬。

 全日本実業団対抗女子駅伝に向けた合宿中、他の選手が冷蔵庫に入れていたヨーグルトを、原さんは勝手に食べてしまった。「どうしても食べたかった」。監督に問われ、すぐ謝ったが、駅伝は欠場。その後の大会でも成績はふるわず、五輪切符は、指の間からすり抜けていった。

■食べては吐き、胃液で溶ける歯…前5本だけに

 人生は、さらに良くない方に転がっていく。

 北京五輪出場を逃した後、別の実業団に身を置くなどして再起を図ったが、ケガに悩まされ、結果を出し続けることができない。元コーチにお金をだまし取られ、結婚を約束した男性とは、式まで挙げた後に破局した。

 「誰にも必要とされていない」。孤独が募り、ストレスを抱えるたび、食べ吐きの欲求が膨らんだ。おなかいっぱい食べると、その間は、嫌なことを忘れられた。

 大量の食べ物を得るため、原さんはいつしか「万引き」に手を染める。

 最初に逮捕されたのは、ヨーグルトの盗難騒ぎから4年余りが過ぎた12年夏。心身をコントロールする手段だったはずの食べ吐きは、次第に制御不能となった。嘔吐の際の胃液で歯が溶け、差し歯を除いた「自分の歯」は、下の前歯5本だけになっていた。

 「あなたの病名は『摂食障害』と『窃盗症』です。しっかり治療すれば、必ず治りますよ」

 17年秋、下総精神医療センター(千葉市)の平井愼二医師(62)から言われた原さんは驚いた。窃盗症(クレプトマニア)とは、衝動的に窃盗を繰り返す精神疾患のこと。

 「え? 私は病気なの?」

 この直前、万引きでの6回目の逮捕が、大きく報道されたばかりだった。

 平井医師によると、人間には「防御」や「生殖」と並んで、「摂食」の本能がある。原さんの場合、過酷な減量で体が飢餓状態に陥り、摂食本能が刺激されて、自然界では摂食前に行われる狩猟や採集をつかさどる神経活動が活発に。その結果、自分の思考とは裏腹に、反射的に食べ物を盗んでしまう――と考えられた。

 治療を始めた原さんだが、ある日、スマホで自分の事件を取り上げた記事を目にしてしまう。

 「ずっと誰かに見られている。怖くてどうにかなってしまいそう」。そして18年2月、気づけば栃木県足利市の実家から群馬県太田市内のスーパーに1人で向かい、菓子3点を上着に収めていた。7回目の逮捕。しかも、前回事件で執行猶予中の身だった。

■「窃盗症」と診断…治療中に逮捕、再び執行猶予に

 懲役1年――。前橋地裁太田支部で判決の冒頭の一言を聞いた瞬間、原さんは頭が真っ白になった。

 「ついに実刑か」。そう思い込んでうなだれていると、林大悟弁護士(44)が「保護観察付きの執行猶予ですよ」と教えてくれた。

 判決を言い渡した奥山雅哉裁判官は、驚いたことに、自らも市民ランナーだと明かした上でこう説諭した。

 〈あなたはマラソンの並外れた才能があり、努力をする才能も持ち合わせています。この病の領域でもその才能を生かしてほしい〉

 実刑とはせず、もう一度、社会の中で前に進むチャンスを与えてくれた。

 「病気を克服して立ち直れるか、原さん次第であり、その生きざまは同じ病気を抱える人の先例にもなる、というメッセージが込められていた」。林弁護士は、奥山裁判官の言葉をそう読み解いた。

■もらった「塀の外」の人生…必ず立ち直る

 判決から4日後。東京・伊豆大島の市民マラソンのゲストに招かれていた原さんは、前日の講習会で自らの事件と病気を明かし、頭を下げた。参加者から拍手が起こった。

 その姿を見ていた元陸上選手の西田隆維さん(44)は「ここから再スタートする気持ちだったのか、もやもやしたまま走るのが嫌だったのか。葛藤しながら参加者と向き合っていたと思う。お、こいつ勇気あるな、と感じました」。

 今、原さんは千葉市内の物流倉庫で働くかたわら、同市内の居酒屋「芝浜」でアルバイトをしている。「週末、1人で家にいると寂しいから」というのが理由だが、店でお客さんと話をすると、自分の心がほどけていくのがわかる。

 かつては街で「マラソンの原裕美子だ」と指をさされるのが怖かった。スマホで検索すれば、今も事件のこと、病気のことはすぐ出てくる。

 でも、過去を打ち明け、謝罪すると、思いの外、多くの人が受け入れてくれた。

 店の大将・布施博さん(67)と女将(おかみ)のひろみさん(58)も、過去の事件のことは知っていたと思う。それでも、原さんは手紙を書いて渡した。

 「今まで伝えていないこと、ネットには載っていないことも書きました。これを読んでも迷惑じゃなかったら、お仕事をさせてください」

 博さんは手紙を開けずに、こう返した。

 「間違いの一つや二つ、誰にだってある。全然気にしなくていい」。寂しさを紛らわせるために始めたバイトが、今は生きがいになっている。

 今も原さんは平井医師のもとで治療を受ける。つらかったこと、うれしかったことのエピソードをノートに書き出し、読み直して、そこに出てくる単語を毎日20語ずつ記して、ストレスを感じるはずの状況でも動じないでいられるよう訓練する――という方法を真摯(しんし)に続けている。

 塀の外で生きるチャンスをもらった、という思いは常にある。「自分の行動がよくも悪くも同じ病を抱えている人に影響する。自分の体だけど、自分だけの体じゃないんです」 きちんと食べて、寝て、人と話して、気持ちよく走って。その姿を多くの人に見てもらうことが、自分の使命だと思っている。

■自伝「私が欲しかったもの」出版

 今年3月、原さんは自伝「私が欲しかったもの」(双葉社)を出版した。「人生もマラソンと同じように、つらいことの方がよっぽど多い。でも苦しかったら立ち止まって休めばいい」。そんなメッセージを込めたという。

▼原選手が無事オリンピックに出場して金メダルを取っていたら、減量を勧めた指導者は称賛されることになったのでしょうね。オリンピック、強引に実施されることになるのでしょうが、一つの種目でピラミッドの頂点に立ちメダルを取るのは数人だけです。女子競技の場合、そのピラミッドの底辺ではどれほどの犠牲者がいるんだろうか?と思わずにはいられません。大げさではなくこれは氷山の一角でしょう。

 私自身はこれまで陸上、アイススケート、ダンスなどの犠牲者にお会いしてきました。フランスだったでしょうか?ファッションモデルに体重制限を設けたという話がありました。その後どうなったのかわかりませんが、女子スポーツの場合、何らかの制限を設ける必要があると思いますね。たとえば、一つのチームの健康診断を行い、あまりにも検査にひっかかる選手が多い場合、指導者の資格を剥奪する。その基準をどうするか?簡単ではありませんが何らかの基準が必要だと思いますね。