外側が騒がしい。が、唯一大事なのは自らを理解することだけ…なのかも | 何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

主に形而上の案件とボンクラ主の感想。

私は実際のところ、黙示録の話などしたくないです。😅

はっきり言って酷い話ばかりなので、ネガティブな面を覗き込みたくはないですが…

まあ仕方ないです。

ただしその代わりに、この世の実態が何なのか?という状況証拠は手に入ります。

黙示録の話は今緊迫しているので、少し後で書きます。

 

 

正直なところ、何でシステム部分はこんなに常に悪に支配されているのかと不思議ではないでしょうか?

何度かさらっと言いましたが、私の見方では世の中全て根元の方に向かうとワンネスの世界となり全てが繋がっています。

色々な別視点から見て現状でそういう理解です。

だから誰もが端末でありながらも、自分の根本と向き合うならその人は世界そのものでもあります。

 

 

宇宙を支配する原理が共通なら、全ての存在は根源から分かれた、ということになります。

たまに人間が存在として魂で輪廻転生するなら、どんどんと人口が増えていくのはおかしくない?

という疑問の人がいます。

正しい疑問だと思いますが…

実は、波やらエネルギーと言うのは、分けようと思えばいくらでも分けられます。

これは、人間とは、自分とは、結局のところ何ですか?

という理解への状況証拠になります。

 

 

 

前にもちょっとだけ触れたのですが、可視光は分光と言う方法で分けられます。

そしてコンピュータの色表現だとRGBだけで無限に色を作れます。

人間が見て分かるレベルの違いだとせいぜい20-30種類程度だと思いますが、細かく分けていけば色は無限に作れます。

また分光した波長の光といってもエネルギーの波なので、それを更に分解しても…それも無限に個性が生まれていきます。

仮にソース意識から赤と青の魂に分かれたとします。

そして、赤い魂を持った人物と青い魂を持った人物が、互いに喧嘩をしていたとします。

青い方が負けて死んでしまいました。

青の魂の存在は体を失いましたが、それはその人の終わりでしょうか?

赤い魂の人物が残っているからには、青い方も存在していることになります。

まあ場合によっては、青い魂は分割されて形状が変わっている可能性もありますが、その分割したものをまた統合できたなら、それはまた青に戻ります。

 

 

ちょっと余談で脱線しますが…

ちなみにこういった全ての色を円で表した図を色相環と言います。

こういうのは分けようと思えば分割は精度の問題でしかないので、無限に分割したければいくらでもです。

これは意識の持つ性質を色に例えているだけなので、あくまで表現し易くしているだけなのですが、

円と言うのはプラスマイナスも表現されています。

そして同じ色というか場所は円=波の中には一つもありませんので、人間は全員が性質が違います。似ている人は沢山いるでしょうが全員違います。

人間は清濁併せ持つ、ニュートラルに近い存在ですが、中には聖なる側面や邪悪な側面に振り切った存在も普通にいることになります。

それらは単に見えないし存在を認識できないだけです。

だれもが大きな石をどけてみなければ、その下に沢山の虫が住みついていることにも気付かないのと同じで、探りにいかなければその存在に気付く可能性もありません。

 

 

また、ユングは人生の目的の一つを個性化としましたが、自分の性質が正確に分かれば、

自分が何者で、世界がどういう仕組みで、自分は何を目指せばいいのか、という大問題に対して強めの状況証拠が手に入ります。

 

 

 

 

話を戻します。

青い魂を持った方ですが体は失ったかもしれないにしても存在としては消え様がありません。

エネルギー保存の法則という言い方もありますが、もし青い魂が消えてしまえばソースそのものの存在が成り立たなくなります。

全体性が成り立たなくなるんですね。

個人的に仕組みから見てですが、そのソースは真に全ての創造の源です。

そこから分かれた部分は消え様がなく、人間も同様のはずです。

 

 

意識が細分化して分かれることについてですが…

人間も精神の逃げ場を失って苦痛を受け続けると人格が分裂します。

分裂した人格はなんでしょうか?

元々人間には色々な感情や欲求がありますが、それらが無理矢理にほどけたものだと思います。

で、分かれた人格はそれぞれを自分だと認識し始める。

となると、それぞれ一つ一つが魂と同じです。

7つの人格ができたまま、その人は亡くなってしまったとします。

なら、生まれ変わりがあるならその人は7人それぞれとして生まれ変わっているのかもしれません。

それは多分、分割されていたとしてもその中での統合度合によると思います。

そして多重人格症はおそらく必ずそうなると思いますが、その分かれた人格は全て性格が違います。

分光によるスペクトルに特徴が似ていると言えると思います。

 

 

一見、話が飛び飛びになってしまって申し訳ないのですが、ハイヤーセルフと言う概念があります。

スピリチュアルな方々が好んでよく使いますが、あれは高次の自己と訳されます。

高次の自己って?

と、考えてもなかなか答えは出ないと思いますが…

分かれた人格がもし統合できたらそれは、まさに言葉どうりに高次の自己となります。

実際に霊媒の方の動画でハイヤーセルフは統合された自己と言っている方の話を聞いたことがあります。

それが本当かどうかは、おいおい考えてみてください。

 

 

ちなみに…

霊媒の人というのは、ありのままに気付ける場合は多いのですが、それを言語化できる人があまりいません。

言語化とは抽象化で、ありのままに気付く能力とは結構反対に位置します。

だから本人に嘘をつく気がなくても、霊媒の方の話は理解しがたい場合が多いです。

普通の人同士の会話でも、相手が未経験で類似した経験もない場合に、どうやって伝えるかは至難です。

社会的信用の高い人は別にして、普通の人が理解できない話をしだしたら9割くらいの人は話を真剣に聞こうとは思わないと思います。

だから霊媒の方の話を測るのは結構難しいです。

聞き手にある程度の見識がないと、相手の虚実が全く分からないからですね。

 

 

 

 

話を戻します。

で、高次の自己のそのまた高次の自己…と繰り返していけばそれは創造の源に突き当たります。

その統合された人格は、端末であった全ての人格の経験や記憶を引き継ぎます。

そうなったら、まさに高次の自己です。

仮に一人が7人に分かれてそれぞれ平均で70年生きたとすれば、その7人を統合した場合には約500年相当の経験を積んだことになります。

しかも経験の質が全く異なるので経験の価値も単純な時間換算より高くなります。

 

 

このハイヤーセルフの考え方が正しいと思えるなら、自分は死んで消滅したりしないことも、何となく腑に落ちたんじゃないかと思うのですが…どうでしょうか?

一つの人格が分かれた場合には、それこそ優しい人から自分勝手で邪悪な人まで、分かれる数が多いほどにバラエティー豊かに分かれる訳です。

 
 

この自分は分かれて生まれたという考えが正しいなら、それは全てがそうだということになります。

宇宙を支配する法則自体は人によって個別に変わる訳ではないからです。

だからですが、どうしようもない狂った悪が権力の世界を常に支配していますが、それは結局のところ私達の直接の兄弟ではないかもしれないですが、親戚くらいの関係ではあるということになります。

人格を分割する、エネルギーや波動を分ける、と言うこと自体が多様性豊かにはなりますが、同時に果てなき悪との争いに巻き込まれることも意味します。

悪の人格は、成長の末に人格形成されたものでなくて、生まれた時にはそういう性質を持っていることになり、そしてその性質の元に行動します。

嘘が上手くて論理的、加虐的で暴力的、権力や支配、捕食や狩りなどが大好き…

それは欲求で、その者自体の性質なのだから止め様はないです。

悪として生まれついたなら、それは最後まで悪です。

動物に習性を変えて欲しいと思っても無理ですし、人間だってそれを意志の力で変えられる人がいるにしても、大半の人は生まれ持った習性に従って生きています。

 

 

その中で避けて通れないのが、黙示録を解釈する上で避けられない聖書の神ですが…

どの様な性質に見え、どういう存在に思えるのかは信仰によって違うとは思います。

統合されて調和の取れた存在と言うのは完璧な存在な訳なのですが、聖書の神の性質は、

 

争いや血を見るのが大好き

服従を強いる

知ることを罪とする、つまり他の存在に対しては無知を好む

生贄を求める

 

まだ色々出せますが、きりがないのでこの辺で…見てみると基本的にどれもネガティブで支配することに寄ってます。

先ほども言ったとうりに、相手を見る時に頼りになるのは名目でなくて、その性質だけです。

聖書の神は性質が一方に偏っています。

つまり、物質世界は想像したかもしれませんが、この世界そのものを創造した訳ではなくて途中から分かれた存在だということになります。

そしてよくよく見れば、聖書の神が人間に対して求めていることと、現代のグローバリストが大衆に求めていることと、質的に同じです。

こういう話をするとユダヤ教の方にとってみれば、侮辱された様なものだから、前回に聖書自体が何度も翻訳を重ねた結果で、実際には正しい解釈は分かり様がない中での話だと、一応仮の話だと断りはしましたが…

少なくとも現状の解釈から見れば、行いは邪悪です。

邪悪な行いをする者は何と呼ばれていようがやはり邪悪な存在です。

で、どうも今がその総決算に近づいているとしか解釈できない中にいます。

 

 

 

 

この辺から少し黙示録の考察話になります。

この24年の6月初旬の現状でIHRやらロシア側の忍耐強い対応に何とか破滅に向かわずに済むんじゃないか、と思う方は沢山いるだろうし、実際に何とかしたくても現実として家も仕事も家族もありで、動こうとしても動けず、結果として静観しつつ破滅を回避してくれるだろうという願望を持つことしか選択肢がない、と言う場合が実際のところなのではないのかな、と個人的には感じています。

 

 

前回は主に艱難期の災い部分となる、7つの封印とラッパと鉢の話をだしました。

ですが、これには人為と天災が混ざっています。

最初の封印の部分は人間が解くので全部が人災だと思われます。

人災部分は市民側の熱意次第で大幅に、酷い結果に振れない可能性はあります。

ただしその後は天災と人災が混じっていると思われ、天災部分はその結果を受けいれるしかありません。

そもそも今でいうDSが信じがたいほど昔から予期して準備を重ねてきたことには、彼らにもそうせざるを得ない理由があるのは確実です。

なにせ、今までの完璧に統治していた悪としての為政術も手品の種を全て晒してまで、強引に優生学や専制政治体制を強いてくる訳なので。

その理由は、災いとして表現されている内の天災部分に表れているはずです。

 

 

同時に黙示録は比喩でしかなし、私自身は一神教徒でもないので聖書を読み込めている訳でもなく、抜けているかもしれませんが、エゼキエル書でもおそらく核戦争は起きない様に思えます。

ですが、キリスト教原理主義なんかはむしろ核戦争を望んでいる様な表現が多い気がします。

原理主義団体は基本過激だし、それらの影響を政治が受けることはままあります。

ヨハネ黙示録の表現としては、人間のかなりの部分が艱難期あたりの災いで亡くなるとあることと、太陽や月が暗くなったり、獣の国が闇で覆われるという、表現が核の冬か大噴火がおきた後の様な表現があることから、不安は残ります。

でもエゼキエル書に倣うなら、おそらく核戦争は大丈夫だとは思いますが、支配者層は核汚染に対して何とも思っていないどころか、むしろ汚染させたいと思っている節があることが前回紹介の動画にあります。

その辺を加味して考えてみてください。

 

 

個人的には、相互確証破壊による全面核戦争は無いと思いますが、戦術核による使用はあっても不思議はないと思います。

その際に重要なのはむしろ、海上封鎖と輸出入のストップです。

また金融で銀行がなんちゃら…とか言うと本気で捕まりかねないので前回言いませんでしたが、核戦争が起きたらどうなる可能性が高いかは、ご自身で考えられると思います。

ちなみにドイツ銀行の有名な4-5年前当時で7500兆円のデリバティブの負債とかはそのままで、中央銀行家がこの時期にCBDCを導入しようとしていることは、はたして偶然か…

戦争のどさくさで金融の制度を大きく変えてきたことが今までの歴史でもあるので、今回も不安がよぎる展開ではあります。

 

 

ちなみにプーチンを反グローバリストだと思っている人が多くいますが、CBDC導入のためと聖書のシナリオを実現させるために台本に従っているだけだとしたら?

非常に危ない話ですが。

そもそも、ウクライナも最初に電撃戦とはいかなくとも不意を突きながら現代兵器を駆使すれば1日で陥落させることも十分に可能だと思ういます。

それだけの軍備や戦力差があったはずです。

ですが、それはしなかった。

それに欧米とロシアが本気で対立しているなら何で核戦争を煽る様な話になりますか?

まずドローン戦やハッキングが過熱するはずだけど、その前にアメリカは深刻に対立しているなら何でDEWを使わないの?って話になります。都市には使うのに。

あれほど有利な兵器もそうなくて、あれは多分衛星からも撃てると思いますよ。

また自国は気象兵器で攻撃するのに戦争相手にはそれらを使った形跡がない。

それにロシアでは例の注射も国民に打たせてるしで、結構今の二代目のプーチンさんは怪しい人です。

演説の内容はとても立派なのですが。

一回入れ替わってるし。

 

 

ここで聖書の不安な一句がでてきます。

 

「わたしは光を作り、闇を作ります。わたしは平和を作り、悪を作ります。主であるわたしがこれらのことをすべて⾏います。」 -- イザヤ書 45:7、聖書、欽定訳聖書

 

私はロシア勢とアメリカ勢が裏でチャンネルは持っているにしても、手を取り合って談合しているとは思いませんが、従っている上司は同じではないかと思います。

両方とも通じてなければ、黙示録の予言を予告として実行することなんてできないからです。

アメリカの二大政党政治が両方とも中央銀行家達によって動かされていたのは有名だし、当時のアメリカとソ連とかもそれだし、彼らの行いは何でも両建てです。

用意だけは異常な周到さがあり、その辺の実行力は人間のそれではありません。何故かそうです。

 

 

私は恐怖を煽りたい訳でなくて、相手は何でこういう人間離れしたことを、とても面倒な手間を惜しみなくかけて私達に見せてくるのか理解してほしいからです。

それは私ら自身が気付いてない、人間としての本質に関わることは間違いありません。

はっきり言って、社会としてのこの世はホラー仕立てのサーカスを提供する劇場です。

だから、まれにトゥルーマン・ショーみたいだと比喩する訳ですが…

 

 

その中で前回言えなかったことで付け加えておきたいことがあり、それが獣の刻印と最後の審判です。

獣の刻印は有名なので言うまでもないのかもしれませんが、ヨハネ黙示録 13:16-18

に、

 

「この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。」

 

とあります。

有名な666の数字が示唆される場面でもあります。

要は刻印がなければ基本的にお金が使えなくなると言うことです。

同時に獣と言うのは今の支配者のことでもありますが、同時に今の社会そのものでもあるとも言えることになると思います。

どうやってその社会と付き合っていけばいいのかを自分なりに思いを巡らせてみた方がいいかと思います。

 

 

そしてヨハネ黙示録の中でも異彩を放つのが最後の審判です。

何度も言うとうりに黙示録は比喩なので、言葉のまま受け取ることはできませんが、これにより人間の行き先は大きく分かれます。

ここは災いの部分よりも重く見た方がいいと思います。

私自身、それを完全に理解しているとは思ってませんが、人間がどういう存在なのかを知ればおおよその答えはでると思っています。

おそらく、奇妙なことがこの先も沢山おきると思いますが、この訳の分からない現実に対し理解を深めて乗り切ってくれることを願います。

皆さん、それだけの力は初めから持っています。ただ忘れているだけです。