終わりの始まりの中で。真実だけに価値があり、疑問を持つ中に意味が…。 | 何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

主に形而上の案件とボンクラ主の感想。

前回タイトルに対してのオチがなかった気がしたので、一言補足します。

何で劇場世界と表したかと言えば、人に関わる事の全てが事前に用意されている様に見えるからです。

仮説ではありますが、ホログラフィック宇宙論もシステムとして見ればその事前に用意された中の一つです。

何せ宇宙の全てのデータが原子ごとに記録されているとなれば、過去と未来と現在は同時に存在することになると思います。

何故ならそれにアクセスできる人が何時の時代にもいるので。

 

 

なら未来は決まっているの?

となりますが、そこが前回の決定論と自由意志の対立です。

世界が決まりきった形になるだけの仕組みで、核戦争が起きる運命なら変えようが無いですが、人間に自由意志があるなら回避できる可能性も出てくるはずです。

 

 

今の時代はその核戦争が現実的にあり得る段階にきていますが、為政者グループの好き勝手にはさせない、という意思と彼らのまやかしの中身を認知して集団意識としてそちらに進むのは許さないと皆で共振しはじめられれば、現実を変えることは可能だと思います。

とは言え、人々の共振具合には国によって大きな差がある様なので、今は良いとも悪いとも言えません。

少なくとも日本に点いている火はまだ弱いと思います。

 

 

そしてですが、為政者グループも自前で科学や政治などの権威機構を所有しているだけでなく、一般人の認識を操るために、ニュース配信用の時事を撮る自前の劇団まで持っている始末なので、そう言うところも人生そのものが劇的なことに拍車をかけてます。

劇場でパンとサーカスを貰いながら劇こそ現実そのものと思い込んで一生を終えるのもその人の勝手だし、そんな作られた設定に囲まれて生きていくのが嫌になり、何が正解なのか?という疑問と向き合っていく面倒くさくて孤立する生き方を選ぶのもその人の自由です。

向き合い方と言うより覚悟や気持ちの問題です。

そして共振現象は他人をも巻き込むので、少数が孤軍奮闘している事態から進展しないと嘆き気味になるかもしれませんが、変わる時には思いの他短時間で変わります。

 

 

 
 

そこで本題です。

現実とは神の夢ではないのか?とする考えや神話が昔からあります。

主に古代のインドや中東あたりでその考え方が既にあり、そこから哲学的な問題提起として常に一定の支持を持ちながら現代に至っていると思います。

これは世界全体への捉え方を内面に落とし込むので、人によっては形而上で捉えるために大きな役に立つはずです。

 

まずですが、現実と思っている今の認識を、それは夢だと断定したりとそういう乱暴な意見を言うつもりはないです。

ですが、逆に見みて、夢と現実では何が違いますか?

その辺は一度疑問に思ってもらいたく、そしてその突き当たった理由には問題点や疑問を探して検証してみることは有益だと思います。

常識だと思っている疑わないことほど、自分から検証してみることは大事です。

 

 

 

また、見ている夢を夢と自覚できている人はどれくらいいいるものでしょう?

いわゆる明晰夢と言われるものです。

これを経験したことのある人は多いとは思いますが、毎回明晰夢を見ている人はほぼいません。

長い人生の間に明晰夢を見た記憶があるくらいの人が大半で、実際には明晰夢を見ることはとても稀です。

 

 

なぜ明晰夢を見れたのか?

それは私なりの解釈としてはその時見ていた夢に対して距離を置けたからだと思います。

それは眠りが浅かったからとか、用足ししたくなったとか、色々解釈はできますが、結果的には夢そのものを現実だと思う気持ちが離れたからです。

これを現実に当てはめてみればどうですか?

トイレに行きたくなって気付くことはないでしょうが、その代わりに常識だと思っている自分の認識を疑ってみる試みができます。

それは世の中にバーチャルな側面があった時に、明晰夢を見るに等しい行動を自分からできたならそれは文字どうりに明晰になります。

 

 

そんなことはあり得ない!と思うなら単にそれまです。

実際に夢だと結論付けられるまでの確信を得られなかったにしても、どの道この世の常識だと思っていることの大半は思い違いをしているので、疑問に思い自ら調べて噛み砕いてみることは何らかその人の目を醒まします。

 

 

普段言っている内容を繰り返しますが(くどくて申し訳ありません)、世の中に存在することで唯一証明できることは自分が主観でもってこの世界を経験している。

ただそれだけです。

他のことは、証明の証明をと繰り返していくと一つたりとも証明できることはありません。

その観点からすれば、これは夢の条件に近くなります。

 

 

基本的に皆、夢は個人の範囲で見るものだと思っているから、他の生命=意識体と混在するこの世界こそ現実だと勝手に思っていると思うのですが、なら誰もが条件さえそろえば見ることのできる臨死体験や体外離脱と言う現象を勘定に入れたら?

色々と考え直さなくてはいけませんが、それらの現象を認識しだす頃には社会常識で頭が固くなっているんですね…。

それに対して偶然か、世紀の天才達が非常識と向き合って出したその人なりの意見を紹介します。

 

 

 

 

量子力学の創始者の中に、マックス・プランクのと言う人物がいて、今回その言葉を借ります。

マックス・プランクによれば…

 

「私の研究の結果として物質は存在しないと言える。

全ての物質は力によってのみ発生し存在する。

全ての物質は原子の粒子を振動させそれを原子内に保持する力により存続できます。

しかし宇宙全体には知的に理解できる力や永遠の力は存在せず、 したがって、この力の背後には意識的で知的な精神またはスピリットがあると想定しなければなりません。」

 

ある程度の翻訳ミスはあるにしても、だいたい神秘家や宗教家の様な結論を述べています。

つまり物質を作っているのはおそらく心だと。

ちなみにマックス・プランクだけではなく、シュレディンガーなども近いことを言っていて量子力学の創始者たちは詰まる所そういう意見だった様に思います。

だけど量子力学というと猫の残虐な実験などに論点がすり替えられがちです。

それは神秘的な意見などを教科書や科学番組などに載せてしまうと、唯物論科学の物語の中に納まらないからです。

創始者の意見であっても引用されることはありません。

でも世紀の天才達が実験や理論を繰り返して行き着いた答えはそんな辺りです。

 

 

 

 

そしてちょっと趣向を変えて、ホログラムの仕組みの面から見て見ます。

ホログラムはレーザーを再現素材に当てることで作られますが、レーザーを消してしまえば当然ホログラムも消えます。

ホログラフィック宇宙論はブラックホールを通してデータを記録することですが、そのレーザーに相当するのはマックス・プランクらが存命なら人間でなくて神と言うかもしれませんが、それでも意識や精神の表れだと言ったろうと思います。

例の発言当時から認識が変わってなければですが。

 

 

もしそのマックス・プランクらの推論が正しければ現実と夢の世界に境界はますますあやふやになります。

物質はない。

それらを作るのは精神だということになれば。

マックス・プランクは物質は力で、その力を注ぎこむ正体は分からない。

考えた末に可能性として残りそうなのは意識やスピリットではないかと。

 

 

で、ここで終わるなら世界は個別の魂が奏でる集合的認識や投影の世界だろう、という推論で一区切りつくのですが、そのに前回話した様なホロン的な概念が乗っかると部分は全体だということにもなるので人間の見る現実は神の夢だという推測も、成り立たないとは言えなくなってきます。

 

 

 

 

何で全体は部分の集合の結果でなくて、部分が全体と同じなのか?という要素を挙げていきます。

まず私達は全員が個性的で全く同じ性質の人間は、全体でおそらく一人もいません。

虫や植物となるとまた違ってくるかもしれませんが、人間では恐らくそうだと思っています。

これは一卵性の双子でも、遺伝子は同じでもやはり性質は微妙に違います。

そして性質が違うと言うことは全員で、というか全意識で一つのパッケージだという証拠になるはずです。

これは色の企画でRGBを知っていると思いますが、あれはたった3色の組み合わせの中での分割次第で無限に色を作れてしまいます。

つまり全員が違う個性を持っていると言うことは、おそらく元は一つの波から派生して分かれた結果だろうと言えると思います。

 

 

前に使ったフェーザ図ですが、丸の一周は波のプラスマイナスでの一波と同じです。

そしてその丸の中身は場所ごとに全てが微妙に違う訳です。

 

 

これはお馴染みのペイントソフトのパレット部分ですが、色付けするとこういうことです。

元は3色しかありませんし、その3色自体も元は単に周波数で一つの波です。

それらがゼロ点から見て、全ての存在が微妙に少しずつ違ってます。

私は波の性質として、この辺が根拠として二元論として分かれて行き、善悪は等しいだけ存在していて同時に調和を保つためにお互いの極性を奪ったり抑えたりし合っている様に感じています。

 

 

全ての性質が微妙に違うのなら、おそらくその世界に力を注いでいる波の発生元は一つという状況証拠になります。

それを一般的に表すなら神と言う言葉になるのかもしれません。

ただ、これだけ説明しておいて何ですが、私は神という言葉があまり好きではありません💧

文化ごとに余計なイメージや観念が付いているため、それ自体が争いの元になりかねないし、一神教の髭の老人みたいなイメージは原初の意識ではないと思うからです。

今言った原初の意識やソースなど実態を表した言葉の方が好きです。

原初の意識は波を起こしておらず状態としてゼロです。

(今がどうかは知りません)

ゼロだということは、同時に全てを内包している安定した状態です。

量子力学だと何もない空間は高いエネルギーに満ちた海の様なところとされます。

それが意識の波を立てはじめると…その意識が空間に刻まれた情報を具現化させる様な世界なら、聖なる者も悪しき者も同時に生まれます。

 

 

つまり性格上の主張が激しい者は、神と呼ばれていようと高い力を振るおうと原初の創造主ではありません。

陰か陽か、どちらかの存在と言うだけです。

だから一神教は個人的に根っこの方が受け入れられていません。

神と創造主は一括りにされることも多く、概念はごっちゃになっていますが、今回の題材の現実は神の夢か?という視点に立つとその意味での神はモナドやソースなどと言われる大元の意識だけです。

一神教の問題は今起きておる危機の中心だと思うのですが、今回は関係ないので触れずにおきます。

 

 

 

 

前回は世の中の仕組みの根本を意識してもらいたかったので、人の本質は神だと言いました。

それは間違いではないはずですが、同時にその先も長いです。

 

 

全ての存在は多様性の中に生まれ、皆それぞれが個性的です。

ユングは人の人生の目的の一つに個性化を挙げました。

これは自分がどういう個性を持っているのか、自分の内面と向き合い知ることです。

先ほどのRGBを例えに自分がどの辺の性質を持って生まれてきたのかを納得いくまで向き合うのがいいと思います。

人間の個性はそれぞれ唯一無二だと思うのでその辺を知ることは、この世界に対する理解を深めますし、結果として道を誤ることも無くなります。

 

 

そちらで考えを進めると何の理由でこの世界があるのかという疑問に当たりますが…

これが神の夢としての意識表れだとすれば、パンドラの箱の例えのごとく意識の均衡を誤って崩してしまって、結果として二元性の世界を作ってしまったのか、あるいは自分自身を知り経験の幅を広げるためにあえて悪との揉め事が絶えない退屈しない世界を作ったのかもしれません。

私はシャーマンでもないし、その辺の理由は推測するのみです。

 

 

これが二元性の波の表れとするなら、半分は聖なる者で半分は悪魔的な存在がいることになります。

その中で悪魔が意図的に誘導する先は無個性と均一化、自主性を許さない権威に隷属する世界です。

これが何をもたらすかと言えば、人間の霊的な格を下げるはずです。

この世界の全ての生命が周波数を発していて、意識体としてその形を作っているなら、下がりすぎた周波数しか出せない存在になればもう人間として顕現することは叶わないと思います。

 

 

人間は特殊な存在で、自分がどういう存在になるのかを選べます。

この世界の表面的な部分は、常に悪に支配されています。

その中で楽だからと社会に迎合することは、自分と言う存在を悪の側に向かわせます。

一言で言えば堕落です。

悪魔の側は人間がどういう存在でどういう性質なのか分かっている様に見えます。

自分の性質として、また自分の仕事として人間に対して劇場的な世界を演出しているのであれば、それを受け入れると何となく結果は分かりますよね。

 

 

これが神の見る夢で、意識が作り出す現実だと思うなら、一番大事なことは自分を知り、正しい認識を得ることだけです。

そういう現実であるなら、人間は不滅の存在なので。

人間は慣れによって茹でガエル的に、現実感覚が変わっていく存在なので、今回の人生で堕落して自分を落とすようなことがあれば、それが一番深刻なことではないでしょうか?

 

 

おそらくこれから現在の社会制度の大半は破綻します。

その状態が何年か続いたとして、食べる物がないからとまた政府の言いなりになったり、または他人の食糧を奪ったり盗んだりと…極限状態だとしてもその行動を取りますか?

この世界は仕組みとして安寧を求める世界でなく、いかに苦難を乗り越えるかというような場所だと思います。

 

その中で生き方が問われるはずです。

そんなに難しく考える必要はないですが、どういう人物になりたいのかを、しっかり意識してそうなるための行動を取ることはとても大事だと思います。

プラトンは、究極の真の現実は心の領域であると言いました。

認識すること、イデアと言ってもいいでしょうが、それはその心を変えます。

どういう認識を持つかは、どういう自分になりたいかと同じことです。

熱意があるならぜひ頑張ってほしいと思います。

今は最悪な時代だからこそ、とても良い学びの場だと思っています。

 

 

 

 

ちなみにこの世界が二元性の世界だとして、その概念に当てはまる様な本をナポレオン・ヒル氏が書いています。

悪魔を出し抜け!というタイトルで出版されていますが、とても高く、中古で1万くらいするのでちょっと手が出ません💧

動画で解説されている方が何人かいますので良ければご覧ください。

ナポレオン・ヒル氏が悪魔と対話した時に聞き出した悪魔と人間に関わる秘密が語られています。

あくまで、本人がそう主張されているだけですが、その辺の実際のところも自分で想像しながら見てみるといいかと思います。

そこそこ長いですが、面白いと思えたならそんなに時間は感じさせないはずですので、よろしければ。

(yutubeの直張りエラーがでなくなってました、よかった)