実は大きく影響を及ぼしているヘルメス主義。本物の知識であれば隠そうとしても浮かび上がる… | 何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

何を相手にしているのか分からない時代への認識の足し

主に形而上の案件とボンクラ主の感想。

なかなか時間が取れなかったために久しぶりの更新となってしまいました。

長らく間を開けてしまい申し訳ありません。

 

最近ですが、ますます黙示録を示唆する様な出来事が起こる頻度が高くなってきました。

その闇を覗いて直接対処することは一面として大事なことではありますが、突然に次々と起こる場合が多いためにおそらく対処はしきれないと思います。

個人的には人事を尽くしながら天命を待つのがいいかな、と思っているのですが。

私からするとこの世は、牢獄であると同時に自己実現の場だと思ってます。

よく話題に出すグノーシス主義の派閥の多くはデミウルゴスから逃れるため、という逃避の色の濃いものなのですが、今回のヘルメス主義は物質世界も霊性としての世界もどちらも肯定していて、霊的な世界に逃げないで物的世界で自己実現を目指す、といった感じの主張が根本にあります。

 

現代では霊性の話なんて余程相手のことを知った上でないと話に出せない話題ですが、古代エジプトあたりのヘルメス主義が隆盛していた時代はむしろ常識的な認識だった様です。

現代とヘルメス主義の時代でどちらが幸福度の高い成熟した文明だったかと言えば、おそらくヘルメス主義の時代の方だろうと思います。

 

グノーシス主義もヘルメス主義もどちらも知ることでより高い自分、より良い今後を目指しますので、取る手段は近いがゴールとしている場所が違うと言った感じです。

どちらも、あるがままのこの世を認識することで現状の脱却を目指しますので、かなり似通ってはいます。

 

 

 

 

 

黙示録=アポカリプスとしての本質は、新時代になること、知識の開示となることを何度か言いました。

それを重要な古典であるヘルメス主義から少し考察してみます。

ヘルメス主義とは古代の神秘主義者のヘルメス・トリスメギストスにかこつけた宗教、哲学や思想、錬金術や占星術などの総称です。

 

 

これは思想的な中では世界最古とも言われていて、古代エジプトの時代には既にあり、かつ影響力は実に強いものがありました。

日本も含めて世界中の神秘思想は大なり小なり影響を受けています。

大きく影響を受けている組織の中で秘密結社全般もその内の一つです。

有名どころで言えば例えばカバラ、フリーメイスン、薔薇十字団などなど。

宗教や哲学などは洋の東西を問わずに、全て強い影響を受けているものと思います。

ヘルメスの教えはテクノロジーの様なもので、良いも悪いもない様に思います。

それは使い手次第です。

それだけ要所を押さえた優れた考えだということになります。

同時に優れているからこそ、その反面で危ないのです。

ちなみに現代で有名なのだと引き寄せの法則などがヘルメス主義の一部を引用しています。

それを実感したことのない人から見れば胡散臭いものだと思いますが、あれもまた一つの事実ですが、残念なことに欲求を叶えるための手段みたいに宣伝されてる気がします…

 

 

現代は唯物論で物質や自分の体のみを信じるような社会です。

でもって、ヘルメス主義などの神秘性や霊性などを絡めて宇宙論を語る様な内容は基本的に無視する様に世論誘導されてしまいますが、先ほども挙げたとおりに当のエリート達が信じているのはオカルトや神秘思想です。

物理学的な宇宙論などを基礎知識としている訳ではなくて、生命の樹だとか占星術だとかの方を主に信じている訳です。

その中で

 

「知恵の唇は、理解する耳に対してを除いて、閉ざされる」 - キバリオン

 

というヘルメス前提の言葉があり、これが陰謀団が暗躍する元になっていると思っています。

(キバリオンはカバラによるヘルメス主義)

これは聞く耳のない者には話す必要はない、と言っていますので、結果として聞かせたくない対象である一般人には関心をできるだけそちらから遠ざければいい、と言うことになります。

だからパンとサーカスをふんだんに与えて、偽常識で囲み、拝金社会を信じさせ、コミュニティを際限なく分断して孤立化の果てに趣味の世界に閉じ込める。

その果てがトゥルーマンショーとマトリックスを足して割った様な現代になってしまっています。

 

世の中には禁止知識というものがありまして、そう言った知識を独占したい考えの人達がそういう枠組みを作ってしまいます。

ヘルメス主義も基本的にそういう扱いだったと認識してます。

古代エジプトの当時は文化的にヘルメス主義は隆盛の中にあって、取り組む者も多かったのですが、偶然なのかアレクサンドリア図書館は何度か燃えてしまいました。

ちなみに発掘文書として知られているナグ・ハマディ文書にもヘルメス主義の文献がいくつかあります。

当時は今と似ていて1984の様な状況で、歴史の書き換えが行われていた様に思います。

元々主流の一つであったヘルメス主義は教会の弾圧にあい、その信徒達は結果として地下に潜りました。

今となっては地下に潜った結社は教会と一緒になって支配に参加しています。

おそらく内部から乗っ取られたか変容してしまったのでしょう。

 

 

 

 

 

ヘルメス主義というのは、ヘルメスに感銘を受けた人達がそれにあやかって残した文化や作品などを言っているので多種多様です。

なので一言では言い表しにくいのですが、同じく言い表しにくいグノーシス主義とかなり近いものがあり、

 

1 ロゴス  (logos - 言葉、理性、ひいては師との対話

2 グノーシス(gnosis - 認識

3 ヌース   (nous - 知性、理性、精神、魂など。主に沈黙による瞑想からの理解)

 

を追求していき真理を理解し一体化して、自己実現やソースへの回帰を目指すものらしいです。

グノーシス主義とはこの世界に対して肯定的と見るか否定的に見るか、と言う様な極性の違いがありますが、その過程はかなり近いものがあります。

ヘルメス主義はロゴスとヌースが余計にありますので、禅宗でやっていることとグノーシス主義を足せばヘルメス主義の密教部分に近くなるのかもしれません。

 

またこの世に対して肯定的であるからこそヘルメス主義は文化として花開いた訳ですが、ここで一つ気に留めておいて欲しいのは、当時は認識することの方が主流だったと言うことです。

それが一神教に取って代わられ、原罪や信仰を求めるような縦の仕組みは後から作られた、ということです。

そして認識というのは目に見えない大宇宙と小宇宙(人間)の霊性を主に表していて、これら古代の賢者たちから見れば、物質世界は魂や心の反映と見ています。

 

 

 

イエスの語録の中に不死への解釈がありますが、ヘルメス主義でも全く同じように見える解釈があります。

気になったのでご紹介します。

 

イエス

これらのことわざの正しい解釈を見つけた人は決して死ぬことはありません。

(トマスによる福音書 - 001)

 

ヘルメス主義

では コーパス 、死という概念は存在せず、それは幻想であることがわかります。 現実には、創造と変化だけがあり、滅びるものは何もありません。 エネルギーは作成も破壊もできず、ある形式から別の形式に変換されるだけであるのと同じです。

人間は、上にあるように、下にも大宇宙を反映する小宇宙です。 肉体が溶解すると、それは自然に吸収され、魂は宇宙に吸収され、新しい生き物が生まれるために非顕現に戻ります。 宇宙は決して破壊されることはなく、サイクルは継続的に回転し、神秘は再生されます。 現実の本質は死すべきものではなく、不死です。

ヘルメティクム ブック X

 

ヘルメス主義の方が先にあるので、イエスの方がその影響を受けた、とも取れますが、その真偽はさておき、内容としては大きく被ったことを言っている様に思います。

またヘルメティクムブック X のその後の方に

 

魂の苦しみを抱えて死ぬと、至高の善にあずかることができなくなります。 これが唯一の本当の死であり、周期的な再生による霊的な死です。

 

という一説があり、ここから見るにヘルメス思想の奥の方には唯心論があるのだと思います。

だから私的には、人間はどの道いつかは死ぬものであるのだから、死の危険があったとしてもおたおたする前に、現実でどういう生き方を選んで、どこまでの理解に至り肉体を離れるか、という方が余程大事だと思う訳です。

これらの解釈を真摯に捉えることができるなら、死は終わりであると同時に始まりでもあるので、その後の方が大事、となるのではないでしょうか?

こんな時代でもあることから、何時突然の死にかねない厄災に見舞われるかを予測しきることは困難ですが、生きている内に本質を追求し理解に至り、恥ずかしくない生き方を選んで生涯を終えることは熱意次第ではできる訳です。

そういった霊性への理解と選択ができた人は、これら偉人の言葉を借りれば永遠に生きられることになります。

こういうのは万人に勧められる内容ではありませんが、何となくでも腑に落とせる人の目に留まってもらえればいいかな、と思う次第です。

 

 
 
 
今回、紹介するにヘスメス主義を選んだのは今の時代がもうすぐ終わると思っているからです。
時代が新しいものに変わってしまうなら、一番大事なものは食糧かもしれませんが、実際にはマインドで集団的な合意です。
何かの破局を経た場合に、我の張りと奪い合いをしながら混乱期を経て移行する場合は多いと思いますが、もし精神的なリーダーが現れて皆のマインドを納得させて一つの理解に向かわせたなら、世紀末的な混乱もなく基本的に協力し合えます。
また、死にゆく人であっても、死が終わりではないことが納得できたなら、悲観と諦めの極みの様なトラウマを刻みながら亡くなることもないと思います。

 

だからですが、私は個人的に思うところ、アポカリプスで示される情報の開示というのはこういった世の理を表した禁止知識の類を主に言っているのではないのかな?と思っています。

 

世の支配者層がサイコパスの大嘘つきで、一般常識の大半が人を管理するための嘘で…というのは秘密の暴露ではありますが、新時代の指標となる知識ではありません。

それはただ混乱をもたらすだけで、仮に支配者層が倒せたとしてもそれだけでは収拾が付かず、結果として何も新しいものを産み出せません。

最悪な場合は破綻した制度にすがり、復活させ暗黒時代を延命させることになると思います。

それでは首がすげ代わるだけです。

新時代が良い方向に向かうためには、人々がより真理に近づいた共通認識を持たなくてはそれは無理だと思います。

 
 
 

 

支配による縦の社会なら嘘や脅しが必要だし、公平な大衆文化が花開くためには全体に行きわたる教養が必要です。

その教養には真理が必要で、それが個人的に既に古代にはそれがあったと思う訳です。

指針がなくては人は集団を作れなく、集団を作れなければ人の多くは生きていけないので、何を信じて社会合意に至るかということは混乱している時期ほど大きな価値を持ちます。

真理の一端を表せている知識にはその力があると思います。

古代のその当時のことは知るはずもありませんが、黄金時代というのはヘルメス主義の時代には実は既に達成されていたのかもしれません。

今後もしシステムの崩壊が訪れたなら、最も価値あるものは真理の裏付けのある共通理解だと思っています。

問題は皆の価値観が崩壊した時にどうやったら、そういった共通認識を広めて至れるか、ということですが、そこは残念ながら思いつけていません。💧

 

人の心そのものが、都合のいい嘘より、嘘偽りのない理を自ら求めだすなら勝手に良い時代になりそうですが。

風の時代というのは精神性の時代とされているみたいなのでそうなることを願います。

ヘルメス主義はまだ紹介しきれてない部分が多く残っているので、そのうちまた紹介すると思います。