重陽の節句 | 日々是好日

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 今日9月9日は、歳時記にもある「重陽の節句」。

 中国でおめでたいとされる奇数(陽の数)の最大値「9」が重なる

ある意味超めでたい、今年最後の五節句のひとつ「重陽」。

 丁度この頃、菊の盛りでもあるので「菊の節句」とも。

  他に奇数が重なる日としては、1、3、5、7とあり、全部で5節句と呼ばれている(1月については、1月1日ではなくて、何故か1月7日。1月1日は、めでたくて当たり前・・なのか・・?)

 

1月7日  人日(じんじつ)

3月3日  上巳(じょうし)

5月5日  端午  (たんご)

7月7日      七夕(しちせき)

9月9日  重陽(ちょうよう)

 実は、今日車の乗り換えで、新車の来る日。少し前からこの日にしようと決めていたところ、今日の新車納入は3人目らしい。それだけ他の方々も良い日と意識されているのか・・と思うと少し嬉しくなる。でも、菊の日というのは、少しだけ違う気がし、明治に入ってから徐々に他の節句と比べて、菊の日は意識されなくなったらしい。

 

 ここで幕末オタクに熱が入ってしまう。この節句のうち、強烈に思ってしまうのは、「上巳の節句」。1860年(安政7年)3月3日、安政の大獄を断行した井伊さんの最期の日。当時五節句の行事は、幕府をあげた一大イベントで幕閣や諸大名の総登城が慣わしであったが、大獄を断行した井伊さんの首を狙う勤王派志士の動きが早くから真しやかに流れ、当日の登城も危険とされ重臣から登城取りやめが言上されていた。井伊さんは、「幕府をあげた行事に、たかが噂のために大老が恐れて登城しないとは末代までの恥・・」と(言ったかどうか知らないけど)、降雪の中登城し、彦根藩邸から桜田門までわずか500メートル程の間で尊い命を落としました。

 去年安倍元首相の銃撃事件で、改めて要人警護が問われたけど、

警視庁で要人を警護担当(所謂SP)する部署が置かれたのは、昭和50年の三木首相殴打事件が契機。でも個人的には、この桜田門外の変での彦根藩士の主君を警護する際の姿勢(当時の彦根藩士を批判する気は毛頭ありません)に要人警護のあり方が問われていると思う。それは、

  ●桜田門まですぐそこだから大丈夫だろう(油断)

  ●今まで大老が襲われた事も全くない(マンネリ)

  ●当日の降雪の為に刀に鞘袋を施し、すぐに刀が抜けない状態だ          

  った(準備不足)

  ●降りしきる雪に俯き加減で、周囲への目配りに欠けた(姿勢)

という点で、今でも教訓となる事があると思う。

(実際に要人警護の必要が問われたのは、明治11年の大久保利通の暗殺事件以降みたいけど、実際我が新撰組は、幾度か将軍慶喜の警護で京都から大阪まで護衛した記録もある)

 こうしためでたい節句の日に、幕府にとって最大の忌み事が起きた事から、わずか15日後の安政7年3月18日に元号が「万延」に改められた。実は、翌年1861年には改元が予定されおり、また一年後には改元しなければならず、幕府や朝廷の一部からその必要性を疑問視する声も出されたが、1853年嘉永6年の黒船来航以降、国内の混乱に強い危惧を抱いておられた時の孝明天皇(明治天皇のお父さん)の強い意志で改元が決行された。そして翌年に改元となる「文久」そして「元治」「慶応」「明治」へと、幕末ファンがしびれる時間が始まっていくのである。

 何か、ここまで書いて、読み返して見ると、最初の重陽の節句はいずこへ?という気がするけど、まあ、いつもの心地よい脱線ですので、どうかご容赦ください。