思い出語り③ | 誠団

誠団

趣味アカです。最近シータヒーリングにハマっているので、スピリチュアルネタが多いかと思います。飽き性なので随時ネタが変わります。
スピリチュアル貧乏営業が気持ち悪くて嫌い。

思い出語りの3回目です。

 

最後に人生でもっとも愛したバンドのことを書こうと思ったのですが、なぜか本命は隠しておきたい謎衝動があるので書くのをやめることにしました。

 

彼らの曲はもう細胞に叩き込むくらいエンドレスリピートしたので、今さら懐かしさに誘われて聴きたい気持ちにもならないし、近況なんかも特に知りたいとも思いません。

 

ですが、この某Dバンドのおかげで私は「自分の考えていることをそのまんま歪曲することなく表現することの勇敢さ」に細胞の1粒々々が救われました。

 

それから吹っ切れて凶暴化したんですけどね。書きたくなったら書きます。

 

某Dバンドといっても、あ様のバンドではありません。

 

そういえば、あ様で思い出したけど書けるネタありました電球

 

うちの弟がどういうツテでそうなったのか不明なのですが、HIDE-ZOUさんのローディーを束の間やらせていただいたことがあります。

 

あくまで弟視点でしかないのですが、HIDE-ZOUさんは優しかったとのこと。

 

Dのローディーをやりたい駆け出しのバンドマンなんてゴマンといるから、弟の他にも何人かローディーを抱えていたと思うのですが、普段の立ち居振る舞いでその人の人間性は出るよなぁと思った次第です。

 

ASAGIさんは礼儀正しく面倒見がいい。HIROKIさんは爽やか。

RUIZAさんは天真爛漫。少年のよう。

 

「じゃあtsunehitoさんは?」と興味津々の私は尋ねました。(私もRANCIDが好きだったから)

 

「まぁ…あんな感じじゃね?(弟)」

 

はぁ?何それー意味わからん凝視

 

どうやら接点がなかったようで、あまりよく知らないそうです。

 

皆様その節はお世話になりました。

 

 

そんな感じで兄弟がバンドをやっていたりすると、バンドマンの裏情報みたいなエピソードをたまに聞いたりします。

 

私がこれまで聞いた中でも少々驚かされた話があって、高校時代に軽音学部でベース弾いていた同級生が、その当時はビジュアル系のビの字もなかった癖にKAMIJOさんとこのオフィスで働いてるという情報を弟が教えてくれたことがありました。

 

なぜわざわざ私にその話を告げてきたかというと、向こうは同級生の弟とこういう形で知り合うとは思ってもみなかったからのようです。

 

世の中は思ったより狭い?と思ったのかどうか。その後どうなったのかは知りません。

 

最後に弟が都内でバイトをしていたときの話。

 

どういう仕事内容かは教えてもらえなかったのですが、同じ職場にLa'Muleの紺さんがいたらしいです。

 

バンドマンのバイト先って、紹介とかあったりして意外とかぶるのかもしれないですね。

 

私2001年11月29日の渋谷ON AIR EASTのワンマン行きました。そのとき弟も一緒でした。笑

 

あの血まみれ包帯姿でみんなステージに立っていましたけど、ISUKEさんのベース触れるくらい客がスカスカ?というか思ったより動員少なかったような?

 

いや、さすがにそれは違うか…たぶん前列に人があんまりいなくて真ん中が割れていてモーゼみたいになってたんかな?

 

後ろで観賞してる人もいますからね。

 

Wikiをチェックしたら紺さんの身長156cmに衝撃が走ったけれども、ステージに立ってる彼はもっとデカイように見えましたけどね。

 

当時はinspireのプロモーションが盛んに行われていましたが、La'Muleはインディーズバンドだとばかり思っていました。(←オイ)

 

なんだか一発屋的な印象で語られることが多いですけど、やっぱりバンドのオリジナリティって大事ですよね。

 

そんなわけで、思い出語り(完)