マコチンのブログ -5ページ目

マコチンのブログ

自由に活動、自由にコラム

2007年7月11日

当時、まだ世には「さくらや」があり、

僕は住んでいる最寄りのさくらやに朝からいました。

 

初代iPhoneが日本で発売となったこの日、

ギリギリまで悩んだ結果、結局さくらやに足が向きました。

 

あれから10年、たしか4回買い換えた記憶がありますが、

ずっとiPhoneの生活をしています。

 

10周年を記念したiPhone Xはさておき、

昨晩のAppleによるプレゼンを見ていて思ったことは、

やはりジョブズだけは別格にプレゼンが上手だったんだなということです。

 

これはもう、原稿のプレゼンターを批評するのはナンセンスで、

ジョブズが異常だったんだと思うしかないです。

この人は言葉一つで商品の価値を上げるだけでなく、

人がワクワクするメカニズムを知り尽くしている。

変な言い方だけど、「iPhoneを待ってる」んじゃなくて

「iPhoneを完璧な流れで発表するあなたの神業」を待っていたのかも。

 

そして、今振り返って見ても、

今でこそ世の中がスマホ片手に生きる時代になってますが、

この人はきっとそれが見えていたんだなと。

 

プレゼンの1つ1つ、どこを押して、どこを流すか、

その全てが、完璧でゾッとするレベルです。

まるでタイムマシーンで未来に行って、

先に答えあわせをしてから戻って商品開発したんじゃないかというくらい。

 

そして、その神器を初代の発売初日からしっかりと目をつけ

片手に持ち始めた自分の先見の目も自画自賛しておきます。笑

 

 

改めて、こんなとてつもない神器を遺してったジョブズに感謝すると同時に、

あんたのおかげでとんでもない世の中になっちまったよと嘆きつつ、

1周回ってやっぱり感謝。

 

僕も人にプレゼンをして、何かをPRしなければならない瞬間が

これから先、山のように増えていきます。

少しでもジョブズプレゼンの神業を盗みます。

 

 

ご無沙汰してしまい、ごめんなさい。

 

色々と忙しくしていたのですが、自分自身の事業と、活動を踏まえ、

ブログとSNSの使い方をどうすべきか過去にないほど悩んでました。。

 

というのもブログ、facebook、mixi(幽霊ID)があるものの、

twitterだのInstagramだのもあり、さてどうしたものかと、考えていました。

 

僕は時事ネタを中心にコラムを執筆するのが好きなので、

長文になっても良いコラム、そして自分自身の活動についてはこの「ブログ」で

 

そして、最近動画制作の仕事でお世話になっている動画時代!の石井社長から

本格的な一眼レフカメラを夢のような身内価格で譲っていただいたこともあり、

金太郎を中心にカメラ撮影をした写真をちょいちょいアップしたいなと思うので、

それは写真にもってこいのInstagram

 

そして事業関連の知り合い、関係者も多いfacebookでは仕事の話を中心に

更新していこうと考えました。

 

というわけで、ブログの更新はこれまでより減るかもしれませんが、

上記3つを併用していきますので、これからもよろしくお願いします!

 

 

KICK THE CAN CREW20周年
完全復活の新曲「千%」リリース


2002年のことですが、横浜のBRIDGEというクラブにKICK THE CAN CREWがシークレットゲストとして出演したイベントがありました。その時、彼らの1組前にパフォーマンスをさせていただいたのが僕らでした。
当時「sayonara sayonara」で一世風靡し、紅白にも出場していたアーティストでありながら、売れなかった時代にずっと出演してきた横浜界隈のクラブシーンと、その関係者たちとの縁を大切に、多忙の中でも彼らが出演を選んだ貴重なイベントでした。

ちょうどその頃、僕はJ@Mというグループで活動していて、大学を飛び出し外の世界でクラブとかにも出てみたいなと考えていた頃でした。そして、当時まだ普及し始めていたインターネットを駆使して、たまたま最初にできた縁が、横浜のLクラブ"Lizard"でhoney potというイベントを毎月開催していた鉄平さんというオーガナイザーさんでした。
お客が5名しかいないような時もあるイベントでしたが、「出てほしい」と言ってくれることが嬉しくて毎月ノーギャラでも喜んで横浜まで通って出演していました。
実はこの鉄平さんは、かなり顔が広い人だと後からわかり、クラブ業界では誰もが知ってるDJ MAYUMIさんのイベントに僕らを押し込んでくれたり、他にも大きなイベントに関わる度に僕らに声をかけてくれました。
そして、BRIDGEでのKICK THE CAN CREWのイベントにも、呼んでくれて、出演が叶ったという流れです。

これは僕のキャリアで初めていただいた大きな話だったのですが、嬉しかったのと同時に、「人の縁を大事にしてるとこうやって大きなところに繋がることがある」という、すごく大切なことを身をもって知ることができたのは、その後の人生にもめちゃくちゃ影響しています。
そういう意味でも、KICK THE CAN CREWは僕にとってかなり特別な"有名人"なのです。

 

子供に運転させたお父さんが逮捕されました。

「運転させたこと」が逮捕された理由ですが、

「動画を投稿した(された)こと」が発端だと思うのです。

 

コンビニのアイスケースに入る若者然り、

我々は昭和の人間からしたらスマホ片手にSuicaで自動改札を通過する

「未来」を生きている人類なのです。

それなのに、道徳観や教育の根底が時代に適合されず、

昔と同じ感覚で綺麗事だけで成り立っているのがやるせない。

 

スマホが1人1台の時代なら、

理科や社会も大事かもしれないけど

もっと大切な「ネットとスマホの正しい使い方」を義務教育で

教科学習として何年もかけて指導すべきだとずっと言い続けています。

 

過去のブログ

http://ameblo.jp/makochin-blog/entry-12120587634.html

 

赤子のいる部屋で皆がタバコを平然と吸い、

運転席のお父さんのひざの上に幼児が座りハンドルを握って笑顔になり、

テレビで言っていることの全てが真実だと誰もが思い込んで、

学校には理不尽にキレて生徒を殴る鬼教師が我が物顔で偉そうにしていた

僕が過ごした時代は、それはそれは突っ込みどころ満載なんですが、

 

うまくいえないけど、

 

めちゃくちゃやってたんだけど、

みんな真っ直ぐに生きてた気がするのです。

声優の交代について考えることがあります。

 

ドラえもんの声が

大山のぶ代 → 水田わさび と交代があったように、

ある日を境に交代するのは避けられません。

 

ルパン三世の

山田康雄 → 栗田貫一 のように

極めて近い状態で引き継がれるというパターンもあります。

 

あくまで個人的な意見なのですが、

僕は後者の方がファン想いだと感じています。

完全一致は難しくても、くりかんさんのルパン声を聞いても

素直に「ルパン」として受け入れ続けてこれてるのは

紛れもなく声優交代時のコンセプトに

「同じ声を」という英断があったからだと思います。

 

でも水田わさびさんのドラえもんだって味はあるし、

嫌いではないのですが、

「僕らの世代のドラえもんとは違う次の世代のドラえもん」

というイメージはどうしたって拭えません。

これは良し悪しではなく、作品によって変わるんじゃないかと思います。

 

さて、ここで提案です。

 

「声優」が「声優」であるのを超えた次元で、

「キャラクター」を尊重するのはいかがでしょうか?

 

例えば、「同じ声」で10年以上愛されたアニメ作品があるとします。

 

僕の価値観で並べると、

ドラえもん、ドラゴンボール、クレヨンしんちゃんなどです。

 

こうした作品は10年目を節目に

単なるアニメ作品から次の次元に「昇格」させる制度を設け、

「声の出演 孫悟空:野沢雅子」といった表記もやめ、

 

「声の出演 孫悟空:孫悟空(初代)」とするのはどうですか?

(これ、結構本気で書いてます!)

 

つまり、初代孫悟空:野沢雅子

そして、様々な事情で声優が交代する時は

「2代目孫悟空」をオーディションで決め、

最も同じ声を出す人が「孫悟空:孫悟空(2代目)」として担当します。

 

すなわち、歌舞伎の襲名生に似た方式にし、

同じ声を半永久的に提供し続けるようにするというものです。

 

これは声優を軽視しているのではなく、

むしろその逆で、

例えば野沢雅子さんも単なる「声優 野沢雅子」ではなく

なんでしょうね、人間国宝くらいの名誉として

「テロップから名前が消え、孫悟空:孫悟空(初代)にまで上り詰めた」

という文化ができたら素敵だし、僕らも末長く安心して

キャラクターとともに生きていけると思うのです。

 

 

大阪に向かう新幹線で、そんなことを考えていました。

 

 

なぐり書きなので暑ですみません。笑

 

 

なにはともあれ、僕が大好きな野沢雅子先生には

120歳くらいまで孫悟空でい続けてほしいです。

いつまでもカメハメ波、お願いします♪