声優という職業 | マコチンのブログ

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声優の交代について考えることがあります。

 

ドラえもんの声が

大山のぶ代 → 水田わさび と交代があったように、

ある日を境に交代するのは避けられません。

 

ルパン三世の

山田康雄 → 栗田貫一 のように

極めて近い状態で引き継がれるというパターンもあります。

 

あくまで個人的な意見なのですが、

僕は後者の方がファン想いだと感じています。

完全一致は難しくても、くりかんさんのルパン声を聞いても

素直に「ルパン」として受け入れ続けてこれてるのは

紛れもなく声優交代時のコンセプトに

「同じ声を」という英断があったからだと思います。

 

でも水田わさびさんのドラえもんだって味はあるし、

嫌いではないのですが、

「僕らの世代のドラえもんとは違う次の世代のドラえもん」

というイメージはどうしたって拭えません。

これは良し悪しではなく、作品によって変わるんじゃないかと思います。

 

さて、ここで提案です。

 

「声優」が「声優」であるのを超えた次元で、

「キャラクター」を尊重するのはいかがでしょうか?

 

例えば、「同じ声」で10年以上愛されたアニメ作品があるとします。

 

僕の価値観で並べると、

ドラえもん、ドラゴンボール、クレヨンしんちゃんなどです。

 

こうした作品は10年目を節目に

単なるアニメ作品から次の次元に「昇格」させる制度を設け、

「声の出演 孫悟空:野沢雅子」といった表記もやめ、

 

「声の出演 孫悟空:孫悟空(初代)」とするのはどうですか?

(これ、結構本気で書いてます!)

 

つまり、初代孫悟空:野沢雅子

そして、様々な事情で声優が交代する時は

「2代目孫悟空」をオーディションで決め、

最も同じ声を出す人が「孫悟空:孫悟空(2代目)」として担当します。

 

すなわち、歌舞伎の襲名生に似た方式にし、

同じ声を半永久的に提供し続けるようにするというものです。

 

これは声優を軽視しているのではなく、

むしろその逆で、

例えば野沢雅子さんも単なる「声優 野沢雅子」ではなく

なんでしょうね、人間国宝くらいの名誉として

「テロップから名前が消え、孫悟空:孫悟空(初代)にまで上り詰めた」

という文化ができたら素敵だし、僕らも末長く安心して

キャラクターとともに生きていけると思うのです。

 

 

大阪に向かう新幹線で、そんなことを考えていました。

 

 

なぐり書きなので暑ですみません。笑

 

 

なにはともあれ、僕が大好きな野沢雅子先生には

120歳くらいまで孫悟空でい続けてほしいです。

いつまでもカメハメ波、お願いします♪