京都ひとり散歩(その9)~七条大橋界隈・松明殿稲荷神社 | 大根役者

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日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

七条大橋も魅力的な場所だ。

七条大橋は、鴨川に架かる橋で5連の鉄筋コンクリートアーチ橋。鴨川に架かる橋では最古の橋だ。高欄は「三十三間堂の通し矢」のイメージした模様だそうだ。

鴨川筋で唯一、明治期の意匠を残している。平成31年3月29日付で登録有形文化財に登録された。

七条大橋を渡って、京都駅まで歩くことは楽しいのだが、観光客は博物館前のバス停からバスで移動してしまう。

七条通の裏にある町には京都の市井の生活がある。

京野菜や京漬物、お饅頭が普段通りの風景の中に存在しているのがうれしい。

七条大橋を京都駅方面に向かうと橋の西南側たもとに松明殿稲荷神社が鎮座している。

松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)は、伏見稲荷大社の境外末社で田中社ともいう。


大己貴命、伊弉諾命、伊弉冊命、猿田彦命、倉稲魂命を祭神とするが、このほか現在、天智天皇像(木像)、大友皇子像(木像)を安置している。
社名は、天暦2年(948)に創始され、同10年(956)、勅により燎祭(りょうさい)が行われ、その時「炬火(たいまつ)殿」の号を賜ったことに由来すると伝えられる。
黒門通塩小路下るに鎮座していたが、その後、七条東洞院などを経て、宝永8年(1711)現在の地に移った。
江戸時代に出された「都名所図会」には、伏見稲荷大社春の稲荷祭のとき、当神社の氏子の人々が松明をともしてその神輿を迎えるのを古例としていたことから「松明殿」の名で呼ばれたと記されている。

 

境内西側には、江戸時代中期の木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)の銘のある手洗石及び井戸がある。

摂末社(天満宮)

地蔵堂にはおなじみの化粧地蔵も奉納されている。

 

小さな神社だが境内に貼られている絵図にも信仰を集めている神社であることは理解できる。由緒や都名所図会の境内啓示を考えてほしいな。もっと、参拝に訪れてほしい神社だ。

 

神社裏の空き地に止まっていたユンボが稲荷神社カラーだった。

高瀬川

七条通を京都駅まで歩くのも久しぶりだった。あの頃の僕には、街を楽しむゆとりがなかった。何者でもない時、何者になるのも

嫌悪していた時代だ。もちろん、今でも、何者にもなっていないけど、周りを見る余裕が若干できたような気がする。【HIS】旅行プログラム