久しぶりに四条河原町から、八坂神社参道を歩いた。
鴨川土手で似顔絵を描いているおじさんは、半世紀前にも存在していた。
あの頃、鴨川土手は、誰もメジャーを持っていないのに、定距離を取ったカップルが並ぶ異様な光景が広がっていた。
南座に行ったのは、何年前になるだろうか?ある人に誘われ、「忍者」というジャニーズグループの公演に行ったことがある。
二時間半が苦痛だったことを覚えている。
先斗町に「祇園」という喫茶店があった。店内に音はなく、コーヒーカップを下げるときの音もほとんどしない落ち着いた店だった。京都に行くとこの店に入り、坂口安吾を読んでいた。本来、僕はそんな人間なのだ。
高瀬川と木屋町の風景は変わらないのがうれしい。
2016年に漢字能力検定協会により、このミュージアムが設立されたのだが、漢検協会事件は、忘れ去られたのだろうか?
祇園交番は、風景に溶け込むようにデザインがなされている。
八坂神社前のツルハドラッグも風景に溶けこむようにデザインがなされているが、そもそも、ドラッグストア自体が
この町にはふさわしくないように思われる。中国人団体客が買い漁りしていた。気が滅入ってくる。
八坂神社から四条方面を臨む風景は変わらないように思えるのだが、行き交う人が変化した。中国語の大声が飛び交う中で、僕は
身を細めて、道の端を歩いていた。
この町には、多くの思い出を含有している、地下鉄のない時代、阪急で、僕は神戸から、京都の友人宅へ通った。四条のニューシカゴというパチンコ屋に行くと誰かがいた。友人をピックアップして、珉珉で、飯を食った。🎵ミンミンギョーザはネコギョーザというはやし歌があり、安い餃子で、腹を満たした。今だったら、大変だろうな。「アルバイトに珉珉に入った大学生が厨房に猫の死体がずらっとぶら下がっていた」という都市伝説が流布していた。
BALというファッションビルができた時には、さっそく行ってみた。肩まで伸びた長い髪をしたサファリジャケットにベルボトムジーンズを履いた僕の行く場所ではないことを意識した。
京都は大好きだ。あの頃の京都が大好きだ。僕たちを優しく迎えてくれた友人は50歳を前に鬼籍に入った。生きている僕が申し訳ない。生きて過去の時を歩ける僕を彼は、あの優しい目でみつめてくれているのだろうか?
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