茨木散歩~JR茨木駅から阪急茨木市駅周辺 | 大根役者

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日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

久しぶりに、JR茨木駅で降りた。あの頃は、国鉄茨木駅だった。JR京都線と阪急京都線は並行して、走っている。国鉄ゼネストの時は、住民は阪急まで、歩いていた。

JRから阪急へ行く道に存在した阪急本通商店街の佇まいは、半世紀以上前と変わらないのが、なんだかうれしかった。

もちろん、商店街各店の記憶はないが、当時からの営業継続をしている店もあるのだろう。

東側は茨木神社の境内に続いている。茨木神社の境内に入る門が茨木城の搦手門が移築されたものだ。

 

このあたりは、かっては、茨木城の城下町だった。道標にある旧町名に城下町の面影をたどることができる。

この地下飲食街って、朧げな記憶がある。

茨木神社から阪急本通を抜けると阪急茨木市駅になる。

商店街の入り口を南北に高瀬川が流れている。

JR茨木駅に戻る途中に真宗大谷派茨木別院がある。

元々茨木城内だった地を城主が寄進し、東本願寺門主の宿泊所として創設した。当時の名は満照寺、その後茨木御坊満照寺・東本願寺掛所と呼ばれ、現在の名に。近所では親しみを込めて昔の「御坊さん」と呼ぶ人もいる。

樹齢四百年を数える黒松が境内にある。茨木市の保存樹に指定されており、第二十三世彰如上人が別院に御親修のおり「弘誓の松」と命名した。

 松に寄せて「仏地に樹つる心も松と春日なる」と詠まれた。上人の俳号は句仏。

あわただしく、茨木駅周辺を歩いた。茨木童子のキャラクター像を街の中で、発見できる。

茨木市観光協会のマスコットキャラクターのいばらき童子だ。鬼がベースのキャラクターの違和感がぬぐえないのか、

ゆるキャラグランプリ2020では、222位だった。1987年「VIVA茨木ふるさとみつけた」をテーマに、 四季折々の美しい自然・街並・史跡や文化・風俗・伝 統行事等で、将来に伝えていくべきと考えておられる 場所や内容等を、広く市民から募集した。 その結果、約400件もの応募があり、「ふるさと茨 木」にふさわしい25点が、「ふるさと25景」として選出 された。  さらにその中でも、最も伝え残してほしいものとし て「茨木童子」が挙げられた。茨木童子をモチーフに制作されたのがゆるキャラ「いばらき童子」だ。

大江山の酒呑童子の一派として、知られる茨木童子は摂津国(現在の茨木市水尾)の出身と伝えられている。

茨木市商工会議所のH.Pに紹介された茨木童子の伝承を転記する。

 

昔、茨木のある村で、元気な赤ちゃんが生まれまし た。うまれてすぐにゴソゴソとはいだし、口の中には 歯がはえそろっていました。それを見て母親は、びっ くりして死んでしまいます。父親は悩んだ末に、その 子を九頭神さんの近くにあった床屋の前にこっそりほ かしてしまいました床屋の夫婦は「天からのさずかりもの」と思って育 てますが、子供はわんぱく坊主でした。そのうち仕事 を手伝うようになりますが、客の顔を剃っているとき、 誤ってカミソリで顔に傷をつけて血がにじみました。 子供は、あわてて血をぬぐって舐めますが、塩からく て、なぜか、懐かしい感じがしたのです。それからは、 わざと客の顔に傷をつけて血を吸うようになりました。  ある日、子供は川で自分の顔をうつしてみるのです が、頭にツノがはえているので首をかしげます。養っ ていた夫婦はそれを見ていて、あくる日にその子を北 の山にほかしにいきます。それから、その子は大江山 の酒呑童子の仲間に入って「茨木童子」といわれ、京に 出没して暴れ回り、「茨木童子」は天下に恐れられるよ うになりました。 

 

 

酒呑童子一派が頼光四天王に滅ぼされた後、茨木童子は、生き残った。

茨木市は、鬼が身近に存在する街だ。図書館やホールなどが入る複合施設を「おにクル」という。

茨木童子は、酒呑童子の家来ではなく、客分のような存在だった。酒呑童子一派を鬼としたのは、当時の平安京貴族社会に反する反体制一派を異形の鬼という存在にしたのだろう。

 

渡辺綱が片腕を切り落とした羅城門の鬼と同一視されるが、別の鬼だ。平安京の安寧は、鬼により、終末に近づき、貴族に従順な犬であった武士が鬼を滅ぼし、力を示し、貴族社会を崩壊に導いていった。

 

茨木童子は、その後、故郷に帰ったとされるが、晩年の記述がないのが、さびしい。

 

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