東寺の境内に入る。国宝・重要文化財の宝庫だ。昭和40年に初めて公開された秘仏は往時の面影をとどめている。そう、建造物がタイムカプセルの役目を果たしていたのだ。
境内の南から北へ。金堂、講堂、食堂とまっすぐに大伽藍が並ぶ、この配置は、仏法僧を表している。。金堂には本尊の「仏」、講堂は密教の教え「法」。そして、食堂が「僧」。
食堂の建立は、平安時代。本尊は約6メートルの千手観音菩薩でした。足利尊氏は東寺に本陣を置き、この食堂に居住していたこともありました。いまの建物は、昭和5年、1930年に焼失後、3年間の工事を経て完成。堂内には納経所があり、多くの巡礼者の祈りの場になっています。
金堂
金堂は、東寺の本堂だ。本尊はあらゆる病から人々を守ってくれる薬師如来と日光菩薩、月光菩薩だ。
金堂には官寺と風格も求められ、荘厳な姿の建造物が建てられた。残念なことに、文明18年以後、600年以上、都の正面で威風堂々とその姿を残していました。しかし、文明の土一揆(文明18年・1486)に焼失した。現在のの建物は、関ヶ原の合戦後に落慶した。
宋の様式を取り入れた天竺様と和様を合わせた桃山時代の代表的な建物で、屋根の中央の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形で、両開きの扉は、法会のときに開けられ、散華した。
本尊・薬師如来像、右側が菩薩、左側が月光菩薩。薬師如来像は薬壺を持たない古い様式の仏像で、光背に七体の化仏を配する七仏薬師如来像。重要文化財(慶長3年・1603)
薬師如来の台座には、如来を守り、如来の願いを成就する働きがある十二神将がぐるりと並んでいる。この様式は奈良時代のもので、といわれ、金堂とともに焼失したあと、桃山時代を代表する仏師、康正により復興された。
講堂
東寺境内は、東西255メートル、南北515メートルの長方形。
寺域のなかで大伽藍が建っているエリアは、東西南北とも255メートルでほぼ正方形になり、その中心に講堂は位置している。
弘法大師空海は、人生のすべてを注いで、密教という教えを伝えようとし、その中心的な建物として位置づけたのが講堂だ。
弘仁14年(823)に始められた工事は、承和6年(839)に完成した。当時は、講堂と金堂の周囲を廻廊が巡りふたつの大伽藍をつないでいた。
文明18年(1486)金堂、南大門などとともに焼失、前述したように、金堂が桃山時代、南大門も江戸時代に入ってからようやく再建できたのに対し、講堂は焼失より5年後に、最優先で再建された。その講堂が現在の講堂だ。538年前の建物を見ているのだ。
密教を伝え広めるために建立された講堂の中にその教えを、視覚的に表した羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)講堂の中にある。弘法大師空海の手によるもので、
曼荼羅を抜け出した、如来、菩薩、明王、そして天部の二十一尊の仏さまは、弘法大師空海の教えを、いまを生きる私たちに語り続けている。
曼荼羅は、密教の教えをわかりやすく表現したものだ。曼荼羅には、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があり、それぞれ、理と智慧という教えを伝えている。
その曼荼羅を、よりリアルに伝えるために、弘法大師空海は具現化することを構想した。まそれが羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)だ。弘法大師空海は、大日如来を中心とした二十一尊の仏を講堂の須弥壇に配置し、曼荼羅の中心に大日如来が描かれているように、東寺の中心に大日如来を安置して、寺域を巨大な曼荼羅にレイアウトした。
大日如来を中心に五智如来。大日如来に対面して右側に、金剛波羅蜜多菩薩を中心にした五大菩薩、左側に、わが国にはじめて紹介された不動明王を中心にした五大明王。須弥壇の四方には、四天王、そして梵天、帝釈天が警護するように配されている。
大日如来坐像は重要文化財。
食堂(じきどう)
平安時代から食堂の本尊は千手観音菩薩だった。
本尊の周りを、3メートルを越す持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が護っていた。
本尊と四天王は、かつて旧国宝でしたが、昭和5年、1930年の食堂の火災で本尊も四天王も大きく焼損した。
千手観音菩薩は、修復後、宝物館に安置され、食堂の本尊は、十一面観音菩薩となり、本尊に対面して左側。焼損した四天王が、平安時代の千手観音菩薩を護っていたのと同様に、
いまもなお、十一面観音菩薩をしっかりと守護している。
今回の東寺参拝の目的は五重塔内部の一般公開だった。
弘法大師空海は講堂の次に五重塔の大工事に着手した。しかし、費用も人手も足りず、天長3年(826)、11月24日、「東寺の塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」を朝廷に提出した。
空海は、「桓武天皇が造営をはじめて30年が経過しているのにいまだ建築の事業が完成していません。東奔西走して探したところ東寺よりほど近い東山に塔の材木を見つけました。19日より僧と人夫で曳きはじめましたが、木材は大きく、曳く人々の力は弱く思うように運べません」と現状を説明し、材木運搬の協力を願い出た。
五重塔は、落雷などによって4度焼失しましたが、そのたびに、多くの僧が奔走。五重塔再建という大事業を成し遂げてきた。いまの五重塔は、寛永21年(1644)に再建した、5代目にあたる。
四面の側柱には八大龍王、壁には真言八祖像を描き、真言の教えが弘法大師空海に伝えられた歴史を表している。
東寺の中心伽藍、五重塔で、弘法大師空海の密教世界の一端を理解した僕は、東寺の境内に
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