宮本武蔵生誕の地~兵庫県高砂市米田町 | 大根役者

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米田天神社の隣に「宮本武蔵・伊織生誕の地」の大きな石碑がある。高さ3.5m、幅7mの竜山石で造られた巨大な石碑だ。

独行道碑

独行道は武蔵の遺言のような物で弟子の寺尾孫之丞に授けたものだ。その7日後の

正保2年5月19日に宮本武蔵は亡くなる。

石碑の前に「五輪司供養廟」が立っている。金色の五輪塔の下に

4面の成功乃門、不老不死大門、安楽乃門、幸福乃門があり、それぞれの御利益がある。

米堕邑乃古名六継里碑

 

田原・宮本家父祖の地碑

 北九州小倉に住む宮本伊織直系の宮本家13代当主宮本信男によって書かれたものである。

「史蹟田原家跡」の案内板が県道沿いにある。

米田天神社の近くの西光寺は宮本武蔵縁の寺だ。

 

 

1275年に創建された浄土宗西山禅林寺派の寺院である。日本庭園研究家・西桂氏によって平成13年(2001)に本堂前と本堂横に2つの庭園が作庭された。宮本武蔵は作庭家でもあったことから、本堂前の庭園は「五輪之庭」と名づけられ、仏教での「地・水・火・風・空」と宇宙を意味し、各石組がそれぞれに見立てられている。

境内に武蔵、伊織の像が建てられている。

宮本武蔵は、戦国時代末期に現れた剣豪で、生涯不敗と言われた剣の達人だった。諸国を放浪し多くの伝説を残しているが、武蔵の生誕については未だ特定されていない。

吉川英治の「宮本武蔵」が、世に知られる宮本武蔵のキャラクターが作られてしまい、美作国の宮本村(岡山県大原町)で生まれたと記されているため、大原町が生誕地であることが全国的に定説となった。智頭急行の駅には「宮本武蔵駅」もある。

美作の武蔵生誕地を訪ねたこともあるが、大原は宮本武蔵による観光開発を行っている。

昭和初期に書かれた小説『宮本武蔵』が上梓された後、高砂生誕説を裏付ける有力な史料が発掘された。

武蔵の養子、宮本伊織(1612~78)が故郷の氏神、泊神社の社殿を再建した時に、奉納されたものだ。承応二年(1653)五月の日付がある。
この棟札により、武蔵は播磨の米堕村(よねだむら・現高砂市米田町)で生まれた事実がわかる。

美作の宮本村に養子に行ったとする説が正しいとされている。

武蔵の生涯には、未解明の部分が多い。武蔵自身による『五輪書』。養子、宮本伊織による『小倉碑文』が伝説の元になるが、史実との関連が不明だ。

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の世に至るまで、伝説の中に生きる剣豪宮本武蔵は時代に遅れてきた戦国ロマンを後世に伝える稀有のキャラクターだ。これからも「バガボンド」のような色んな解釈の宮本武蔵が世に出ることを期待している。