生石橋を渡り、突き当りを左に曲がると、宝殿山中腹に、生石神社の鳥居が見える。
この鳥居は二の鳥居だ。
一の鳥居は高砂市神爪5丁目にある。宝殿駅から、西国街道を西に進んだあたりだ。参道という趣はないが、西国街道からの参拝客が、宝殿山を目指したのだろう。
石灯籠の前に家紋石がある。
一方は「違い矢」、もう一方は「三本矢」だ。
この家紋石は、初めからここに置かれていたのではなく、元は観涛処(かんとうしょ)の北側の尾根上にあった。。
採石作業で崩れ落ちたため、昭和50年、ここに移された。製作年代も制作者もはっきりしていないし、目的も定説がない。
姫路藩の竜山石専売制とかかわるものではないかと一いう説あある。姫路藩の専売制といえば木綿が有名だが、竜山石も藩の財政を支えており、採掘許可を与える制度を敷いていた。
寛延3年(1750)と嘉永4年(1851)の石切鑑札が現存している。
「専売制になった象徴として作られたのでは」という説が有力だ。河合寸翁(姫路藩の家老)の家紋が鷹の羽だ。
姫路には有名な石工がいた。竜山石を掘り出す山取や石材細工の職人が多数いた。この石灯籠もその中の嶋村(高砂市米田町)の西邨(にしむら)一族による作品だ。
宝暦8年(1758)製作だ。
参道を進む。急な石段だ。
絵馬堂をくぐり、拝殿へ向かう。
拝殿前の狛犬
大正天皇行幸記念碑
明治42年、この地に陸軍演習観閲のため、行幸し、宝殿山山頂まで上った。
詰所は、江戸時代末期の建築だ。
拝殿
天保15年(1844)に棟上げ、再建された。右側に少毘古那を左側に大穴牟遅が祀られている
割拝殿造りだ。
生石神社は、石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物を神体としている。宮城県鹽竈神社の塩竈
宮崎県霧島東神社の飛地境内の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つとされている。
石の宝殿は、国の史跡[で横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていない。
山形県にも同名の「生石神社」があり、当社の分社と伝えられている。
先述したとおり、少毘古那命、大穴牟遅命が主祭神だ。大国主大神、生石子大神、粟嶋大神、高御位大神が祀られている。
社伝では、崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとしている。
石の宝殿について『播磨国風土記』の大国里の条には「原の南に作り石がある。家のような形をし、長さ二丈、広さ一丈五尺、高さも同様で、名前を大石と言う。伝承では聖徳太子の時代に廃仏派の物部守屋が作った石とされている」という記述がある。聖徳太子が摂政であった時代には物部守屋はすでに死亡しており、矛盾をはらむ記述ではあるが、8世紀初期には6~7世紀頃に人の手で造られたと考えられていたことになる。
風土記が一般に流布されたのは江戸時代後期からであり、それまでの石の宝殿に関する文献で風土記の内容を継承したものは見られない。『万葉集』巻三、生石村主真人の歌にある志都乃石室は石の宝殿のことであるとも言われている。
石の宝殿は8世紀以前からあったことになるが、生石神社は『延喜式神名帳』や国史に掲載されてはいない。『播磨国神名帳』の「生石大神」が文献上の初見であるとされる。『峯相記』では生石神社・高御位山の頂上にあった岩場を磐座としていた高御位神社の解説で「天人が石で社を作ろうとしたが、夜明けまでに押し起こすことができずに帰っていった」という内容が記されており、この時期には石の宝殿は人の手によるものではないとする伝承が生まれている。
『播州石宝殿略縁起』では「神代の昔、大穴牟遅と少毘古那が国土経営のため出雲からこの地に至り、石の宮殿を造営しようとして一夜のうちに二丈六尺の石の宝殿を作ったが、当地の阿賀の神の反乱を受け、それを鎮圧する間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った」となり、『峯相記』より具体的な神格が与えられている。
古代出雲王国の支配がこの地まで及んでいたっことがわかる記述だ。
成務天皇11年、羽後国飽海郡平田村生石(現 山形県酒田市伊大字生石)に当社の分社が作られた。
天正7年(1579)年、羽柴秀吉が三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与するよう申し出たが、拒否されたために焼き討ちに逢わせた。(当時の宮司は神吉城主の弟であった。)
焼け残った梵鐘は持ち去られ、関ケ原の戦いの時に西軍、大谷吉継が陣鐘として使用した。敗戦の結果、家康が戦利品として美濃国赤坂の安楽寺に寄進している。鐘の表面には、応永26年乙亥(1419) 「播州印南郡平津庄生石権現撞鐘」と刻まれている。
霊岩
下面が座りキズで切れている。浮石製作にかかるための石であると推察されている。
岩肌の階段
浮石と同じ岩盤の上に彫りこんで作られた階段で、浮石が上部から彫り込まれたことがわかる。
拝殿、浮石を上から見る。
山頂には西側の階段から上る。
摂末社
自然石を神体にする神社は、各所に見られるが、岩を彫りだして、本殿にする神社は、あまり見ない。竜山石に携わる石工たちの技術が凝縮された姿なのだろう。もう一度、訪れたい神社だ。