碇神社(2021秋季例大祭)~広島市中区白島九軒町 | 大根役者

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徐々に、日常が、戻りつつある。祭から日常へ。神社の秋季例大祭が行われる。収穫を神に感謝する

祭りだ。この日は無礼講で、神とともに一年の辛苦を癒やす日だ。

安芸広島では、18,19日を祭礼日とするかくんち、28,29日を祭礼日とするおとくんちに各神社の例大祭が行われる。

最近は、前後の土、日に祭礼日にしている神社も多い。

 

コロナ禍のため、祭礼は中止され、神事のみになっていたが、今年から、各神社で、徐々に舞楽や舞の奉納も行われるようになってきた。

広島城下町、最古の社と呼ばれる碇神社に祭礼前に、お参りしてきた。例年、子供神楽が奉納されているが、練習ができていないことを理由に

神楽団から、出演を断られたそうだ。舞楽奉納の準備は進められていた。

 

拝殿

本殿

創建は奈良時代と伝えられる。境内掲示の由緒には

『此の地其の昔海辺なりし頃
当碇神社の社辺に大岩盤在り
太古よりしばしば舟が難破せし為
地と海の神を鎮祭し奉ることに始まる
従って当広島に於ける最古の氏神と考証される』とある。

平安末期の安芸国神名帳にある箱島明神が碇神社のことである。

天正7年(1589)毛利輝元の広島城築城に際し、社殿が造営され、碇神社と呼称し、艮(東北)の鬼門鎮護として、

社領も寄進された。祭神は大綿津見神である。

慶長5年(1600)福島正則により、社領は没収され、荒廃していくが、江戸時代中期以降、白島の住民が、維持に勤め、春秋の

祭礼がにぎやかに行われれ、白島の氏神として、尊崇をあつめた。

昭和20年8月6日、碇神社は灰燼に帰したが、仮社殿で、祭礼は、継続され、社殿も改修されていった。

神主は東照宮宮司が兼務している。

 

摂末社(丹波稲荷神社)

碇石跡

この場所が海の中にあったことは、太田川沿いの堤防を見ればわかる。

祭りの準備を、町内会総出でされていた。地元に密着した氏神様だ。

 

白島九軒町は海中の孤島だったが、民家が9軒あり、九軒町と呼ばれた。火縄屋、屋根屋等の商いをしていた。阿川弘之は、白島九軒町で.生まれた。「白島のもとの地名は箱島、太田川の三角洲の北辺に位置し、閉鎖的な芸州広島藩城下町の中でも特に因循閉鎖的な、それこそ箱で囲つたやうな狭い古くさい地域であつた」と書いている。